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内田樹著作総索引の試み
はじめに
本稿は、「内田樹の著作を読むときのための総索引」として編集されています。したがって、当然ながら内田樹(あるいは内田樹に近接する人々)に偏重した内容になることが想定される。そして索引の特性上、私見が入り込む余地はほとんどなく、キーワードの取捨選択が筆者の仕事になります。
また、内田樹の著作に精通した方からすれば、「説明が不十分である」や「内容に偏りがある」といったご指摘が予想されます。その点に関しては、記事公開後にも、本文に随時加筆修正を加えてゆくので、どうかご容赦願いたい。
翻って、内田樹の作品に初めて触れる方からすれば、「色々と羅列してあるが、結局、どれを読めばいいのか」という、当然の疑問を持たれるのではないでしょうか。この点に関しては、稿を改めて論じるので、しばらくお待ちください。
内田樹は、著作権について以下のように述べています。
「僕は基本的にコピーライトというものに懐疑的な立場です。僕は言いたいことがあるのでものを書いている。僕の考え方に同意してくれる人がひとりでも増えることを願っている。だから、誰かが僕の書いたことを切り貼りしたり、コピーしたりしたものを『これが自分の意見である』として発表してもらってもぜんぜん構わない」。
筆者はこの言明に従い、内田樹の書籍から大胆に引用したい。
この試みを通して、現代を代表する柔軟な知性の持ち主、内田樹が如何に思考し、それを表現するのか、その一端に触れることができれば幸いです。
内田樹略年譜
内田樹著作目録
内田樹インタビュー
内田先生に「内田樹」についてお聞きしたインタビュー記事。
内田樹帯文(推薦文)一覧
別稿で、内田先生が手がけた帯文(推薦文)をまとめています。
謝辞
当記事を公開するにあたり、内田樹先生からご了承いただきました。この場を借りて、内田先生に深く御礼申し上げます。また、総索引を作成するにあたり、「内田樹」研究者の朴東燮先生に適切なご助言を賜りました。ここに心から感謝の意を表します。そして、本文中の敬称略お許しください。
推奨環境について
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〈以下、50音順〉
総索引
あ行
青木真兵
埼玉県出身の古代地中海史研究者。奈良県東吉野村在住。妻の青木海青子と共に自宅を開放し、人文系私設図書館「Lucha Libro」(ルチャ・リブロ)を運営している。ネットラヂオ「オムライスラヂオ」を配信。主著に、青木海青子との共著『彼岸の図書館 ぼくたちの「移住」のかたち』(2019)『山學ノオト』(2020)『本が語ること、語らせること』(2022)などがある。内田は、「オムライスラヂオ」に複数回出演しており、内田が編者を務めた『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』(2020)に、青木は「楽しい生活 僕らのVita Activa」を寄稿している。(1983〜)。
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青木海青子
兵庫県生まれ。人文系私設図書館「Lucha Libro」司書。7年間の大学図書館司書を経て、2016年に奈良県東吉野村に移住。夫の青木真兵との共著の他に、単著『本が語ること、語らせること』(2022)『不完全な司書』(2023)がある。「Aokimiako」の屋号で刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。(1985〜)。
青山ゆみこ
神戸市生まれのライター、編集者。神戸松蔭女子学院大学非常勤講師。主著に『人生最後のご馳走』(2019)『ほんのちょっと当事者』(2019)『元気じゃないけど、悪くない』(2024)など。青山は、『街場の文体論』文庫版(2016)の「解説」を担当している。(1971〜)。
青山は、内田について次のように述べている。
「自分に対して『教えてくれ』と必死にすがってくる人間を、内田先生は見捨てない。真摯に向き合って答えようとする。それから長くお付き合いいただいているが(合気道の『師』ともなった)、変わらずそういうひとなのだ」。
悪
「『急いでいる人』は別に資質的に悪人であるわけではありません。ただ、『今ここに居着いている』だけです。それがどれくらい自分自身の生きる知恵と力を損なうことであるかが分かっていないだけです。けれども、そういう人たちが集団の方向を決めたり、公共的な制度を設計することを通じて、他人の運命に関与することに僕は同意しません。彼らの『生きる知恵の欠如と、生きる力の貧しさ』は公的な制度を通じて、集団全体に感染するからです。僕はそれが『悪』の今日的な、最も凡庸で、最も有害な形態だと思っています」。
「悪は局在するわけではない。それはシステムに遍在する。システムそのものが悪を分泌している。そして、僕たちはそのシステムに組み込まれ、システムに育てられ、システムに養われている」。
悪魔
「悪魔は『堕天使』ですから、原理的に善に遅れている。つまり、悪魔には自主性がない。『善』の網羅的なリストを手にもって、つねに自分の行動をチェックしていないと、うっかりすると、善行をアシストしたり、悪行の実現を妨げたりしかねない。それでは悪魔は勤まりません」。
安倍晋三
山口県出身の政治家。第90代、第96代、第97代、第98代内閣総理大臣。1993年に衆議院議員に初当選。以来、9期連続当選。内閣官房副長官、自由民主党幹事長、内閣官房長官を経て、2006年に総理大臣に就任。2012年に総理大臣に復帰を果たすと、連続在職日数の歴代最長を更新した。が、2020年8月に辞任。2022年7月に演説中に撃たれ死亡。(1954〜2022)。
内田は、安倍晋三について以下のように述べている。
「安倍晋三がこれだけ長期政権を維持できた理由の一つは、彼が人間の『性根の卑しさ』を熟知しているという点にあると思います。どれほど偉そうなことを言っている人間でも、ポストを約束し、金をつかませ、寿司を食わせれば尻尾を振ってくる。反抗的な人間も、恫喝を加えればたちまち腰砕けになる。人間は誰もが弱く、利己心に支配されている。口ではたいそうなことを言っている人間も、一皮剥けば『欲』と『恐怖』で動かせる。この人間『蔑視』において、人間の自尊心についての虚無的な考え方において、安倍首相は歴代首相を見てもなかなか比肩する人が見出し難い。人間の欲心と弱さにフォーカスして政権運営をしているという点では卓越していると言ってよいでしょう」。
アドルフ・ヒトラー
ドイツの政治家。第一次世界大戦に参加。敗戦後はナチスの前身であるドイツ労働者党に加入し、1921年に同党党首となる。1933年、国会第一党党首として首相に就任。翌年大統領職を兼ねて総統と称し、以後独裁政治によって対外侵略を強行。1939年には第二次世界大戦を開始、1945年に敗戦を目前に自殺。(1889〜1945)。
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宛て先
「メッセージの内容を理解するということと、自分がメッセージの宛て先だと分かるということは次元の違う出来事である。どれほど難解で、理解を絶したメッセージであっても、それが自分宛てであるかないかは分かる。目を眩ませ、耳を聾し、肌を打つものが、他ならぬ私をめざして逼迫してきているということは分かる」。
アルフレッド・ヒッチコック
イギリス出身のアメリカの映画監督。サスペンス映画の第一人者。代表作に『裏窓』(1954)『めまい』(1958)『北北西に進路を取れ』(1959)など。内田はこれまでに、『サイコ』(1960)『鳥』(1963)『北北西に進路を取れ』『裏窓』を取り上げて論じている。(1899〜1980)。
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アルベール・カミュ
フランスの小説家、評論家。第二次大戦中、レジスタンスに参加。不条理の哲学を追求。1957年にノーベル文学賞受賞。主著に『異邦人』(1942)『カリギュラ』(1945)『ペスト』(1947)など。内田の初期の研究業績は、「19世紀の終わりから20世紀にかけてのフランスの反ユダヤ主義と極右の政治思想」、「レヴィナス哲学」、そして「アルベール・カミュ」に集中している。(1913〜1960)。
「カミュ哲学の伝道師」を自任する内田は、カミュについて以下のように述べている。
「アルベール・カミュの作家的天才は、『頭で考えると理不尽に思えるけれども、身体のどこかが納得している』という分裂を読者自身の内部に生み出す力に存するのではないか」。
「彼の個性はきわだって性能のよい身体と、きわだって性能のよい文体を持っていたことである。生々しく、微細で、とらえがたい出来事を味わい尽くすことができる抜群に感度のよい身体と、そのような出来事を記述することのできるデリケートな文体を有していた。卓越した身体と、卓越した文体。この二つの『体』がカミュの利器であり、同時代のすべての哲学者に対する圧倒的なアドバンテージであった」。
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アレクサンドル・コジェーヴ
ロシア生まれのフランスの哲学者。パリで行われたコジェーヴのヘーゲル講義(1933〜1939)には、レイモン・アロン、ジョルジュ・バタイユ、ピエール・クロソウスキー、ジャン・ヴァール、ジャック・ラカン、モーリス・メルロー=ポンティ、レイモン・クノー、ロジェ・カイヨワ、ジャン=ポール・サルトルらが聴講生として参加。内田は、「コジェーヴのヘーゲル講義は一九三〇年代のパリの知識人に計り知れない影響を与えた」(内田樹「第Ⅳ講の読解」『レヴィナスの時間論 『時間と他者を読む』新教出版社 2022年 335頁)と、指摘している。(1902〜1968)。
アンドレ・ブルトン
フランスの詩人、作家。シュルレアリスムの創始者。1919年にルイ・アラゴン、フィリップ・スーポーとともに、雑誌『文学』を創刊、同誌にスーポーと共同で自動記述による最初の作品『磁場』(1920)を発表した。主著に、詩集『白髪の拳銃』(1932)散文作品に『ナジャ』(1928)『狂気の愛』(1937)など。(1896〜1966)。
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家
「『家』は何よりもまず『集団内でいちばん弱いメンバー』のためのものであるべきだとぼくは思います。幼児や妊婦や病人や老人が、『そこでならほっと安心できる場所』であるように家は設計されなければいけない。家は、メンバーのポテンシャルを高めたり、競争に勝つために鍛えたりするための場じゃない。そういう機会なら家の外にいくらでもある。家というのは、外に出て、傷つき、力尽き、壊れてしまったメンバーがその傷を癒して、また外へ出て行く元気を回復するための備えの場であるべきだとぼくは思っています」。
生きる力
