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映画『晩春』 もらとりあむ紀子(ネタバレ感想文)

監督:小津安二郎/1949年 日

何度も観ている気がしていて話もよく覚えているつもりだった映画でしたが、約30年ぶりの再鑑賞でした。なんか英語字幕付きで邪魔だった(笑)。

小津映画のミューズ原節子演じる「紀子」三部作の一作目。
小津映画の定番「嫁に出すだの出さねーだの話」という「小津映画のイデア」は、実は本作が最初。
今さら気付いたのですが、オリジナル脚本ではなくて原作があったんですね。てっきり、「嫁に出すだの出さねーだの話」は小津と野田高梧のオリジナルだと思っていました。今ならハラスメント要素いっぱいですけどね。
ついでに言うなら「同窓会をやるだのやらねーだの話」も定番なんですが、本作は父親じゃなくて娘の方でした。

もう一つついでに言うと、山下敦弘『もらとりあむタマ子』(2013年)という映画があるんですが、『晩春』の本歌取りだと私は思ってるんです。
前田敦子演じる娘が大学卒業後就職もせずに父親が1人で暮らす実家に寄生する話で、「嫁に出すだの出さねーだの話」ではないのですが、実家を出ていけだの出ていかないだの話で、父親の再婚話が持ち上がったりするんですよ。

至って現代的な『晩春』だと思ってるんですが、逆に『晩春』の紀子も、いや笠智衆も含めた父娘とも、「モラトリアム」だったんじゃないかと思うんです。
ま、当時はそんな言葉はありませんでしたけどね。

この映画、やたら「壺」について語られがちなんですが、あのシーンね、カット割りが不自然なんですよ。
小津映画は画面の構図とか繋ぎとか完璧で、同じ日に人気ドラマの劇場版を地上波で観始めたら構図とか繋ぎとかが無意味すぎて小津映画との落差に10分と耐えられずにテレビを消したという恨み節はさておき、諸々完璧な小津映画の画面の中でこの「壺」は異質な繋ぎなんです。不自然で異質なもんだから「何だこれ?」「何か意味があるのでは?」ということになるんです。
ま、私はその意図を読み解く気はありませんけどね。その解釈がこの映画の核心だとは思えないので。

私が小津映画の核心だと思ってよく言うのは「時代の変化」を描いている点だということです。価値観の変容と言ってもいい。
この映画は1949年(昭和24年)、戦後4年経った日常のリアルが描かれています。
さり気なく、娘は戦時中に身体を悪くしたがもう良くなってきているという話が出てきます。これは戦争の傷が癒え始めた当時の日本の暗喩メタファーだと思うんです。
デカデカとコカ・コーラの看板が掲げられているのも、またリアル。

杉村春子がやたらと「今どきの若い人は」という話をしますが、叔父の再婚を「汚らわしい」という紀子は「ニ夫にまみえず」という戦前の教育を受けた女性なんだと思うのです。古い価値観の象徴。
そんな古い価値観の彼女に「これからはあなたたちが世の中を作っていくんだよ」と諭す映画です。

そういった意味では、その説教が長い気がするんです。

もっとこなれた形で提示できているのが『東京物語』(1953年)だと思うんですが、『東京物語』が小津の本質かと言うと、それもまた違う気がしていています。例えるなら、オフコースの『さよなら』みたいな感じ。一番有名な売れ線作品ですが、その作家性の芯を食った作品はそれじゃないと思うんです。特にオフコースファンでもないんですけどね。

余談
本当は、同じ年の黒澤明『野良犬』、今井正『青い山脈』との比較から昭和24年という時代を読み解こうかと思ったのですが、長くなるのでやめます。
長くなるならオフコースとか言い出さなきゃいいのに。

(2025.01.04 早稲田松竹にて再鑑賞 ★★★★☆)

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