見出し画像

日本の教育はそんなに悪くない。ていうか素晴らしい

★はじめに

日本の教育(特に公立の義務教育)については、いろいろと議論がなされていると思いますが、私個人的に日本の教育や教育をめぐる環境について、やはり素晴らしい点が多くあるなあと、今さら子育てを終えた身ですが、書いてみたいと思います。あくまでも個人的な意見です。後、もう少し改善したらもっといいのになぁと思う点も含めて書いて見ようかと思います。

★日本全国どこでも義務教育が受けられる

これは実は日本くらいの大きさの国で、日本くらいの人口規模の国ではなかなか実現しにくいことです。え?日本って小さいやん!と、思ったそこの貴方、どの国と比べていますか?中国?アメリカ?ロシア?
実は日本は地理的にも北海道から沖縄までかなり大きな国です。地理条件も違うし、気候風土も違います。それでも都会でも田舎でもきちんと義務教育がそれなりの設備と人的投資をされて行われている国はめずらしいのではないかと思います。先人の努力家に感謝しています。

★日本語教育は素晴らしい

実は日本語というのは、世界的にも特殊な言語で、まぁ、そのため英語を長年習っても聞いたり話したり出来ないなどという人もいますが、それは間違い。日本語が素晴らしい原語だからです。たとえ日本語しか使えなくても今に至るまで多くの人がノーベル賞を獲得したり、世界的にも先端技術を開発したり、新幹線を走らせたり、大きな橋をかけたり、迷路のような地下鉄網を作りあげたりしました。ほかの言語では表せないような抽象的な概念も複雑な理論も医学用語もすべて日本語でまかなえてしまうのです。そんな言語は世界中探してもそうそうありません。おまけに詩的な表現や文学作品にしても、実に日本人独特のエッセンスが詰まった言語になります。日本人が持つ独自の感性や世界観がぎゅっと凝縮されたもの、それこそが日本語なのです。毎日日本語を勉強してるしたり、読んだり書いたり喋ったりしているだけで、私達は日本の文化や歴史や慣習をずっと後の世代に引き継ぐ役目を果たしています。私は英語をずっと習っていますが、英語を勉強すればするほどそのことに気付かされます。

★プールがある

日本は四方を海で囲まれた地理条件からか、泳ぐことも教育の一環と捉えられるのかもしれません。最近は着衣水泳の授業とかで、船が遭難した時にどうやって身を守って浮いていられるか教えているところもあるようですが、それにしても各学校に必ずプールがあり、きちんと水泳を教えてくれるのはありがたい事です。日本以外の国で、そんなことまでやってくれる国は私は知りません。水泳などというものは他の国ではお稽古事の範疇です。それなりに水に慣れる事を教えてくれるのは良い経験になるはずです。

★社会科見学、林間学校、修学旅行

このような学外のイベントが充実しているのも日本の教育の特徴です。実際に色々な仕事場に出向いて仕事をしている人達、地元の会社などに出向いて肌で感じる授業は教室で習うよりずっと経験値としては高いものになるでしょう。林間学校や修学旅行は、親と離れて自然の中や観光地で友達同士で交流を深めるのにはとても良い事です。もちろん日本以外の国でも、サマーキャンプやスクールトリップはやっているところはあると思いますが、学校によりけりな部分が多いですね。義務教育のうちに誰もが経験出来るというのはありがたい事だと思います。


★給食、掃除当番

日本の給食のレベルは散々Youtubeなどでも紹介されているのでご存じの方も多いと思います。地産地消で栄養士の方々が工夫を凝らした給食は全世界の憧れの的です。自分達で用意や後片付けをするのも自律性が育まれていいと思います。掃除については日本以外の国はまずありません。自分達で使う教室や公用部分は自分達で綺麗にするという事を幼い頃からやる習慣をつけるのはとても大切です。日本の街が綺麗と言われるのもひょっとしたらそういう教育的な観点も作用しているのかもしれません。個人差は大きいと思いますが、国単位で見た時にやはり日本人の衛生観念は飛び抜けて高いと感じます。それは健康や長寿と知らず知らずのうちに結びついているのかもしれません。

★徒歩で通学

これも「はじめてのおつかい」がNetflixで公開して初めて日本以外の国の人達が口を開けて驚きました。あんなに幼い子ども達や小学生がだれの付き添いもなく、自分達だけでお使いや通学が出来るのは日本ならではです。
もちろん治安がいいと言うのは最低条件ですが、都市計画(徒歩優先の社会)、ドライバーの常識、地域社会の見守り、社会が相互的に子どもが伸び伸びしやすい環境である事。色々な条件が重なって子ども達だけで通学させる事が出来ます。それはそれだけで世界に誇れる環境です。子どもに優しい街作りは、女性やお年寄り、障害を持った人にも結果的には優しい街になるからです。

★ランドセルはいるのか?

ここからはわたしの個人的な意見ですが、昨今のランドセルフィーバーは少し加熱しすぎな点が残念です。所詮子どもが毎日乱雑に扱うランドセルはそこまで高価なものでなくても、ある程度の頑丈さと軽さを兼ね備えたタイプであれば、特にランドセルにこだわる必要はないのではないかと思います。そうでなくても教科書の紙の質がどんどん上がり、教科書は重い、最近はタブレット端末も入れなければなりません。もう少し安価で誰もが背負いやすい代替品がでればいいのにと感じます。


★組体操は不要

日本の運動会は、それは楽しい時間です。もちろん教育的要素も兼ね備えていますが、最近薄れる傾向にある地域の繋がりが感じられる数少ないイベントですが、組体操やそれにはまつわる練習が酷すぎます。チームで何かを成し遂げる経験は誰しも必要ですが、やはり危険過ぎる。あそこまで必死になってやるものでもないような気もします。チームで何かをする経験は組体操でなくてもできるでしょう。これは即変えてほしいですね。

★先生だけが正解を知っている

日本の授業の場では、唯一無二の答えを先生だけが知っていて、答えを導き出すのに、まず間違えそうな子を指差して、間違えさせてから、正解を知っている子を指差すという雰囲気があります。もちろんこのやり方も過去は良く出来たやり方だったのかもしれません。しかし、それは世の中がある程度予測がついて皆一つの道に沿って歩いていればやがて幸せに辿り着くという画一的な価値観が幅をきかせていた時代の産物です。これからの世の中はもっと混沌としていて、予測もつかない、スピードは速まる、何が正解で何が不正解かすら怪しい時代です。だから子ども達に唯一無二の正解を教えるよりも、いろいろな方向から答えの無い問いにアプローチしていくようなそんなプロセスが求められるのではないでしょうか。結論は出なかったけど、今日の議論は興味深かっただとか、後で図書館でもう少し調べて見ようだとか、家に帰ってお父さん、お母さんにも意見を聞いて見ようだとか、そのように「思考し続ける」習慣を付けていくのもこれからの教育に求められるものなのではないかと思います。


ここまでつらつらと書いてみましたが、また思いついたら続きも書いてみたいと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集