「今手元にたまたま残された資源の中に含まれている潜在的な有用性を発見できる能力、これが『生きる力』です。(中略)それがどういう人間的資質であるか、わかりますね。一つは楽観的であること。(中略)一つは先入観にとらわれないこと。(中略)一つは使えるものは全部使うという実践的な『ふところの広さ』を持っていること。(中略)一つは、先ほども言いましたけれど、どんな無秩序状態においても、局所にだけ妥当する『ローカルな法則性』を発見できること」。
池上六朗
長野県生まれの治療家。「三軸自在の会」主宰。主著に『カラダ・ランドフォール 三軸修正法の基礎』(1999)『三軸修正法 自然法則がカラダを変える!』(2003)『まるで魔法!?一瞬で体が整う!』(2016)など。内田との共著に『身体の言い分』(2005)がある。(1936〜)。
池部良
東京都生まれの俳優。戦前に島保次郎監督『闘魚』(1941)で俳優デビューするも、1942年に陸軍に召集され、少尉に任官される。敗戦時は、ハルマヘラ島の衛生隊隊長だった。戦後、『青い山脈』(1949)『坊ちゃん』(1953)『雪国』(1957)などに出演。著書に『そよ風ときにはつむじ風』(1990)他多数。(1918〜2010)。
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石川康宏
札幌生まれの経済学者、マルクス主義者。主著に『マルクスのかじり方』(2011)『「おこぼれ経済」という神話』(2014)『社会のしくみのかじり方』(2015)他多数。内田との共著に『若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱』(2010)『若者よ、マルクスを読もう 2 甦るマルクス』(2014)『若者よ, マルクスを読もう アメリカとマルクスー生誕200年に』(2018)など。(1957〜)。
いじめ
内田は、自らの経験談を交えて、いじめについて次のように語っている。
「いじめという集団行動の悪魔性はそこにあります。ほんのわずかなきっかけで『ふつうじゃない子』を疎外する行動が始まる。いじめの標的になった子どもは心が痛んで、だんだん挙動不審になる。そうやって、ますます『ふつうじゃない子』になってゆく……」。
イディオクラシー
「知的無能が指導者の資質として肯定的に評価されるような統治システムのことを『イディオクラシー』と呼ぶ。『愚者支配』である。デモクラシーが過激化したときに出現する変異種である」。
井上雄彦
鹿児島県生まれ。日本代表する漫画家。代表作に『SLAM DUNK』(1900〜1996)『バガボンド』(1998〜)『リアル』(1999〜)など。内田は「井上雄彦論」(『街場のマンガ論』小学館 2014年)の中で、井上を「天才」と、高く評価している。(1967〜)。
内田は、『SLAM DUNK』について、次のように述べている。
「桜木花道のような『自己中心的』なマンガの主人公は例外的です。彼は明らかに『あの時代』の申し子でした。努力が嫌いで、集団行動が嫌いで、ローカルなルールが嫌いで、何の根拠もなく自分は天才だと思っている。そんな花道が、自分の潜在能力を爆発的に開花させるためには、『自分らしさ』にこだわるよりは先行者の言葉に従い、ルールと『型』を守り、チームの勝利に貢献するほうが『より合理的』なのだということを自得してゆく。(中略)『SLAM DUNK』は、主人公がこの経験的真理を会得するまでの、長い迂回の物語でした」。
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イマヌエル・カント
ドイツの哲学者。近世哲学を代表する哲学者の一人。主著に『純粋理性批判』(1781)『実践理性批判』(1788)『判断力批判』(1790)など。(1724〜1804)。
岩明均
東京都生まれの漫画家。代表作に『寄生獣』(1988〜1995)『七夕の国』(1996〜1999)『ヒストリエ』(2003〜)など。内田は、『七夕の国』文庫化に際して、解説を担当している。また内田は、岩明均を「天才」と、高く評価している。(1960〜)。
内田は、『寄生獣』と『七夕の国』について次のように述べている。
「『寄生獣』でも『七夕の国』でも、人間と人間ならざるもののその『混合態』が画像的に表象されている。そのアマルガムを描き出してみせた想像力と画力が岩明均という作家の才能をもっとも強烈に読者たちに印象づけたはずである。僕の知る限り、センチネルが自分の身体を『担保』に差し出して境界線を守るという営みを図像的に表現してみせたのは岩明均さんを以て嚆矢とする」。
岩田健太郎
島根県生まれの日本の医師。主著に『医療につける薬 内田樹・鷲田清一に聞く』(2014)『ワクチンは怖くない』(2017)『丁寧に考える新型コロナ』(2020)など。内田との共著に『コロナと生きる』(2020)『リスクを生きる』(2022)がある。(1971〜)。
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ウィリアム・シェークスピア
イギリスの劇作家、詩人。代表作に『ベニスの商人』(1596)『ロミオとジュリエット』(1597)『マクベス』(1606)など。(1564〜1616)。
内田は、シェークスピアをレヴィナスが度々引用することの必然を、次のように解説している。
「戯曲の中の劇的状況や台詞が哲学的命題にとってカラフルな『喩え』として役立つからではない。話は逆なのだ。シェークスピアのうちには容易な解釈を許さない不可解な人間の実相が描かれており、それが哲学者たちに自分の安住の地からの踏み出しを要求してくるからである。シェークスピアをレヴィナスが引くのは『答えを出す』ためではなく、むしろ『問いをより回答し難いものにするため』である」。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
アメリカ生まれの建築家。1905年、キリスト教青年会の派遣により、滋賀県立商業学校の英語教師として来日するも、伝道活動のため2年で解職。1910年、ヴォーリズ合名会社設立。1941年、日本に帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改姓。代表作に「軽井沢ユニオンチャーム」(1918)「横浜共立学園本館」(1931)「神戸女学院岡田山キャンパス」(1933)他多数。2014年、「神戸女学院岡田山キャンパス」の12棟の建物が、国の重要文化財に指定された。(1880〜1964)。
内田は、ヴォーリズ建築について以下のように述べている。
「ヴォーリズ建築の『仕掛け』というのはそのことなんです。『扉を開けなければ、その向こうに何があるかわからない』。そして、好奇心の報酬として『それ以外のどこからも観ることのできない眺望』が与えられる。それも遠い昔に没した建築家から学生への個人的な贈り物というかたちで。/素晴らしいと思いませんか。校舎の建築思想として、これほどすぐれたものは見出し難いと僕は思います。校舎そのものが学びの比喩になっている」。
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上野千鶴子
富山県生まれの社会学者。日本を代表するフェミニスト。主著に『女という快楽』(1986)『ナショナリズムとジェンダー』(1998)『おひとりさまの老後』(2007)。当初内田樹は、上野千鶴子が唱えるフェミニズムに否定的な立場であったが、フェミニズムの没落に伴い両者の舌戦は徐々に沈静化。2021年には、内田と上野が共編した『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』(2021)を刊行している。(1948〜)。
ウスビ・サコ
マリ共和国生まれの人類学者。2018年4月から2022年3月まで、京都精華大学学長を務める。主著に『アフリカ人学長、京都修行中』(2021)、『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(2020)、『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(2020)など。内田との共著に、『君たちのための自由論 ゲリラ的な学びのすすめ』(2023)がある。(1966〜)。
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内田卓爾
鶴岡生まれの内田樹の実父。内田樹は、「父は満州事変の年、19歳で北海道から満州に渡り、敗戦の翌年に北京から帰国しました。15年間大陸にいて、満州国の建国、日華事変、敗戦を経験したわけです」と、回想している。(1912〜2002)。
内田は、父から受け継いだものについて以下のように語っている。
「父が僕に繰り返し語ったのは、『信用できる人間かどうかは、その人物の地位や学歴とは関係がない。哲学を持っていない人間を信用するな』ということでした。(中略)父が『哲学を持っている人間』という言葉で言おうとしていたのは、『世間の人々』がどう言おうと、どうふるまおうと、ことの筋目を通す人のことだろうと思います。自分なりの条理を維持していて、損得勘定や私利私欲で言動がぶれない人間。そういう人間しか『いざという時』には頼りにならない」。
内田樹
東京都大田区下丸子生まれの作家、武道家。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。武道修行と研究のための場「凱風館」館長。主著に『レヴィナスと愛の現象学』(2001)『私家版・ユダヤ文化論』(2006)『日本辺境論』(2009)など。また、エマニュエル・レヴィナス『困難な自由 ユダヤ教についての試論』(1985)『タルムード四講話』(1987)『モーリス・ブランショ』(1992)他多数の翻訳も手がけている。(1950〜)。
内田樹は、内田家について次のように述べている。
「内田家は山形県鶴岡の士族の家系です。四代前に内田柳松という人がいました。武蔵嵐山の農家の人でしたが、幕末に剣客を志して江戸に出て、千葉周作の玄武館で北辰一刀流を学びました。文久3年(1863年)に清河に率いられて京都に上った隊士名簿の一番隊に内田柳松の名が残っています。(中略)柳松はそのまま藩主に従って鶴岡に移り、そこで戊辰戦争を戦いました。そのときに藩士に取り立てられ、父の代まで鶴岡の新徴組隊士たちが住んでいた鶴岡大宝寺町の『新徴組屋敷』の一角で暮らしていました。(中略)内田家には『士道軽んずべからず』という家風が濃厚に残っていました。その家風が僕の代まで残存していたのでしょう。子どものころから『武士』というものにつよい憧れがありました」。
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内田百閒
岡山市生まれの小説家、随筆家。夏目漱石に師事し、漱石の著作の校正などに携わる。1934年に法政大学教授を辞職した後、日本郵政などの嘱託で生活を支えながら、文筆業に専念。主著に『百鬼園随筆』(1933)『阿房列車』(1954)『ノラや』(1957)など。内田は、内田百閒集成11『タンタルス』(2003)の解説を担当している。(1889〜1971)。
