映画『青葉繁れる』 敏八じゃなくて喜八の「八月の濡れた砂」(ネタバレ感想文 )
井上ひさしの1950年代の実体験を基にした原作を、岡本喜八が1970年代に舞台を置き換えた映画。
秋吉久美子演じるヒロイン若山ひろ子のモデルは、井上ひさしの同学年で、当時戦争で仙台に疎開していた若尾文子らしいですよ。
私、「岡本喜八大好き!」と標榜しておきながら、観てない作品がまだいくつかありまして。これもその一本でしたが、機会があって大きな画面で鑑賞。
ひさしと喜八の「アンチきれい事」だと思うんです。
青春なんて綺麗なもんじゃねーんだよ、という反骨精神です。
なんだよ、ロミジュリ。若い男女の恋愛がそんな美談で終わるわけねーだろって話です。
ついでに言うと、英語の先生が「おーロミオ!」というシーンがあるんですが、その先に神棚が映ってるんですよ。
これはおそらく意図的な演出で、ほんの30年前まで「鬼畜米英」言うとったのに今じゃシェイクスピアをありがたがっているという、岡本喜八のテーマ「戦中派の恨み節」だと思うんです。
役者について語ると、今でこそ草刈正雄に秋吉久美子に丹波哲郎の息子ですが、本作製作時点の1974年、草刈正雄は同年に東宝専属になって俳優活動を開始、丹波哲郎の息子も本作が事実上俳優デビュー、秋吉久美子も同年の藤田敏八監督作品『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』でブレイクしたわけです。
つまり、当時は3人とも役者としてはまだ無名に近かった状況ではないかと思います。
その秋吉久美子のキャリアを見て藤田敏八で気付いたんですが、この映画は岡本喜八流『八月の濡れた砂』(1971年)なのではないかと思い始めました。好きなんすよ、『八月の濡れた砂』。
政治の季節が終わって、いわゆる「しらけ世代」に至る若者達の物語。
それにほら、『八月の濡れた砂』も『青葉繁れる』 も、今ならコンプラ的に全アウト。『八月の濡れた砂』の予告なんか「姦れ!殺れ!」言うとりますからね。
不適切にもほどがある。
余談
喜八プロダクションのツイートで、「『青葉繁れる』を撮った1974年で岡本喜八は東宝を離れます」というのがあったけど、間違いだと思うんです。
確かに喜八プロダクションを設立したのは1974年ですが、東宝を辞めるのは76年。岡本喜八本人もインタビューで「東宝に在籍したまま」と言ってるし。
余談2
撮影が木村大作なんだけど、岡本喜八の話によれば、この作品から固定カメラをやめて「手持ちカメラ」にしたんだとか。
そういった意味では、喜八研究上重要な作品の一つかもしれません。
(2024.05.12 川崎市アートセンターにて鑑賞 ★★★★☆)
私がnoteに感想文を書いた岡本喜八監督作品