映画『苦い涙』 ジャンル不明の郷愁と見苦しさを笑う悲喜劇(ネタバレ感想文 )
面白かったんですよねえ。ゲラゲラ笑っちゃった。
本人は真面目に真剣にジタバタしてるんだけど、それが見苦しくって、その様を傍から見ると可笑しくって仕方がない。という映画。
フランソワ・オゾンは『まぼろし』(2000年)以来の長いお付き合いです。
作品ごとにいろんなことをやってくる監督なので、あまり似たパターンというものがないイメージですが、この作品は『8人の女たち』(02年)に似てるように思います。
なんだか凄いものを見せられたようなような、そうでもないような……。
そういう感覚。
真面目に観るべき映画なのか、コメディー的に観るべきなのか、よく分からない(笑)
なんでも、ドイツの映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの作品を翻案したとか。
でも私、ファスビンダー作品って観たことないんです。
てゆーか、ファスビンダーとヴェルナー・ヘルツォークがごっちゃになるんだ。『アギーレ/神の怒り』(1972年)はどっちだよ?ヘルツォークか。観てないけど。じゃあファスビンダーは何だよ?ああ、『マリア・ブラウンの結婚』(79年)か。やっぱり観てないけど。
2022年のフランス映画である本作は、「大胆な翻案」と言いながら、舞台は1970年代初頭の西ドイツそのままなんですよね。
劇中、「(俳優として成功した彼が)ゼフィレッリの映画に出てる」「あのオペラ野郎か!」みたいな台詞がありますが、これはイタリアの映画監督フランコ・ゼッフィレッリのことでしょう。オリヴィア・ハッセー『ロミオとジュリエット』(68年)の監督ね。
なぜ55歳のオゾンが、この同性愛にまつわる作品を現代に置き換えず、70年代初頭のまま描いたのか、その理由は分かりません。
ただ私は、ごつい映画のカメラとフィルム編集にグッときたんです。
そのためにオゾンが時代設定を変えなかったとは思いませんけど、でも現代だったら、コンパクトなビデオカメラかスマホで撮影して、PC画面かせいぜい大きなモニターで映し出したでしょう。
でもねえ、フィルムを編集しているシーンを入れるんですよ。
これは意図的だとしか思えない。
チャン・イーモウ『ワン・セカンド』(2020年)にも似た、監督の郷愁を感じるんです。
実は私、オゾンと同い年なんで、ちょっと分かるんです。
「俺、子供の頃、こんなの好きだったんだ」って言いたい。
「あの頃面白いと思ったあれ、今の俺ならこうするな」的なこと。
ファスビンダーのオリジナル『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』(72年)製作時、オゾンは5歳ですから、オゾンがこの映画やファスビンダーに触れるのは後年だと思うんです。でもそれはもう俺が中高生頃にサディスティック・ミカ・バンドにはまったのと一緒じゃないですか(<知らねーよ)。
話戻って、あのフィルムに、映画監督としての「愛」があるように思えるのです。
そもそも、こんな時代に劇場映画なんか撮ってること自体が「見苦しいほどの愛」かもしれないという、オゾンの自虐なのかもしれません。
(2023.06.04 ヒューマントラストシネマ有楽町にて鑑賞 ★★★★☆)