「私は『成熟』のみちすじにおいて範例とすべき二人の人物を知った。一人は會宮周吉先生であり、一人は内田百閒先生である。ただし、會宮先生は実在の人ではなく、笠智衆演じるところの小津安二郎監督映画『晩春』の主人公である」。
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内田るん
東京生まれの詩人、フェミニスト。内田樹の実子。父娘は往復書簡集『街場の親子論 父と娘の困難なものがたり』(2020)を刊行している。「るん」という名前は、森鴎外の短編小説「じいさんばあさん」に由来する。(1982〜)。
映画
内田樹は、現在までに3冊の映画論、松下正己との共著『映画は死んだ 世界のすべての眺めを夢見て』(1999)『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』(2003)『うほほいシネマクラブ 街場の映画論』(2011)を刊行している。以下、内田の映画に関する発言をいくつか拾ってみたい。
「映画はマーケットと直結しており、観客の参与(さしあたりは『身銭を切って見る』という行為ですが)を得ない限り成立しない芸術ジャンルである」。
「映画は単独で自立しているわけではなく、『その映画について語られた無数の言葉』を含んだ『文脈』のうちで見られる他ないからです。(中略)それは映画が映画について語られることを欲望しているジャンルだからです。(中略)映画は『映画についてああだこうだと言う行為』をその全期間の活動の基盤にして成立している。映画についての言及抜きでは絶対に映画は生成しません。(中略)映画は『これから作り出されるはずのもの』についての言葉による説明抜きではこの世に生まれ出ることができません。(中略)つまり、映画における『これから作り出されるはずのもの』は、原理的に言えば、言葉のレベルにしか存在せず、ついに映画のかたちをとることができなかったものなのです。だからこそ、フィルムメイカーは自作についてあれほど多弁なのです。それは言葉の中こそが彼らが作り出そうとしたものの本籍地だからです」。
映画というのは、「『それについて語る言葉』が多ければ多いほど、多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、作品としては出来が良い。(中略)よい映画の対極にあるのは(中略)『その映画を見たことを忘れるためにいかなる努力も要さない映画』である」。
エクリチュール
「ある国語の内部に生まれ、ある生得的な言語感覚を刻印されたとしても、それでもなおことばを使うときに、私たちはある種の『ことばづかい』を選択することが許されます。この『ことばづかい』が『エクリチュール』です」。
「バルトが探求したのは、『語法の刻印を押された秩序へのいかなる隷従からも解放された白いエクリチュール』、何も主張せず、何も否定しない、ただそこに屹立する純粋なことばという不可能な夢でした」。
「『自分がそのようなことを思っていることを本人さえも意識化していないこと』を記号化しうる能力こそ、女性に特化されたエクリチュールの際立った特徴なのである。男性語話者には、これができない。というのは、私たち男性は、自分が思っていることを全部記号化するという作業に知的威信を懸ける傾向があるからである」。
SF
「SFは1950年代のアメリカに誕生した新しい文学ジャンルです。背景にあるのは、原子爆弾の発明によって核戦争による人類滅亡というシナリオに現実味が出て来たという歴史的事実です。人間が自分たちを豊かにするために創り出したテクノロジーによって人間が死滅するという不条理が現実になりつつあったのです。でも、伝統的な文学形式はそのような悲劇的なまでにナンセンスな現実を叙することができなかった。SFはほとんどそのためだけに発明された特異な文学ジャンルだったのだと僕は思います。ですから、SFはその荒唐無稽さと娯楽性にもかかわらず、底にはある種の絶望感が伏流していました」。
江藤淳
東京生まれの戦後を代表する文芸評論家。慶應大学教授。東京工業大学名誉教授。1969年末から約9年にわたり毎日新聞の文芸時評を担当。1998年に妻に先立たれ、亡くなるまでを綴った『妻と私』(1999)を発表後に自殺。主著に『夏目漱石』(1956)『小林秀雄』(1961)『漱石とその時代』(1970)など。(1933〜1999)。
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エドガー・アラン・ポー
アメリカの詩人、小説家、批評家。主著『モルグ街の殺人』(1841)『盗まれた手紙』(1845)などで推理小説のジャンルを確立。日本の小説家、江戸川乱歩のペンネームは、この小説家に由来している。内田は、「ポウの作家的天才は、なによりもまずデュパンという分析的知性を造型したことにあります」(内田樹「抑圧と分析的知性」『映画の構造分析 ハリウッド映画で学べる現代思想』文藝春秋 2011年 113頁)と述べている。(1809〜1849)。
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エドムント・フッサール
ドイツの哲学者。現象学の創始者。主著に『論理学研究』(1900-1901)『純粋現象学と現象学的哲学のための諸考想(イデーン)』第1巻(1913)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936)など。(1859〜1938)。
内田は、現象学について以下のように述べている。
「現象学というのは『自分が経験できるのは世界の断片にすぎず、かつ主観的なバイアスがかかっているので、世界そのものではない』という無能の認知から出発して、世界を再獲得しようとする哲学的アプローチである」。
「家のまわりのあらゆる視点から同じ家を見ている『仮想的な私』を私の中に繰り込んでいるからである。この『仮想的な私』のことをフッサールは『他我』と名づけた。私たちはつねに『他我』との共同作業によって、共同主観的に世界を構成し、認識している」。
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エマニュエル・レヴィナス
フランスの哲学者。主著に『実存から実存者へ』(1947)『全体性と無限』(1961)『モーリス・ブランショ』(1976)など。レヴィナス哲学の研究は内田樹のライフワークであり、『レヴィナスと愛の現象学』(2001)『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(2004)『レヴィナスの時間論 『時間と他者』を読む』(2022)を刊行している。また、内田はレヴィナスの翻訳も多数手掛けている。(1906〜1995)。
内田は、レヴィナスの「弟子」という立場から、師について以下のように語っている。
「レヴィナスが二〇世紀を代表する哲学者の一人として後世に名を残すことになるのは確実だが、彼の哲学史最大の功績の一つはその独特な修辞術にあると私は思っている。(中略)レヴィナスの文体は寄せては返す波のようなリズムを刻む。同じような波形が何度か続く。不意に波が途絶えて、やがて遠く海嘯が轟き、異形の大波が頭上から崩れ墜ちて私たちを呑み込む。絶息しかけて必死で浮かび上がって肺一杯に息を吸い、しばし波間に漂って息を整えていると、なじみのある波形が戻っている。それが何度か続くと、また波が途絶え……そういうことが繰り返される」。
「レヴィナスの哲学は、高邁な思弁の体系として、日常生活と隔たること遠い叡智の境位に構築されているわけではない。こう言ってよければ(たぶんよくないとは思うが)、レヴィナス哲学のすべてはエマニュエル・レヴィナスという人間の生きた経験についての一つの省察に他ならない。リストニア生まれのユダヤ人として、モーリス・ブランショの友人として、ハイデガー哲学の熱烈な宣布者として、捕虜のフランス兵士として、フランス・ユダヤ人社会の霊的再建をおのれの逃れることのできない責務として引き受けた教育者として、夫として父として、この講演の日まで四〇年あまり生きてきたエマニュエル・レヴィナスという男の人生についての、これは『一つの省察』に他ならないのである。彼の哲学が、彼の生きてきたすべての時間、すべての経験の意味を汲み尽くすことはありえない。そんなことはどのような哲学者にも不可能である。生身の哲学者の経験の広がりと奥行きはつねにその哲学を凌駕するからである」。
「僕は1987年にパリのレヴィナスのお宅を訪れて、お話をうかがったことがあります。その日、16区のアパルトマンの玄関呼び鈴を鳴らして、階段を上っていったときに、レヴィナス先生は扉の前で、両手を広げて、東洋から来た、見知らぬ若い研究者を待ってくれていました。そのときに、この人はほんとうに歓待するということに思想的な命をかけているのだということを確信したのです」。
「レヴィナスは私が知る限りで最も複雑な語法で哲学を語る人だった。絶えず言葉を言い換え、つながりようのない形容詞と名詞を結びつけ、私たちの脳内では決して像を結ばない新語を作り、読者が『レヴィナスの言いたいこと』を一意的に理解することをひたすら先送りさせる人だった。レヴィナスは私たちが『自分の手持ちの理解枠組』に安住することを決して許さなかった。それは読書にとっては少なからずストレスフルな経験だったけれども、複雑な現実を複雑な言葉で記述しようとするその終わりなき努力は『問題を簡単にする人々』に親族の多くを殺された哲学者にとって最も緊急かつ最も人間的な営みだったのだと今は思う」。
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縁側ラジオ
MBSラジオ「縁側ラジオ」は、内田樹と西靖によるポッドキャスト番組。2024年7月に放送開始し、毎週金曜日午前7時に更新。ポッドキャストで放送されたものをまとめて、MBSラジオ深夜枠で放送予定。
老い
「生まれたときから現在の年齢までの『すべての年齢における自分』を全部抱え込んでいて、そのすべてにはっきりとした自己同一性を感じることができるというありようのことをおそらくは『老い』と呼ぶのである」。
大滝詠一
岩手県生まれの音楽家。1970年にロックバンド「はっぴいえんど」のボーカルとギター担当のメンバーとしてデビュー。1973年に同バンドが解散し、個人レーベル「ナイアガラ」を設立。代表作に『大瀧詠一』(1972)『NIAGARA MOON』(1975)『A LONG VACATION』(1981)など。また、「大瀧詠一」名義で著述家やラジオDJとしても活動した。また、内田は自らを「ナイアガラー」と称している。(1948〜2013)。
「『ナイアガラー』というのは、大瀧詠一さんが実践してきた音楽活動(には限定されないもろもろの活動)をフォローすることを人生の一大欣快事とする人々の総称」のこと。
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岡田斗司夫
