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被害と加害の狭間で

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自分が被害者なのか、加害者なのかわからないというモヤモヤした気分を哲学的に考察できるのではないかと考えて書きました。 思いついたら都度付け足していこうと思いますので是非ご覧くださ…
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2021年2月の記事一覧

加害者の不在・被害者の過剰

加害者の不在・被害者の過剰

前回は自分の立場が曖昧な中で他者と関係を作るという厄介な問題の解決を外在化することで気楽に生きる代わりに問題の解決は先に後回しにされてしまうという点まで記載しました。

今回は、少し遠回りします。

伝承館を訪れて先日一人で東日本大震災・原子力災害伝承館に行ってきました。地図で見ると事故が起きた第一原発のすぐそばに建てられ、震災の記憶を保存する役割を果たすものと考えられます。(2時間くらい展示を見

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無知とは知ろうとしない努力である

無知とは知ろうとしない努力である

前回は犠牲と成長のシステムによって被害と加害の間の葛藤は長きにわたってお付き合いしていく感情ではないか?というところまで記載しました。

今回は誰もが語りづらいがために問題の解決が先送り・他人任せになるという点まで記載して終わろうと考えています。

前向きな忘却戦後哲学史では(主にハンナアーレント)忘却ということに対して多くの蓄積があります。それは主にナチスへの反省を継承し二度とあのような事件は起

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被害の上に利益を最大化する犠牲と成長のシステム

被害の上に利益を最大化する犠牲と成長のシステム

前回まで何か問題があった時に自分も被害者でもあるし、加害者でもあるような気がしてしまうこと、そしてその葛藤は今後ずっと付き合ってはいかなくてはいけないものなのでは?という問題提起まで行いました。

今回は「今後もずっと付き合っていく」という性質を中心に書きます。

犠牲のシステムここで補助線として高橋哲哉さんの「犠牲のシステム福島・沖縄」という本の内容を少し記載します。
この本では福島の原発や沖縄

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被害者でもあるし加害者でもあるような気がする

被害者でもあるし加害者でもあるような気がする

しばらく書いていませんでしたが復活します。
今、福島県南相馬市にいます。東日本大震災で甚大な被害を負った地域です。

そこで今考えているのが自分が被害者なのか、加害者なのか、明確に決められない問題が起こった時にそれについて人はどうやって語り得るのか?ということです。そして、そのことから大きな問題ほど風化して先送りになるという問題へと繋げていきたいと考えています。(もしかするとその先までダラダラと行

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