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不健康な食品はせめて美味しくあってほしいのです。

私は食へのこだわりが無いことから、時間が無いときや移動に時間がかかるときなどは、昼食や夕食を総菜パンなどの軽食で済ますことがよくある。

特に修士学生のときは、毎日のように夜遅く帰っていたから、研究室を出てすぐのコンビニでパンを購入し、駅に到着するまで歩いている間に食べて夕食とすることもあった。

しかし、そういう総菜パンは健康の観点からすると間違いなく良くないだろう、ということはすでにわかっているから、さすがに博士課程に進んでからは毎日のように食べることは無くなった。

ただ、それでも、1食分をそういう軽食で済ませることは、私にとっては普通のことなのだ。

さっき、何の気なしにスーパーの総菜パンを食べていて、ふと思ったことがある。

なんだか、中身が詰まっていない。空虚な何かを食べているような気がする。

そのように感じたのは、健康の観点と手軽さの観点から私が生活に導入することにした「完全栄養パン」の影響があるだろう、と思った。

完全栄養パンは、通常の総菜パンと比較すると少々高級だが、その分、栄養価が豊富に含まれている商品で、手軽なダイエット食として人気が高まっているようだ。最近ではコンビニでも購入できる店舗が増えてきている。

私は、どうせ軽食になることが多いのだったら研究室に常備してしまえ、ということで、この1年間くらい定期購入してお世話になっている。私の博士論文は、この完全栄養パンと共に作り上げられたと言っても過言ではない(さすがに過言である)。

完全栄養パンは全粒粉の小麦を使用していることから、最初に食べたときは普通のパンとの違いを感じて食べにくさを感じることもあったが、今ではすっかり慣れてしまった。

いや、慣れてしまったというよりも、十分おいしく食べることができており、コンビニの総菜パンと比較するとその満足感は比べ物にならない。

普段摂取しづらい栄養価が含まれている(らしい)し、しっかり中身が詰まっている感じがしてお腹にも溜まるし、それなりにおいしいとなれば、少々高級でも購入する価値はあるだろうと私は判断した。

コンビニの総菜パンなどの類の商品について私が納得いかないのは、「不健康な食品であるならば、せめて美味しくあれ」ということだ。

そういう商品はきっと、多種多様な化学物質から構成される添加物をたくさん含んでいるくせに、それでもおいしく感じないとなったら、競争できる価値は「安さ」だけになってしまうのではないか。

家系ラーメンなら納得がいく。なぜなら、家系ラーメンなどに代表される超絶高カロリー食は、悪魔的に美味い。悪魔的に美味いからこそ、あの値段と高カロリーが許されているのだ。健康と美味しさがきちんとトレードオフの関係になっているのである。

思いつくままに不満を書いたらなんだか関係ない話になってきたので、今日はここでおしまいです。

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ともやの思考整理日記
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