大阪府生まれの評論家。1985年にアニメ制作会社ガイナックスを設立、代表取締役に就任。1992年に同社を退社するまでに、『王立宇宙軍 オネアスミス』(1987)『トップをねらえ!』(1988〜1989)『ふしぎの海のナディア』(1990〜1991)などを手掛ける。主著に『「世界征服」は可能か?』(2007)『評価経済社会』(2011)『『風立ちぬ』を語る』(2013)他多数。内田は、岡田との対談本『評価と贈与の経済学』(2013)を刊行している。(1958〜)。
尾田栄一郎
熊本県生まれの漫画家。漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」誌上で、代表作『ONE PIECE』(1997〜)を連載中。内田は、『ONE PIECE』に登場するウソップという人物の造形の巧みさを指摘し、尾田栄一郎の「天才性を感じた」と、高く評価している。また、名言集『ONE PIECE STRONG WORDS』上下巻(2011)と『ONE PIECE STRONG WORDS 2』(2014)の解説を担当している。(1975〜)。
内田は、『ONE PIECE』について次のように述べている。
「『ONE PIECE』はリクルートすること、それ自体が物語の本体であるような物語なのです。冒険そのものは、このリクルート活動の目的ではない。そうではなくて、むしろリクルート活動をエンドレスで続けるための『口実』として、とても達成できなような困難な冒険が掲げられている」。
小田嶋隆
東京都生まれのコラムニスト。主著に『我が心はICにあらず』(1988)『小田嶋隆のコラム道』(2012)『超・反知性主義入門』(2015)など。内田と小田嶋の共著に『9条どうでしょう』(2006)や『街場の五輪論』(2014)がある。内田は、小田嶋の死後に『小田嶋隆と対話する』(2024)を刊行している。(1956〜2022)。
内田は、小田嶋の特異性について次のように述べている。
「彼の批評的言説のきわだった個性は、自分の立ち位置が「異端」であることを前提にしているのだが、『正系』の人たちを言葉の力で自分の手元へ手繰り寄せようと努力する点にあった」。
「すぐあとに消去線を引いて『書かなかったことにしてくれ』というくらいなら、はじめから書かなければいいじゃないかと思う人がいるかもしれない。あるいは書き終わったあとに『書かなければよかった』と思うなら、遡って痕跡をまるごと消せばいいじゃないかと思う人がいるかも知れない。(中略)小田嶋さんはそれができない人だった。『言い過ぎ』や『言い間違い』を含めて、一度でも自分の口の端に乗った言葉に対して小田嶋さんは深い愛着があったからだ。どんな言い間違いであっても、それは『小田嶋隆にしかできない言い間違い』であった。そんなふうに言い間違えられる人間はこの世に小田嶋隆しかいない」。
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小津安二郎
東京都生まれの映画監督。代表作に『東京物語』(1953)『早春』(1956)『秋刀魚の味』(1962)など。内田は、子供から大人になるための「通過儀礼」(「通過儀礼としての小津映画」『街場の芸術論』青幻舎 2021年)として、小津映画を高く評価している。(1903〜1963)。
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大人
「集団が生き延びるためには何をすればいいのか、何をしなければいけないのかを知っている人、その知えを次の世代にひきつぐことのできる人が必要です。そういう人のことを『大人』というのです。勉強するのはそのためです。『生き延びて、大人になるため』です」。
「『大人』というのは、自分が何ものであるか、自分がこれからどこに向かって進んでゆくのか、何を果たすことになるのか、ということを『自分の発意』や『独語』のかたちではなく、『他人からの要請』に基づいて『応答』というかたちで言葉にする人のことです」。
「『大人』を大人たらしめているのは、然るべき知識があったり、技能があったり、あれこれの算段が整ったりという実定的な資質のことではなくて、むしろおのれ狭さ、頑なさ、器の小ささ、おのれの幼児性を観察し、吟味し、記述することができる能力のことだということです」。
音楽
「音楽というのは、『もう聞こえない音』がまだ聞こえ、『まだ聞こえない音』がもう聞こえるという、時間意識の拡大を要求する。私たちはまるで当たり前のように『旋律』とか『リズム』とかいう言葉を口にしているが、これは『もう聞こえない音』を記憶によって、『まだ聞こえない音』を先駆的直感によって、現在に引き寄せることで経験しているから言えることなのである。そして、この音楽的経験は、『もう聞こえない音』『まだ聞こえない音』の範囲が広ければ広いほど深く厚みのあるものになる」。
か行
解釈
「解釈において最も重要なのは『正しいこと』ではない。一意的なもの、異論の余地なく決定的であることではない。そうではなくて、豊かであること、生成的であることである。ある解釈がもたらされたことによって別の解釈が次々と立ち上がった場合、それは『豊かな解釈』だったということである。反論でもいいし、補遺でもいいし、変奏でもいいし、場合によっては模倣でもよい。ある解釈が行われることによって、それをきっかけに生まれた解釈が多ければ多いほど、それは豊かな解釈だったということになる」。
階層社会
「階層社会というのは、単に権力や財貨や情報や文化資本の分配に階層的な格差があるということだけでなく、階層的にふるまうことを強いる標準化圧力そのものに格差がある社会だということ」。
凱風館
凱風館は2011年11月、内田樹の自宅兼道場として神戸市住吉に開設された。1階に75畳の道場という「パブリック」な空間、2階に書斎とリビングという「セミパブリック」な空間、寝室やキッチンといった「プライヴェート」な空間によって構成されている。
「道場の名前も決まりました。凱風館です。出典は『詩経』の『凱風南よりして彼の棘心を吹く』から採りました。『初夏のそよかぜは南から吹いて、あの硬い棘の若芽を育む』という文意です。『凱風』は南から吹くやわらかい風のことですが、転義して『かたくなな心を開くもの』を意味します。学びの場の名としてふさわしいものだと思って選びました」。
「凱風館は武道の道場ですけれども、僕が理想としている一九五〇年代の日本企業のかたちを模倣しています。疑似家族、拡大家族です。だから、武道の稽古と、寺小屋ゼミにおける研究教育活動が中心なのですけれども、そこに参加する門人ゼミ生たちを僕はとりあえず『身内』認定する。そして、みんなで宴会をし、スキーに行き、海水浴に行き、ハイキングに行き、麻雀をする。むかしの『会社』と同じです。(中略)凱風館は一階の道場部分がパブリック・スペース、二階の書斎とリビングはセミ・パブリック・スペースとしています。凱風館は僕が管理している建物ですけれど、これを僕は私物だとは思っていません。共同で管理して、共同で利用すべきものだと思っています」。
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カオス
「『カオス』というのは全面的かつ均質的な混沌のことではありません(それはそれで一つの秩序です)。そうではなくて『条理の通る場所』と『条理の通らない場所』が混在している状態のことです」。
学術研究
「研究の価値はアプローチの適否によって決まるのではない。どんなアプローチだって構わない。その研究が結果的に研究対象についての集合知をどれほど賦活したかによって決まる。僕はそう思っています。文学研究なら、その作家論なり作品論が書かれたことによって、多くの人がその人の本を読み、作品について作家について語ることを欲望するようになったとすれば、それはすでにひとつの知性的な達成だろうと思うからです」。
学術論文
「学術論文というのは、同じ研究主題を論じる人が後から読んだときに手がかりになる『地図』のようなものです。『ここには谷がある』『この道は行き止まり』『この道を進むと、この尾根に出られる』とちゃんと書かれていないと地図の役は果たせません。失敗であっても、『こういう仮説を立てて論証しようとすると失敗する』ということを書いておけば、後から来た人は手間が省ける。わかりやすく論理的に記述するのも、論拠となる出典の書誌情報に正確を期すのも、難所には『ここ難所』とアンダーラインを引いておくのも、すべて『後から来る人のため』です」。
学力
「『学ぶ(ことができる)力』に必要なのは、この三つです。繰り返します。第一に、『自分は学ばなければならない』というおのれの無知についての痛切な自覚があること。第二に、『あ、この人が私の師だ』と直感できること。第三に、その『師』を教える気にさせるひろびろとした開放性」。
学歴
「学歴の話題を私たちがはばかるのは、どのような論点から学歴を論じようと、それは結局学歴の社会的意味を増大することにしかならないからである」。
春日武彦
京都生まれの精神科医、作家。主著に『自殺帳』(2023)『恐怖の正体 トラウマ・恐怖症からホラーまで』(2023)『無意味なものと不気味なもの』(2024)など。内田との共著に『健全な肉体に狂気は宿る 生きづらさの正体』(2005)がある。春日は、内田を「病的な合理主義者」(「内田樹「病的な合理主義者」と診断がついて安心した」『凱風館日乗』河出書房新社 2024年5月 167頁)と診断している。(1951〜)。
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加藤典洋
山形県生まれの文芸評論家。早稲田大学名誉教授。主著に『敗戦後論』(1997)『テクストから遠く離れて』(2004)『村上春樹は、むずかしい』(2015)など。内田は、「加藤典洋は私が信頼する数少ない批評家のひとりである」(内田樹「『激しく欠けているもの』について」『もういちど村上春樹にご用心』文藝春秋 2014年 133頁)と、肯定的に論じている。(1948〜2019)。
加藤は、内田について次のように述べている。
「彼の批評の特徴は、これまで対立的に考えられてきた二つの要素、『難しい』・『重い』と『やさしい』・『軽い』の対立を消してしまったことである。『公共的なこと』を語る批評と『私的なこと』を語る批評の境の壁を取り外してしまったことである」。
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神
「あなたが善行を行えば報酬を与え、悪行を行えば懲罰を下す、そのような単純な神を信じていたのか。だとしたら、あなたがたは『幼児の神』を天空に戴いていたことになる。だが、『成人の神』はそのようなものではない。『成人の神』とは、人間が人間に対して行ったすべての不正は、いかなる天上的な介入も抜きで、人間の手で正さなければならないと考えるような人間の成熟をこそ求める神だからである。もし、神がその威徳にふさわしいものであるとすれば、神は人間に霊的成熟を求めるはずである。神の不在に耐え、人間が人間に対して犯した罪の償いを神に委ねることをしない成熟した人間を求めるはずである」。
カール・グスタフ・ユング
スイスの心理学者、精神医学者。当初はフロイトの支持者であったが袂を分かち、分析的心理学を創始した。主著に『変容の象徴』(1912)『パーソナリティの結合』(1940)『無意識の心理』(1960)など。(1875〜1961)。
