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共鳴~Kyo-mei

先日、愛知県立芸術大学サテライトギャラリーにて開催中の
『共鳴~Kyo-mei』の展示観覧と、芸術講座に参加した。
芸術講座の内容はこうだ。

「共に鳴り、共に在る」〜拍子木の音色を見つめ、社会を考える

講師:深町浩司先生(愛知県立芸術大学教授)

誰でも簡単に音が出せる打楽器「拍子木」を用いて打楽器の高度な音色変化のメカニズムを体験しながら、私たちの身近な課題や問題への気づきに導いていく、ユニークな講座です。拍子木の木と木が触れあい「共鳴」してひとつの音色になることで、それぞれの木が互いの存在を必要とするようになることの意味を考えます。そしてその意味を、人と人が触れ合い影響し合い共存する社会のイメージに変換していきます。

拍子木を用いた、打楽器の音色変化のメカニズム。
音を鳴らさないように「触れる」動作をしたときにも感じる、打感。
拍子木を鳴らしたとき、どちらの木から音が出ているのか?という問いから、それぞれの拍子木、また、拍子木を持っている手と拍子木も「共鳴」しているという流れに。
「打楽器は触れること。触れるという行為そのものが打楽器である」

2つの拍子木が触れる(接触)し、互いに衝突することによって振動が発生し、「共鳴」する。
ワークショップでは、例えば怒りをもって拍子木を鳴らしたり、逆にやわらかいきもちで鳴らしてみたらどういう変化があるのか、ということも。
「音に感情を乗せる」といったことを耳にすることがあるが、ある感情をもって(楽器に)「触れる」ことにより発生する振動により「共鳴」した音に感情が現れる、とも考えられる。

また、他の参加者とペアを組み、打つ人、構える(打たれる)人を交互入れ替えながら、相手の打感、「触れる」を感じるワークも。
音が出ないようにそっと触れても、目を閉じても、相手の触れた瞬間、何かを感じる。音が鳴らなくても、触れた時の「何か」を感じることで「共鳴」できる。

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拍子木での接触から共鳴を、社会に置き換えたらどうだろうか、というのが、今回の講座の本題のようなものであった。
接触と衝突、そして共鳴。
深町先生も、『共鳴』というプロジェクト名だけど、普段「共鳴」という言葉を使用することはほぼないとおっしゃっていた。
その時ふと浮かんだのは、ガンダムUCだった。
モビルスーツとパイロットが共鳴するシーンがあったな、と。

他者と拍子木を用いて触れたとき、双方は「共鳴」する。
互いに「何か」を感じる。

深町先生は、打感は唯一無比の絶対的なものであり、私的なものであるから、それが何かを特段表現する必要はないと言及していた。

他者との「共鳴」で感じるものは、
必ずしも「共通認識」である必要はないのではないかと感じた。
仮に「共鳴」に「協調」を求めたら、
それは「同調圧力」になりかねないのではないか。
そんなことをわたしは考えていた。

接触、衝突、共鳴。
人と人に置き換えた時、接触しないとまず何も始まらない。
衝突というと、相反する者同士がぶつかり合う、ネガティブな意味で捉えられることが多いけれど、衝突は決して悪いことではないと考える。
「共鳴」するためには、触れ合うことが必要。
触れた先で相手の「何か」を感じることで、他者を認識し、その存在意義について考える。

最後は参加者全員で輪となり、隣の人から伝わる打感を拍子木を打つことで隣の人に伝え、アンサンブルをするというワーク。
音を聴く「聴覚」ではなく、拍子木から伝わる打感「触覚」を合わせることによって、アンサンブルをする経験はもちろん初めて。
すごくふしぎな時間であったことは間違いない。
一緒に輪を作ったみなさんは、わたしもそうであったが、自分の左隣の人からの打感を掴まえようと感覚を研ぎ澄まし、右隣の人にそれを伝えることだけに集中していたように思う。
先生も驚いてらしたけれど、テンポが走ることはなく、ゆっくりであっても速くしても、それが変わることがなかった。この理由はわからないそうですが、そんな珍しい場面を共有できたこと、共鳴できたことをうれしく思う。

シンプルだけれど、とても奥深い、考えさせられる講座内容であった。
また、このプロジェクトがコロナ禍で発表されたことが興味深いなと思う。
『共鳴~Kyo-mei』というプロジェクトはまだ始まったばかり。これからどのような展開・研究や活動をされるのか、とても楽しみである。

当日の様子について、深町先生の打楽器研究室のFBページでも紹介されているので、併せてお読みいただくと面白いと思う。

コロナ禍で、他者との触れあいを今までのようにできなかったり、
躊躇ってしまう場面が多くなっている現況。
けれど、他者と触れる方法って、いろいろあるのではないかと、
『共鳴』のワークショップを通じて思ったことだ。
直接的ではなくても、他者と触れあい、共鳴できる。

やさしさは伝播すると、わたしに教えてくれた人がいる。
自分にとって大切な人には、
直接でなかったとしても、やさしく触れたいと思う。

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