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SNS時代には書き手は増えたが読み手が不足している

noteはシンプルで直感的なインターフェースが特徴で、初めての人でもすぐに記事を書き始めることができます。

ワードプレスでブログを立ち上げていた時代と比べると、創作の敷居を大きく下げた点で画期的な存在だと思います。テキストを中心としたSNSでは、短文はX、長文はnoteという棲み分けがすっかり定着しました。

個人的なやりとりにはメールやLINEを使い、広く発信する場としてXやnoteを使う——

インターネットの登場により、文章を綴る行為はかつてないスピードで身近になり、文章を何も書かない日はないと言えるほどになりました。一方で、文章を読んでもらう機会は減っているように感じます。


書きたい人は、想像以上に増えている

先日参加した異業種交流会でパーソナル編集者の名刺を渡すと、「こんなお仕事があるんですね」「noteやってみたいと思ってるんです」という声をたくさん聞きました。

かつてブログは芸能人など一部の人々が運営するものでしたが、noteの登場により、特別な知識がなくても手軽に書ける環境が整いました。

noteは著名人が目立たないような場づくりがされています。誰もが「自分にもできるかも」と思える場所になっています。

創作を始めるハードルが下がったことで、「noteを始めてみたい」と思っている人は、想像以上に増えているような気がします。


いいことがあるから、書き続けられる

noteには、文章を書き続けるモチベーションを高める仕組みが散りばめられています。

記事を投稿すると「すごい!」といったメッセージが表示され、連続投稿すれば「◯日連続投稿!えらい!」と称賛の言葉が送られます。まるで編集者が作家を励ますような仕掛けです。

さらに、有料記事を執筆できる点も、書く理由の一つになっています。収益を得られる仕組みが、執筆を継続する動機につながるのは自然なことです。

いいことがあるから、書き続けられるのです。


読み手がいるから文化が育つ

書くとことと同じように、「読むこと」にもその対価として得られる「いいこと」が必要だと思っています。

文化は、受け取る人が存在することで育ちます。音楽には聴衆が必要です。映画も観る人がいるからこそ成立します。

noteの創作大賞に「ベストレビュアー賞」が設けられているのも、読み手を大切にするnote社の姿勢が見えて好きです。

書き手の数が増えた今、読み手の存在はますます重要になっているのではないでしょうか。読み手がいるから、noteの街の文化は育つのです。


読んで感想を伝えるといいことがある

読んで良かったと思った経験はいくつかあります。

noteの記事に対する感想をXでシェアすると、バッジが付与される仕組みがあります。褒め上手なnote、素敵です。

読んだ記事を200回Xでシェアした時にもらったバッジです。

noteを書いた人から「素敵な感想をありがとうございました」とお礼を言ってもらえるのも、もちろん嬉しかったです。

また、これは本当に大変なことになるのでおすすめはしませんが、Xで「いいねをつけてくれた人の記事を読んで感想を書きます」といった取り組みをするのも一案です。

この記事を書いているパーソナル編集者の渋谷は、たまにこういう投稿をXでしています。

実際、書いた文章を読んでほしいと思っている人は想像以上に多い印象で、「初めて感想を書いてもらえた、嬉しい!」とたくさんの人に喜んでもらえました。

読んで感想を伝えるといいことがある。書き手が増えたこの時代だからこそ、積極的に文章を読む側に回ることにも大きな意味があると感じました。

感想を伝えることも、立派な創作の一部なのです。

(執筆:渋谷祥平