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カール・ポパー
オーストリア生まれのイギリスの哲学者。反証可能性の理論に基づき、批判合理主義を提唱。主著に『科学的探求の論理』(1934)『開かれた世界とその敵』(1945)など。(1902〜1994)。
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カール・マルクス
ドイツの共産主義思想家、マルクス主義の祖。主著に『哲学の貧困』(1847)エンゲルスとの共著『共産党宣言』(1848)『資本論』第1巻(1867)など。内田は、石川康宏との往復書簡集『若者よ、マルクスを読もう』シリーズを刊行している。(1818〜1883)。
内田は、マルクスの人間観の基本について、次のように述べている。
「人間は行動を通じて何かを作りだし、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で『作り出したもの』を媒介にして、人間はおのれの本質を見て取る」。
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河合隼雄
兵庫県生まれの臨床心理学者。ユング派心理学の第一人者。主著に『ユング心理学入門』(1967)『無意識の構造』(1977)『昔話と日本人の心』(1982)など。また、村上春樹との対談集『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(1996)を刊行している。河合隼雄は、村上春樹のメンターとして、村上とその作品に影響を与えている。
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姜尚中(カンサンジュン)
熊本県生まれの政治学者。主著に『マックス・ウェーバーと近代』(1986)『オリエンタリズムの彼方へ』(1996)『ナショナリズム』(2001)他多数。内田との共著に『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』(2016)『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(2017)『新世界秩序と日本の未来 米中の狭間でどう生きるか』(2021)がある。(1950〜)。
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観世清和
東京都生まれの能楽師。約700年の伝統を誇る二十六世観世宗家。1990年に父、左近の急逝にともない31歳で家元を継承。国内公演はもとより、フランス、アメリカ、ドイツ、中国など海外公演にも多数参加。1995年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞。2015年に紫綬褒章受賞。重要無形文化財総合指定保持者。内田との共著に『能はこんなに面白い!』(2013)がある。(1959〜)。
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記号
「記号というのは、ある社会集団が制度的に取り決めた『しるしと意味の組み合わせ』のことです。記号は『しるし』と『意味』が『セット』になってはじめて意味があります。また、『しるし』と『意味』のあいだには、いかなる自然的、内在的な関係もありません。そこにあるのは、純然たる『意味するもの』と『意味されるもの』の機能的関係です」。
「記号学というのは、私たちの身の回りのどんなものが記号となるのか、それはどんなメッセージをどんなふうに発信し、どんなふうに解読されるのか……を究明する学問ということになります」。
技術者
「技術者とは、自分の仕事を熟知していて、自分のできる範囲で何ができるか、何をなすべきかを知っている人のことです」。
教育
「僕は『教育』というものを『集団の存続のために公共の福祉を優先的に配慮できる一定数の公民を育てること』というふうに定義しています」。
共感主義
「共感主義的な集団においては、メンバーは何よりもまず集団とリーダーに対する忠誠心を求められる。能力は二の次です。まず忠誠心。そして、次に割り当てられた役割からはみ出さないこと。変化してはいけない、進化してはいけない、成長してはいけない、複雑化してはいけない。初めからずっと同じキャラクターのままでいること。それが共感主義集団のルールです」。
鏡像段階
「鏡像段階(中略)とは子供がおのれの身体像を獲得し、自己同一性を確立する経験である」。
教養
「教養とは、端的に言えば、ある事実を、いくつかの異なる側面から眺めてみることができるということです。あるいは、ある事実を、それとは無関係に見えるような別の事実との『関係性』のうちに置き直す力と言い換えることもできます」。
「教養はあればあるほど収拾がつかなくなるものです。というのは、教養は自分自身知のシステムの絶えざる『書き換え』『ヴァージョンアップ』を要求してくるからです。それはつねに限界をはみ出ようとします。たえず未知の領域に入り込んでいこうとします。教養は人間が静かに自足することを許してくれません。『教養が邪魔をする』というのはほんとうなんです」。
「私たちは私たちが今語りつつある話の前件を特定できず、話の結末を予言することもできない。この『話』をしているプロセスそのもの、過去と未来へ、同時的に開かれてゆく生成プロセスそのもののことを私はその語の起源的な意味を踏まえて『教養』culture(『培養、栽培、養殖』)と呼びたいと思うのである」。
供犠
「『諸悪の根源』を特定し、排除すれば、共同体は賦活されるという考え方のことを『供犠』と称します。供犠は人類と同じだけ古い『悪と渡り合う方法』です。供犠システムの発生は宗教の発生と同期しますから、ざっと数万年の歴史の風雪に耐えてきた装置だということになります。それだけの歳月を生き延びてきたきというのは、それだけ供犠が『悪と渡り合う方法』として有効だったということです」。
国誉め
「それは『我が国は美しい国である』という主張のことではありません。そうではなくて、現に目前の山や野がどのようであり、森がどのようであり、川がどう流れており、人々はどのように日々の営みをなしているかを、とにかく価値判断抜きで列挙してゆくことです。『国誉め』は写生です。そして、この写生はその本質が列挙である以上、構造的にエンドレスのものになる」。
くりかえし
「新しいアイディアが湧くときは必ず『くりかえし』があるものなんです。微妙に音調の違うくりかえしが何度も続いて、ようやく話の深度が目盛り一つ分だけ深くなる」。
クリント・イーストウッド
アメリカの俳優、映画監督。イタリアで『荒野の用心棒』(1964)などのマカロニ・ウェスタンに主演。1968年に帰国し、映画制作会社「マルパソ・プロダクション」を設立。代表作に『許されざる者』(1992)『ミリオンダラー・ベイビー』(2005)『アメリカン・スナイパー』など。(1930〜)。
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グレゴリー・ベイトソン
イギリス出身のアメリカの文化人類学者、思想家。主著に『ナベン』(1936)『精神の生態学』(1972)『精神と自然』(1979)など。(1904〜1980)。
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黒澤明
東京生まれの映画監督。1950年に『羅生門』でヴェネチア国際映画祭のグランプリを獲得。日本映画の海外での評価を高める。没後、国民栄誉賞が送られた。代表作に『姿三四郎』(1943)『七人の侍』(1954)『椿三十郎』(1961)など。(1910〜1998)。
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クロード・レヴィ=ストロース
フランスの文化人類学者。構造主義を代表する思想家の一人。主著に『親族の基本構造』(1949)『構造人類学』(1962)『野生の思考』(1964)など。(1908〜2009)。
内田は、レヴィ=ストロースが考察の前提としている条件について次のように述べている。
「私たちは全員が、自分の見ている世界だけが『客観的にリアルな世界』であって、他人の見ている世界は『主観的に歪められた世界』であると思って、他人を見下しているのです。自分が『文明人』であり、世界の成り立ちについて『客観的』な視点にいると思い込む人間ほど、この誤りをおかしがちです」。
また内田は、レヴィ=ストロースが分析した「社会制度」についても言及している。
「レヴィ=ストロースの大胆なところは、二項対立の組み合わせを重ねてゆくことによって無数の『異なった状態』を表現することができるというこの音韻論(とコンピュータの両方に通じる)発想法を人間社会のすべての制度に当てはめてみることはできないのか、と考えたところにあります。(中略)この大胆な仮説によってレヴィ=ストロースが私たちに教えてくれることは二つあります。一つは、人間は二項対立の組み合わせだけで複雑な情報を表現するということ。もう一つは、私たちが自然で内発的だと信じている感情(親子、夫婦、兄弟姉妹のあいだの親しみの感情)が実は、社会システム上の『役割演技』に他ならず、社会システムが違うところでは、親族間に育つべき標準的な感情が違う、ということです」。
「人間が社会を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出すのです。(中略)私たちは何らかの人間的感情や、合理的判断に基づいて社会構造を作り出しているのではありません。社会構造は、私たちの人間的感情や人間的理論に先だって、すでにそこにあり、むしろそれが私たちの感情のかたちや論理の文法を事後的に構成しているのです」。
「レヴィ=ストロースは、社会システムの変化を『絶えず新しい状態になる』という歴史的な相のもとに構想する社会(私たちの社会がそうです)を『熱い社会』、歴史的変化を排し、新石器時代のころと変わらない無時間的な構造を維持している社会、『野生の思考』が領する社会を『冷たい社会』と名づけたのです。そして、そのいずれもが、恒常的な『変化』を確保するような社会構造を持っているのです」。
「レヴィ=ストロースによれば、人間は三つの水準でコミュニケーションを展開します。財貨サーヴィスの交換(経済活動)、メッセージの交換(言語活動)、そして女の交換(親族制度)です。(中略)それは、絶えず不均衡を再生産するシステム、価値あるとされるものが、決して一つところにとどまらず、絶えず往還し、流通するシステムです」。
「人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがあります。それは『人間社会は同じ状態にあり続けることができない』と『私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない』という二つのルールです」。
