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「旅」と「元の木阿弥」
過去の詩の振り返りです。
果てしない旅
果てしない旅の先
行き着いたのは自分が生まれた場所
長い旅は一周して足元に落ちる
後悔とざわめき
欲望と儚さ
まわりまわって元の木阿弥
すべては返る
栄光や富は失われる
不必要な存在
否定する
奈落も
何処へ行くともなく
ただ空を眺めて歩いた
旅の先に待っているもの
存在
存在意義を否定しない
すべてを希望に変えてゆく
果てしない旅の先
見えてくる自分自身は否定できない
人生はよく「旅」と表現されます。皆さんいろいろな旅をしていると思いますが、自分の旅はどうだろうな。何か変わったといえばnoteを始めた事ぐらいですかね。
人間はそうそう変わらないとは思いますが、私は変わり続けたいとは思っていて、それは「臨機応変」という言葉が好きなのもありますが、頭の堅い人間にはなりたくないと思っています。
ちょっと堅苦しいところもあるので、変えたいとは思います。あとは笑わないとよく言われますね。これはですね、たぶん心が閉じているんですよ。自分で言うのもおかしな話ですが。家では笑ったりしますが、外では緊張感をもって生きているので。
何か表現することは好きなので、昔は絵を描いていましたが時間がなくて、今は言葉だらけの世界で何かできないか模索中です。
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「元の木阿弥」という言葉は、「もとの木阿弥」とも表記されますが、元々は「木阿弥(もくあみ)」という人名です。彼は、14世紀に活躍した日本の能楽師であり、能楽の創始者として知られています。
「元の木阿弥」という言葉は、もともとは彼が作り出した能楽の演目「夢幻能・元禄忠度誉れ」からきています。この演目には、主人公が「元の木阿弥」という人物に出会い、彼の助言で元の姿に戻るというストーリーがあります。
つまり、「元の木阿弥」という言葉は、本来は「もとに戻る状態」を意味する言葉ではありません。しかし、近年ではこの言葉が「もとに戻る」「元の状態に戻す」という意味で用いられることがあります。ただし、正式な用法としては誤りです。
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質問の仕方が難しかったりする。
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