休むのが上手くなりたいのです。
先日、仕事のしかたを変えなければならないと思ったことを書いた。
それと同時に考えなければならないのは、休む時間の使い方だ。
私はこれまで生きてきた人生の時間、明確に「休み」だと意識していた時間はかなり短かったと思う。それは、この研究室生活を送ってきた6年間を例にとって考えると、本業である研究活動の時間はもちろん休みではないし、それ以外には、地域の子育てコミュニティの活動をしていて、その取りまとめ役としての仕事チックなことをやっていたりしたのもあって、平日昼間以外の時間をその活動に当てることも多かった。
そうなると、おのずと「自分が積極的に自分を休める時間」という時間は無くなった。
ただし、「無くなった」、というよりは、「無くて良かった」という感覚に近いかもしれない。
研究も、コミュニティ活動も、それ以外のサークル活動や友達とのプライベートの時間も、やりたいと思ってやっていたことだったから、自分の生きている時間は全てシームレスに繋がっていて、そのときどきでそれぞれ、やりたいことやそのために必要なことをする時間として時間を使ってきた。
だから、意識的に自分だけの休みを取って自分自身に与える、ということをしてこなかったのだ。
そういう時間の使い方をしていると生まれる1つの弊害が、「休みを取るのが下手になる」ということだ。
自分としては今までと同じような時間の使い方をしているだけなのに、実際には年齢を重ねていたり、環境からの思わぬストレスを抱えていたりして、体の反応は今までと異なるような気がするときがあるのである。
先日、夜の帰宅途中に頭痛が続くなぁと思って、今日は早めに寝ようかと横になった後、突然の吐き気に襲われてトイレで嘔吐してしまった。
熱もなく、その後も全く何ともなく、食欲も普通だし、あれは一体何だったのか、と思わざるを得ないような不意の体調不良を経験した。
こんなことは生まれてこのかた、初めての経験である。
そういう突然の体調不良に襲われる経験をすると、あぁ自分ってもしかして、そうやって不意に死ぬ可能性もあるのかもしれない、と思って、より大事に人生の時間を使おうと思ったりもするのだ。
だから、そうなる前に本当は、もう少し休みを上手く取れるような大人になっていたいのだ。
休みの日と決めたら、しっかり休もう。
休むときはしっかり、飽きるぐらい休むことが大事なのだ。
仕事の時間と決めたら、しっかり仕事をしよう。
で、仕事は仕事としてクオリティを求め過ぎず、ある程度割り切ってやろう。
クオリティを突き詰めたくなったら、それはもう趣味にしてしまおう。
その代わり、徹底的に時間の使い方を考えて、決めよう。
時間をダラダラ使うのをやめよう。ゴロゴロしたり、ダラダラする時間があってももちろんいいが、だとしたら、この時間はダラダラする、ということをしっかり決めてダラダラするのだ。
時間を何に使うのか自分の中でしっかり決めて、人生の総体としての充実度を上げるのが目標だ。