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グローバリズム
「グローバリズムとは、一言で言ってしまえば、世界を単一の巨大な秩序のうちに整序し、地上のすべての人間を、その経済力によって(平たく言えば『年収いくらか』を基準に)数値的に格付けするシステムのことです」。
敬語
「『敬語を使う』というのは、社会訓練の基本です。子どもは社会的な立場が弱い。地位も、権力も、金も、情報も、何もないんだから、まず自分を守る術を学ばなければいけない。子どもにとって、まわりは全部『こわいもの』だらけです。まわりの人間が、自分をどんなふうに傷つけたり、損なったりするか予測がつかない。子どもにとって大人たちというのは『鬼神のたぐい』なのです。だから敬語を使う。危険なものから身をそらして距離を置く。これは生き延びるための当然の生存戦略なのです」。
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
ドイツの哲学者。主著に『精神現象学』(1807)『エンチクロペディー』(1817)『法の哲学』(1821)など。(1770〜1831)。
内田は、ヘーゲルの「自己意識」について次のように要約している。
「ヘーゲルの言う『自己意識』とは、要するに、いったん自分のポジションから離れて、そのポジションを振り返るということです。自分自身のフレームワークから逃れ出て、想像的にしつらえた俯瞰的な視座から、地上の自分や自分の周辺の事態を一望することです」。
言語
「創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである」。
「言語の命は言葉の物質性のうちに棲まっている。強い言葉があり、響きのよい言葉があり、体にしみこむ言葉があり、脈拍が早くなる言葉があり、癒しをもたらす言葉がある。現に、そうやって読み手聴き手の身体を動かしてしまうのが『言葉の力』である」。
憲法
「私が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルである。それは現代日本において日本国憲法というのは『空語』であるということだ。だから、この空語を充たさなければいけないということだ」。
「日本国憲法を制定した国民主体は存在しない。存在しない『日本国民』が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根本的な脆弱性である」。
「憲法を制定するのは『憲法条文内部的に主権者と認定された主体』ではない。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者だ。それは大日本帝国憲法も同じである」。
憲法9条
「私が憲法について言ってることはずっと同じである。それは交戦権を否定した9条2項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は『巨大な自衛力』と『例外的な平和と繁栄』を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである」。
「9条はアメリカが日本を『軍事的に無害化する』ために与えた『足かせ』であり、自衛隊はアメリカが日本を『軍事的に有用化』するためにあたえた『武器』である。GHQが敗戦国民に『押しつけた』この二つの制度によって、日本は『アメリカにとって軍事的に無害かつ有用』な国になった」。
権力
「『権力』とは、あらゆる水準の人間的活動を、分類し、命名し、標準化し、公共の文化財として知のカタログに登録しようとする、『ストック趨向性』のことなのです。(中略)フーコーが指摘したのは、あらゆる知の営みは、それが世界の成り立ちや人間のあり方についての情報を取りまとめて『ストック』しようという欲望によって駆動されている限り、必ず『権力』的に機能するということです」。
言論
「言論で生きる人間が自説を世に問うときには『自分が言わなければ誰も言う人がいないこと』を選択的に言うべきだというのが僕の考えです。自分が黙っていても、『似たようなこと』を言ってくれる他の人がたくさんいるのであれば、自分に与えられた発言機会をあえてそのために使うことはない。それより『自分しか言う人がいないこと。自分が黙ったらこの世から消えてしまうかもしれない知見』を語るべきだ。そう僕は思います」。
言論の自由
「『言論の自由』というのは、心に思っていることを(思っていないことでも)人は好きなように口にする権利がある、というような底の抜けた放任主義のことではない。『言論の自由』というのは、さまざまな人がそれぞれの思いを自由に口にできる環境では、長期的には、真理をより多く含む言説が淘汰圧に耐えて生き残るという歴史の審判力に対する信認のことである」。
光嶋裕介
アメリカ出身の日本の建築家。光嶋裕介建築設計事務所を主宰。妻は合気道家で凱風館助教兼書生の永山春菜。代表作に「凱風館」(2011)「旅人庵」(2015)「桃沢野外活動センター」(2020)他多数。主著に『みんなの家。』(2012)『幻想都市風景』(2012)『建築武者修行』(2013)など。(1979〜)。
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構造主義
「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に『見せられ』『感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない」。
「主体性の起源は、主体の『存在』にではなく、主体の『行動』のうちにある。これが構造主義のいちばん根本的にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です」。
「構造主義とは、ひとことで言えば、さまざまな人間的諸制度(言語、文学、神話、親族、無意識など)における『零度の探求』であると言うこともできるでしょう」。
「私とは違う時間の中に生きている人に世界はどのように見えているのか私にはよくわからないという謙抑的な知性が構造主義者を特徴づけています」。
「『私が知っている』ではなく、『私にはよくわからない』から始まる知性の活動、私はそれが構造主義だと理解しています」。
合田正人
香川県生まれの哲学研究者。専攻は19、20世紀フランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。明治大学文学部教授。主著に『レヴィナスを読む 異常な日常の思想』(1999)『田辺元とハイデガー 封印された哲学』(2013)『入門ユダヤ思想』(2017)など。訳書に『全体性と無限』(1989)『固有名』(1994)『外の主体』(1997)他多数。内田との共訳に『超越・外傷・神曲』(1986)『巨匠たちの聖痕 フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』(1987)がある。(1957〜)。
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神戸女学院大学
1873年、二人の女性宣教師、イライザ・タルカットとジュリア・ダッドレーが、神戸花隈村に私塾を開く。1875年、「女學校」開校。1891年、女子高等教育開始。1894年、「神戸女学院」と改称。1933年、西宮市岡田山キャンパスに移転。建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる校舎が完成。1975年に創立100周年を迎える。内田は、1990年から文学部総合文化学科助教授、総合文化学科教授を経て、2011年退職後、同大学名誉教授。
内田は、神戸女学院大学について次のように述べている。
「神戸女学院はその出発点において、誰からも要請されないところに、いわば割り込むというのも変ですが、押しかけていって、そこでこういうことを教えたい、是非に教えたい、教わりたいという人がいなくてもとりあえず教えたいという奇妙な旗を掲げるところから始まった。教わりたいという人がいるから教えに来たのではない。教わりたいという人を創り出すために教えに来たのである。自分たちの旗印の下に集まってくる少女たちをひとりひとり見つけ出し、掘り起こしていかなければいけない」。
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国民国家
「国民国家というのは発生的には1648年のウェストファリア条約を起点にして、『世界標準』になった統治システムです。まだ生まれて400年ほどの『若い』制度です。国民国家というのは定義すると、ある限定的な国土のうちに、人種、言語、宗教、生活文化を共有する、きわめて同質性の高い『国民(nation)』が集住している『国家(state)』のことです」。
吾峠呼世晴
福岡県生まれの漫画家。『週刊少年ジャンプ』にて連載された『鬼滅の刃』(2016〜2020)が、2019年にテレビアニメーション、2020年に劇場用アニメーションが制作されたことも相まり、社会現象を巻き起こす。(1989〜)。
内田は、『鬼滅の刃』を以下のように論じている。
「『鬼滅の刃』は病と癒しの物語である。(だからこそ偶然にもパンデミックの時期にジャストフィットしてしまったのである)。剣士と鬼たちは全員がある意味での『病者』である。そして、他の登場人物たちはほとんど全員が『医療者』あるいは『回復の支援者』である。だから、極言すれば物語は『戦場』と『病院』だけで展開するのである」。
古典
「真に『古典』という名に値する書物とは、『それが書かれるまで、そのようなものを読みたいと思っている読者がいなかった書物』のことである。書物が『それを読むことのできる読者』『それを読むことに快楽を覚える読者』を創り出すのであって、あらかじめ存在する読者の読解能力や欲望に合わせて書物は書かれるのではない」。
コミュニケーション
「コミュニケーションの本義は、有用な情報を交換することにあるのではなく、メッセージの交換を成立させることによって『ここにはコミュニケーションをなしうる二人の人間が向き合って共存している』という事実を確認し合うことにあるからだ。そして、わたしの前にいる人に対して、『わたしはあなたの言葉を聞き取った』と知らせるもっとも確実な方法は相手のことばをもう一度繰り返してみせることなのである」。
「コミュニケーションにおいては、言語的なメッセージをやりとりすることにより、ごくわずかな徴候的差異に着目して、メッセージの解読レベルを読み出す能力のほうが、生存戦略上優先する、ということである。(中略)同一レベル上での項間差異を検出する能力よりも、同一項に含まれるレベル差を検出する能力のほうが、
人間が生きていくうえでより有用だからだ」。
コモンウェルス
「人間は自分の生命、自由、幸福を追求することができる。一〇〇%その権利を享受することができる。けれども、少なくともその一部分を分割して、公権力に譲渡しなければならない。そうしないとその権利から最大の利益を引き出すことができない。個人の私権をちょっとずつ制限して、それが供託された非人称的な『公的なるもの』、それが『コモンウェルス』です」。
