罪悪と正義と罰
過去の詩の振り返りです。
罪とは何か、悪とは何か、それに対する罰とは。映画や小説でもよく取り上げられる題材。
罪悪。罪悪感を抱く事はたまにあります。それは自身の正義に反した行いをした時。自身の正義というのがポイントで、これは人によって感覚が違うし、まったく意味を成さない時もあります。先の「お節介」に似たものかもしれません。
生まれた時から罪人になる人はいない。この人間の社会や環境が罪を生み出す。罪を犯さなければ生き抜けない人生もあるかもしれない。肯定はできないが悲しい事実もある。
少し毛質が違う話になるが「ダークトライアド」という言葉をご存知だろうか。ナルシシズム、マキャベリ主義、サイコパスの3つの特性が高い人の事を言うそうで、
人間は皆このような特性を少なからず持っており、行き過ぎると犯罪のような罪を犯す。それは環境によって獲得していったものかもしれないし、元々備わっているものかもしれない。
子供は残酷だと自身の回想も含めて思うところがある。残酷というか純粋なんだろうな。
しかしながら、世に言う成功者は上記のような特性が強い人に多いと聞く。確かに積極的な人は相手の言い分をあまり聞かない気がする。我儘、自己中、自身の目的達成のために一心不乱だ。研究者、学者、医師、経営者などには必要な要素だろう。また作家や芸術家、技術者にも必要な要素だ。
悪いことばかりではなく、そこそこ備えていた方が良い、面白い特性でもある。
文章を書く時、絵を描く時、お笑いもそうかもしれないが、まず自分が楽しむためであり、相手のことばかり意識していたら面白くなくなるだろう。最低限のマナーは必要かもしれませんが。
結局私の中で「なぜ人は罪を犯すのか」「なぜ戦争はなくならないのか」という疑問は持ち続けていくのだろうと思います。それに反する形で創作や社会等の問題も考えて詩を書いていくだろうと考えております。
長々読んで頂きありがとうございました。
Thank you for reading.