見出し画像

お金で幸せは買えるのか

日記第2号!明日プレゼンがあるって知って何もやってなくて激焦りしてます。


こんなことやってる場合じゃなさそうだけど、今日サボったら三日坊主どころか初日坊主になりかねないので、書いていきたいところ。

さて、今日の話は、幸せはお金で買えるのかってことですね。


今日大学の授業のディスカッションでその話を持ち出した人がいた上に最近似た話を本で読んだので、ちょっと考えてみることにした。


お金で幸せは買えるのか


この話をするにはまず、幸せを定義しなくてはいけない。

自分で考えてみてほしい。

自分にとって幸せとは何か?

就活の面接で聞かれるかもしれないよ。

考えてみてわかる通り、幸せの定義は難しい。

それは億万長者になることなのか、はたまた、結婚することなのか、あるいは、友達ができることなのか。

幸福は主観的な感情でしかないから、個人差が生まれるのは当然なのだと思う。

故に、誰もが納得する定義をすることは不可能だろう。

しかしながら、逆にこうも言える。

当人が幸せだというなら幸せなのではないか。

それは他の誰も否定できないし、曲げることもできない。

いじめられた人がいじめだと感じたら、それはいじめだ、ということと同じなのかもしれない。

そんな抽象的な概念の塊である幸せをお金で買うことはできるのか。

そもそも、お金は価値の媒体として、具象同士を交換するためにある。そのため、抽象概念の交換には向いていないのだ。

いくらサービス業と言ったって、目に見えるサービスがあり、それが形として存在している以上具象に分類されるとしか言いようがない。

では、僕の結論を言おう。

僕は、お金で幸せは直接買うことはできない。しかし、間接的に買うことができると思う。

ある大学の研究によると(DA○GOじゃないよ)被験者が同じものを買ったとしても、自分に対して買った時よりも他人のために買った時の方が被験者の幸福度が高かったと言われている。

このことから、人が幸福感を感じているときは人間関係がうまくいっている時なのではないかと考えられる。

誰かのためにお金を使うということは、相手に対して仲良くなりたいなどと、一定の好意を抱いていることが前提となっている。もちろん強制的でなければだが。

故に、この行為はある意味相手への投資であり、それが当たるか外れるかはわからないのだ。

もし、相手が喜んだら幸せを感じるだろうが、そうでなかったらどうだろうか、幸せなんて言ってられないのではないだろうか。

以上のことを踏まえると、僕らは幸せという物自体を買うことは不可能である。しかし、自分の求める幸せを手に入れるための投資は可能である。

彼女が欲しければ、仲良くなった子に何か買ってあげるとか、ある意味自然な形で行われていたりもする。

そのため、僕らは幸せを掴むためのお金の使い方を日々考えなくてはいけないのではないだろうか?


今日の一言

お金を使うとは、幸せへの投資でなければならない。

ではまた。プレゼン頑張ります。


いいなと思ったら応援しよう!