コロラリー
「コロラリーはしばしばわれわれの常識を逆撫でし、経験的な知識の外側にわれわれを連れ出す。私が『論理的に思考する』というのは、それがどれほど非常識であろうと、意外なものであろうと、論理がその帰結を導くならば、自分の心理的抵抗を『かっこに入れて』、それをとりあえず検証してみるという非人情な態度のことである」。
さ行
斎藤幸平
東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は経済思想、社会思想。主著に『大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝』(2019)『人新世の「資本論」』(2020)『ゼロからの『資本論』』(2023)など。斎藤は、内田編『ポストコロナ期を生きる君たちへ』(2020)に「ポストコロナにやってくるのは気候危機」と、同じく内田編『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』(2022)に「撤退戦としてのコミュニズム」を寄稿している。(1987〜)。
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佐伯清
愛媛県生まれの映画監督。佐伯の代表作『昭和残俠伝』(1965-1972)シリーズでは、第一作、第二作、第三作、第八作、第九作で監督を務めた。(1914〜2002)。
内田は、『昭和残俠伝』第一作について次のように述べている。
「『八紘一宇』から一夜にして『民主主義』に旗幟を取り替え、そのつどの大義名分を掲げて、若者を消耗品のように死に追いやり、自己利益をはかる醜悪なヤクザ、戦前と戦後で看板を付け替えただけで中身は少しも変わっていない男の造形のうちに、私は佐伯清の先行世代に対する濃厚なルサンチマンを感じ取るのである」。
「雑学」と「教養」
「『雑学』とは一問一答に設定された問いに『正解』を与える能力のことである。しかし、『教養』はそれとは違う。(中略)教養は情報ではない。教養とはかたちのある情報単位の集積のことではなく、カテゴリーもクラスも重要度もまったく異にする情報単位のあいだの関係性を発見する力である。雑学は『すでに知っていること』を取り出すことしかできない。教養とは『まだ知らないこと』へフライングする能力のことである」。
さるなまず
内田樹の書斎のソファーに置かれた猿のぬいぐるみ。内田は、このぬいぐるみを卒業生から貰い、「さるなまず」と命名した。内田のX(旧Twitter)のプロフィール画像には、さるなまずが使用されている。
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サロモン・マルカ
モロッコ生まれの作家、ジャーナリスト。東方イスラエリット師範学校でエマニュエル・レヴィナスに師事。主著に『レッス・ユダヤ教小事典』(1989)『シュシャーニ師』(1994)『評伝レヴィナス 生と痕跡』(2016)がある。内田は、『レヴィナスを読む』(1996)の翻訳を手掛けている。(1949〜)。
ジェームズ・フレーザー
イギリスの人類学者、民俗学者、古典文献学者。主著に『金枝篇』全13巻(1890〜1936)、『トーテミズムと外婚制』(1910)『旧約聖書のフォークロア』(1918)など。(1854〜1941)。
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時間
「時間のうちで、私は絶えず私自身ではなくなり、他者も別のものとなってゆく。私は他者といつか出会えるかも知れないし、出会えないかも知れない。私は他者に会ったことがあるのかも知れないけれど、今のところそれを思い出すことができない。時間とは、端的に言えば、この過去と未来に拡がる未決性のことである。私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである」。
ジークムント・フロイト
オーストラリアの神経病学者、精神分析の創始者。主著に『夢判断』(1900)『自我とエス』(1923)『文化への不満』(1930)など。(1856〜1939)。
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思考
「思考するというのは『自分が語ること』を聞くということですから、『存在しないもの』とのかかわりなしには、僕たちは思考することさえできない。『もう存在しないもの』を現在のうちに持ちこたえ、『まだ存在しないもの』を先取りする。そのふたつの仕事を同時に遂行することなしには、僕たちは対話することも思考することもできない。『存在しないもの』とのかかわりなしに、我々は人間であることができないのです」。
「マルクスは人間は自由に思考しているつもりで、実は階級的に思考している、ということを看破しました。フロイトは人間は自由に思考しているつもりで、実は自分が『どういうふうに』思考しているのかを知らないで思考しているということを看破しました」。
死者
「『死者』というのは『もう存在しない』ものです。しかし『生物と無生物のあいだ』にわだかまっているもの、それが死者です。死者はもう存在しません。でも、実際には、私たちは絶えず死者に呼びかけ、死者に問いかけ、かえって来るはずのない死者からの返答に耳を澄まします。死者は私のこのふるまいをどう見るだろう。どう評価するだろう。このような判断を是とするだろうか非とするだろうか。そういうことを僕たちはいつも考慮しながら日々の選択を下しています。死者はそこに存在しないにもかかわらず、むしろ存在しないがゆえに、生きているものたちの判断や行動の規矩となっている。『存在するとは別の仕方で』生きている私たちに影響を与え続けるもの、それが死者です」。
柴田元幸
東京都生まれのアメリカ文学研究者、翻訳家。主著に『生半可な學者』(1992)『アメリカン・ナルシス』(2005)『翻訳教室』(2006)など。アメリカ文学の翻訳に、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』上下巻、ポール・オースター『幻影の書』、マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』他多数。また、文芸誌『MONKEY』(2013〜)の編集長を務めている。内田の単著『もういちど村上春樹にご用心』には、内田と柴田の対談が収録されている。(1954〜)。
司馬遼太郎
大阪府生まれの小説家。主著に『竜馬がゆく』(1962〜1966)『城塞』(1969〜1971)『坂の上の雲』(1968〜1973)など。(1923〜1996)。
内田は、「司馬遼太郎は『国民作家』だった」(内田樹「司馬遼太郎と国民作家」『サル化する世界』文藝春秋、2020年2月、109頁)と、指摘している。また、「司馬史観」について次のように述べている。
「近代日本を三分割して、明治維新から大正の終わりまでを第一期、昭和のはじめから敗戦までを二期、戦後を第三期と区切って、敗戦までの二十年を『異胎』『魔の季節』としてよりのける。そして、その前後を『デモクラシーを志向していたこと』を共通項にしてつなぐのです。ある時期の日本を『あれは日本ではない』と言って、取り除いてしまうのですから、歴史観としてはずいぶん恣意的な気がしますけれど、司馬史観は実に多くの日本人によって支持されました」。
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島田雅彦
東京都生まれの小説家。代表作に『夢遊王国のための音楽』(1984)『彼岸先生』(1992)『君が異端だった頃』(2019)など。(1961〜)。内田は、文庫版『パンとサーカス』(2024)の解説を担当している。
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下丸子
内田は、自らの故郷について次のように述懐している。
「僕たちの『ふるさと』には、守るべき祭りも、古老からの言い伝えも、郷土料理も、方言さえもありませんでした。哀しいほどの文化的貧困のうちに僕たちは育ったのでした」。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール
フランスの女性作家。友人のアルベール・カミュと袂を分かち、サルトルと人生を共に歩んだ実存主義者。主著に『招かれた女』(1943)『他人の血』(1945)『第2の性』(1949)。(1908〜1986)。
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社会
「全員が善良でかつ賢明でなければ回らないような社会は制度設計が間違っています。一定数の『大人』がいて、自分勝手なふるまいをする『子ども』たちの分の『しりぬぐい』をする。それが人間たちの社会の『ふつう』です。一方に身銭を切る人たちがいて、他方にそれに甘える人たちがいる。それは仕方のないことなんです。彼らは悪人であるのではありません。たとえ老人であっても、権力者であっても、大富豪であっても、彼らは『子ども』なのです。全員が利己的にふるまっていては共同体は持たないということがまだわかっていないのです。その幼児性は処罰ではなく、教化と治癒の対象なのです」。
社会制度
「社会制度は弱者ベースで設計されるべきだと僕は思います。弱くて傷つきやすい個人が、自尊感情を失わずに、市民としての権利を行使し、義務を果たしながら愉快に暮らせる社会の方が、『勝者が総取りして、弱者が飢える』タフでシビアな社会よりもずっと人間的であるばかりか、長期的には経済的にも豊かな社会になると僕は信じています。少なくとも歴史はそう教えている。『社会制度は弱者ベースで設計されるべき』だという知見が『常識』に登録されるまで、僕はこれからも同じことを言い続けるつもりです」。
社会福祉制度
「社会福祉制度において、公費による扶助を受けている人に決して屈辱感を与えてはならないということです。でも、実際に福祉制度の実施に際して、受益者は屈辱感を覚えるべきだ、『施し』を受けていることを恥じるべきだと思っている人、そう公言する人は少なくありません。でも、そんなことを許したら福祉制度はその本来の趣旨から逸脱してしまう。福祉制度は次の世代にチャンスを与えるものでなければならない」。
社会理論
「誰かが批評性に富んだ新しい社会理論を提出する。その理論の切れ味がよいと、すぐにみんながコピーをしだす。そのうちにその社会理論が『定説』になり、教科書に採択され、校長先生の訓辞に引用されるようになるころには、その理説のもっていた批評性はもうかき消えてしまう。そういうものです。マルクス主義もフェミニズムもポストコロニアリズムもカルチュラル・スタディーズも、例外ではありません。べつに、それらの理説になんらかの致死的な欠陥が内在的に含まれているからではないんです。ある理説の批評性は、その理論の信奉者が少ないという事実に担保されているんです。だから、その理論が受け入れられ、『政治的に正しい』考え方として学校で教えられるようになると、もうおしまいなんです」。
釈徹宗
