私は好きに生きていく|石原燃「赤い砂を蹴る」
先日映画の感想文を書きましたが...今度は初めての「本」!
自分の解釈や、読んでみて考えた事を自由に書いていきます。
芥川賞候補作ということで大注目の作品ですが、他の方の書評などをあえて読まずに書くことにチャレンジしていきます。拙くてもご容赦ください。
<注意>
・思った事をストレートに書きたいので、ネタバレについて配慮しません。
・逆に、積極的にネタバレすることも目的ではないので、<ネタバレ有り要約記事>としての役割は果たせません。
いざ。
1. 経緯と装丁
石原燃「赤い砂を蹴る」文藝春秋, 2020年.
ジャンル=小説
芥川賞候補作がブラジルの事を書いている!という個人的な関心から購入した本作。
ストーリーも何も知らないまま書店に買い求めに行けば、
レインボーマウンテン(@ペルー)や七彩山(@中国)の絶景を思い起こさせる美しい装丁。本能的に、これは買うしかないなーとさっくり購入。
158頁とコンパクトにまとまった読みやすい量。
2. あらすじ
画家の母を亡くした女性、千夏(ちか)は、母の友人だった芽衣子(めいこ)と二人でブラジル・サンパウロ州ミランドポリスにある日系人コミュニティを訪れる。訪れた農場は芽衣子の故郷であり、生前の千夏の母と芽衣子が二人で訪れる約束をしていた場所だった。芽衣子もまたアルコール中毒の夫を亡くしたばかりだった。幼い頃に亡くした千夏の弟の記憶、母にまつわる記憶、芽衣子にとっての夫や家族の記憶...。各々が人生の旅路で直面する喪失と社会の圧力の記憶は、無数の人々の記憶に共鳴する。それらは決して同じではないけど、寄り添える。自分の人生を生きるため抗うように、異国の赤い砂を蹴って進む。
3. 感想
・ 冒頭の長距離バスの描写から、「これこれ!!」という感覚を味わった。ブラジルの長距離バスには何度も乗ったが、この何気ない文章には「あるある」が詰まっている。車窓から遠く見える夕陽。冬でもなぜか効いている冷房。せめて毛布がわりにかけるジャンパー。休憩所の軽食やお菓子。いつの間にか静まり返る車内の空気。数年前に体験した懐かしい記憶がフラッシュバックした。作者が劇作家という背景も影響しているのかは知らないが、リアリティがあって写実的な描写。この冒頭の部分から、作者は実際に体験するなどしてかなり精緻に取材をしたのかな〜と推測され、信頼感を持った。
・ わたし自身は、この後舞台を移す「ヤマ」と呼ばれるような日系人コミュニティーは訪れたことがないので、実際のところはわからないけれども、その後文中に出てくる様々な描写についても実在のコミュニティを丁寧に取材したのではないかと推測される。さりげなく登場するコミュニティの設定(歴史的背景など)がかなり細かいので話に奥行きが出ている。(舞台のミランドポリスには弓場農場という有名な日系コミュニティがあるらしく、もしかしてそこがモデルではないか...?と推測)
・「勝ち組・負け組闘争(戦後直後のブラジル日系社会で、第二次世界大戦に日本が勝ったと信じる人々、負けたと考える人々の間で起きた対立)」などさらりと出てくるし、歴史的な造詣も深い。
・上記のような点は、ブラジルに関心があまりない人にとっては慣れない点も多くとっつきにくいかもしれないが、うまく日本での回想を挟み込んで読みづらすぎないようにしている。
・日本を思い切って飛び出して向かった異国にもかかわらず、広い世界ではなく、そこにある閉鎖的なコミュニティとしての日系社会を描いているのが面白い。
・それぞれの体験を「違う」ものと強調しながらも、共鳴する部分があると思わせる書き方をしている。読む側にも、異なる文脈にあるがどこか共鳴する自分自身の体験を思い起こさせる。
・所々に鋭い描写が煌めいている。
それどころか、辛いに違いないと決めつけて同情してくる人を軽蔑して、憎んでいた。気がついてしまったら、受け止めきれなくなることを、無意識にわかっていたのだろうか。(中略)どんな感情も、痛みも、見ないようにしていさえすれば、なかったことにできる。そうやって、私はいつのまにかとても鈍感な人間になっていた。(pp.92)
自分の痛みに鈍感な人間は、人の痛みにも鈍感になるだけでなく、暴力に対して無防備になる。そして、よりひどい傷を負い、ますます鈍感になっていく。(pp.93)
私は好きなように生きたかった。あんたを言い訳にしたくなかった。(pp.138)
現実の苦しみに翻弄され抗う描写を読みながら、わたしは幾つかの自らの個人的な体験を思い起こし、そして茨木のりこさんの有名な詩をふと思い出した。
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
ー茨木のり子「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」2014年, 岩波書店.
きっとこの詩は他人を責めるものではなく、非常に難しい状況や苦しい現実の中にあることを理解した上でも、なんとか自分の尊厳、自由、誇りを守るためのものなのだ。
このような精神が、この小説の中に見えるような気がした。どこか「共鳴」しているように思える。
そんな風に誇り高く、赤い砂を蹴って歩き続こうとするメッセージがわたしは好きだと思った。