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映画『2001年宇宙の旅』 (ネタバレ感想文 )キューブリックは頭がオカシイ

30年ぶりくらいの鑑賞。初めてスクリーンで観ることができたことに興奮を禁じ得ない。午前十時の映画祭に感謝。

本当に久しぶりに観たんだけど細かいシーンまでよく覚えていて(若い頃何度も観ている)、実を言うと物語的には新たな発見は無かった。てゆーか、元から理解できる物語じゃないし、理解する気もないしね。

ところが、テレビサイズじゃ気付かなかった画面上の発見はあったんです。どこかで誰かも言ってるけど、宇宙船の窓とかに細かいはめ込み合成が多数あるの。何言ってるか分からないって?ミニチュアの中で人が動いてるんだよ。デカいスクリーン(しかも最前列)で始めて気付いた。めちゃくちゃ手間かかってるよ、これ。キューブリックは頭がオカシイ。

そもそもこんな話を映画化しようと発想すること自体、頭がオカシイんですよ。
今さら言うまでもないけど『猿の惑星』と同じ年だからね。1968年はSF映画2大金字塔が生まれた年。

さらに言うとね、「無音」に耐えられる神経も頭がオカシイ。
後に『2010年』(84年)も観てるのですが、ピーター・ハイアムズは無音に全然耐えられないらしく、すぐに喋ったり音を付けたりしちゃうんですよ。でもそれが普通だと思うんです。
逆に言えば、キューブリックは自分の撮った画力に「無音でも魅せられる」自信があったのかもしれませんけどね。

当時としては(あるいは今でも)革新的・前衛的過ぎて、製作エピソードやら撮影技法の発明やらとにかく「伝説」の多い映画ですが(それをいちいち拾う気はありませんが)、どれもこれも「キューブリック頭オカシイ」エピソードなんですよ。

じゃあキューブリックは狂人かというと全然そんなことはなくて(変人かもしれないけど)、もの凄い計算の上にこの映画は成り立っているように思うのです。
簡単に言えば、この映画の最大の魅力はキューブリックの「巧さ」。構図の取り方、カットのつなぎ方、音の扱い、etc.、本当に目を見張るほど「巧い」。

例えば、月面でモノリスに出会うシーン。
採掘現場に近づくシーンで手持ちカメラを用いるんですよ。この手持ちカメラ一つで生まれる臨場感と緊張感。

例えば、呼吸音。
「無音に耐えられる神経がオカシイ」と前述しましたが、この呼吸音があるから無音がより一層生きることを承知でやっている。

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この映画、テーマや難解な内容、撮影方法、ナレーション不使用(説明不足)などが重なって革新的・前衛的な印象ばかりが強くありますが、実は撮影・編集テクニックはオーソドックスとも言えるほど丹念で丁寧なのです。
HAL9000の視線なんてカット割りの教科書だ!

その哲学的な内容に目を奪われがちですが、正統派テクニックに支えられた完成度の高い革新的前衛芸術映画なのです。

余談
それでもあえて内容について触れます。
キューブリック幻のデビュー作『恐怖と欲望』(53年)を観た時に気付いたんです。その映画の冒頭に「これはフィクションだけど普遍の物語だ」といった意味のナレーションが入るんですね。
おそらくキューブリックは「フィクションを通して普遍の物語を描く」作家だったのです。

では何が「普遍の物語」なのか?
戦場であれ、山荘であれ、宇宙であれ、近未来でも古代でも中世でも、キューブリックが描こうとしたのは普遍的な「人間性」だったのではないか。そして彼は「普遍的な人間性」をあぶり出すために、ほぼ常に「恐怖と欲望」を巧みに描いてきたのではあるまいか。

この映画は、「人間はどこから来てどこへ行くのか」を知りたいという普遍的な「欲望」と、それを知る過程で避けられない「恐怖」を描いた野心作だったのかもしれません。

(2021.07.24 TOHOシネマズ南大沢にて再鑑賞 ★★★★★)

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監督:スタンリー・キューブリック/1968年 米

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