大阪府生まれの宗教学者。主著に『ブッダの伝道者たち』(2013)『宗教は人を救えるのか』(2014)『死では終わらない物語について書こうと思う』(2015)他多数。内田との共著に『はじめたばかりの浄土真宗』(2005)『現代霊性論』(2010)『日本霊性論』(2014)など。(1961〜)。
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ジャック・ラカン
フランスの精神分析学者。構造主義を代表する思想家の一人。「鏡像段階」「無意識の言語的構造」「想像界・象徴界・現実界」といった独創的な理論を構想し、哲学、人類学、文学の分野にも影響を与えた。主著に『エクリ』全3巻(1972〜1981)『ディスクール』(1985)『精神分析の4基本概念』(2000)など。(1901〜1981)。
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シャルル・ボードレール
フランス生まれ。近代詩を代表する詩人。詩集『悪の華』(1857)で象徴派の先駆となり、後進に大きな影響を与える。近年では、押見修造の漫画『悪の華』(2009〜2014)に取り上げられ、再度注目を集めた。
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ジャン・ポーラン
フランスの批評家。1925年以降、文芸雑誌『NRF』の編集長を務める。戦時中はレジスタンスに参加し、『レ・レットル・フランセーズ』を創刊し、『深夜叢書』を刊行。主著に『タルブの花』(1941)『詩の鍵』(1944)など。(1884〜1968)。
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ジャン=ポール・サルトル
フランスの文学者、哲学者。主著に『嘔吐』(1938)『存在と無』(1943)『弁証法的理性批判』(1960)など。(1905〜1980)。
内田は、サルトルの「実存主義」と「参加する主体」について次のように述べている。
「サルトルの実存主義は、ハイデガー、ヤスパース、キルケゴールらの『実存』の哲学にマルクス主義の歴史理論を接合したものです。(中略)自己の存立根拠の足場を『自己の内部』にではなく、『自己の外部』に『立つ』ものに置くのが実存主義の基本的な構えです。(中略)『実存』という術後はとりあえずは『自分が〈ほんとうは何ものであるか〉を知る手がかりとなった、自分の〈現実的なあり方〉』と理解しておいていただければよいかと思います」。
「サルトルの『参加する主体』は、与えられた状況に果敢に身を投じ、主観的な判断に基づいておのれが下した決断の責任を粛然と引き受け、その引き受けを通じて、『そのような決断をなしつつあるもの』としての自己の本質を構築してゆくもののことです」。
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ジャン=リュック・ゴダール
フランスの映画監督。ヌーベルバーグの旗手。代表作に『勝手にしやがれ』(1959)『気狂いピエロ』(1965)『アウファヴィル』(1965)など。内田は、『うほほいシネマクラブ 街場の映画論』の中で、『軽蔑』(1963)と『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1966)を否定的に論じている。(1930〜)。
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修行
「『修行』は宗教や武道について用いられる語だが、その特徴は『最終目的地は示されているが、そこに至る行程については情報が開示されていない』という点にある。宗教なら『大悟解脱』、武道なら『天下無敵』が最終目的地だが、ふつうはそこに至るはるか手前で生涯を終える」。
「修行は『自分の限界を越える』という効果においてはきわめて有効な教育法である。修行し始めた時、修行者は自分が何を学んでいるのかよく知らない。自分の手持ちの度量衡ではその価値や意味を考量することのできないものを、気がついたら『学んでいた』ということが修行では起きる」。
習合
「共感や理解を急ぐことはない。この本で言いたいのは第一にそのことです。僕が『習合』という言葉に託しているのは、『異物との共生』です。(中略)いくつかの構成要素が協働しているけれど、一体化してはいない。理解も共感もないけれど、限定的なタスクについては、それぞれ自分が何をしなければいけないのかがわかっている。そういうシステムのことを「習合的」と僕は呼びたいと思います」。
主人と奴隷の弁証法
内田は、ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」を次のように解説している。
「人間が人間的であるためには、それぞれ相手の欲望の対象となろうと望む二人の人間が向き合っていることが必要である。(中略)『他者によって承認されたい』という欲望を成就するためには、戦いの当事者のいずれもが生き残り、かつ一方が自己の欲望を放棄して、他者の欲望を充足させなければならない。この闘争において、敗北したもの、つまり相手を恐れ、屈従し、自己の欲望を放棄したものが『奴』となり、相手を恐れさせたものが『主』となるのである」。
主体と死
内田は、レヴィナスにおける死と主体の関係について、次のような解釈を提示している。
「死はあらゆる可能性の引き受けを不可能にする。死は主体の男性性、英雄性の終りである。それゆえ、死を前にした時に、主体の能動性は受動性に逆転する。主体は『幼さ』(enfance)と『嗚咽』(sanglot)のうちに崩れ落ちる。死を前にするというのは『〈できる〉ということがもはやできなくなること』である」。
「死は引き受けられない。死は到来する。この永遠の切迫が死の本質をかたちづくる。主体は死を引き受けることができない。死に触れることもできない。死を先取りすることもできない。死は『存在する一つの仕方』ではない。主体と死の間には乗り越えることのできない『余白』(marge)がある。そして、希望はその隙間に住まう。希望は死に付け加えられるのではない。死と主体の間が希望の居場所なのである」。
正直
「『正直である』というのは、『自分の思念や感情を出来合いの物語に回収しない』という自制のことである。分かり易い枠組みの中に落とし込んで、それで人に説明し、自分も分かった気になるという誘惑に耐えるということである」。
常識
「常識にはその正しさを支える客観的基盤が存在しない。『エヴィデンス・ベーストの常識』というものは存在しない。常識というのは外形的・数値的なエヴィデンスでは基礎づけられないけれど、個人の内心深いところで確信せらるるところの知見のことなのである。(中略)この危うさが常識の手柄なのである。常識は『真理』を名乗ることができない。常識は『原理』になることができない。常識は『汎通的妥当性』を要求することができない。これら無数の『できない』が常識の信頼性を担保している。人は決して常識の名において戦争を始めたり、テロを命じたり、法悦境に入ったり、詩的熱狂を享受したりすることができない。自分の確信に確信が持てないからである」。
小説
「小説を読むというのは(哲学でも同じかもしれないけれど)、別の時代の、別の国の、年齢も性別も宗教も言語も美意識も価値観も違う、別の人間の内側に入り込んで、その人の身体と意識を通じで、未知の世界を経験することだと私は思っている」。
植民地
「言語による差別というのは、一度始まると止めることができない。植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、そうではない人間の間に乗り越え不能の階層差が生じる場所のことである」。
ジョージ・オーウェル
イギリスの小説家。主著に『カタロニア賛歌』(1938)『動物農場』(1945)『1984』(1949)など。近年では、村上春樹の長編小説『1Q84』全3巻(2009〜2010)が、プレテクストとして『1984』を取り上げたことで再び注目を集めた。内田は、新訳版『1984』の「解説」を担当している。(1903〜1950)。
「オーウェルが『1984の世界』は遠からず到来するというつよい確信を持っていたからだと思う。そして、それを徹底的にリアルに描くことによってそのような世界の到来を阻止することをオーウェルは目指していた。(中略)しかし、『1984』はディストピアの到来を阻止することができなかった。だから、これは例外的な小説なのである。それからあとの世界は(少なくともその一部は)まるで魅入られたように、オーウェルが描いた通りのディストピアに向かっていった」。
(https://kadobun.jp/reviews/88kv0q06cuck.html)〔強調原著者〕
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ジョージ・ルーカス
アメリカの映画監督。代表作に『THX-1138』(1971)『アメリカン・グラフィティ』(1973)『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』(1977)など。(1944〜)。
内田は、『スター・ウォーズ』について次のように述べている。
「映画『スター・ウォーズ』は師弟関係を扱った物語の代表作だが、師ヨーダの下で修行を始めたルークは未熟なまま『私用』(ハン・ソロ救出)のため修行を止めてしまう。でも、次作冒頭では堂々たるジェダイの騎士として登場する。いったいルークはいつのまに、どこで、誰に就いて修行を済ませたのか、それについての説明は何もなされない。(中略)これはハリウッドのヒーロー映画の多くに共通する徴候的な話型である」。
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書籍
「書物こそは、いま僕たちの最も身近にある公共財だからです。使っても減らないし、読んでも価値が減じない。そうなんです。さまざまな資源の中にあって、書物の使用価値は原理的には無限なんです。1万人の読者が1万通りの知恵と愉悦を1冊の書物から引き出すことができる」。
「書物は市場で売り買いされる商品であると同時に無償でやり取りされる公共財でもあるという両義的なものです。私有することもできるし、退蔵することもできるし、高値で売ることもできる。でも、もし人間が集団として生き延びるために必要な知識や情報を蔵しているものなら、書物はできるだけ多くの人に、無償で、贈与されるべきものです」。
「僕にとって用事があるのは僕の本を読む人であって、それは必ずしも僕の本を買う人ではありません。僕は一人でも多くの人に自分が書いたものを読んでほしいと思って本を書いています。ですから、僕の本の商品的性格が強まるせいで、本を読む人が減るというのなら、書物の商品的性格は抑制して欲しいと思う」。
ジョゼフ・コンラッド
ポーランド生まれのイギリスの小説家。主著に『ロード・ジム』(1900)『闇の奥』(1902)『台風』(1903)など。(1857〜1924)。
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ジョン・ウォーターズ
アメリカ生まれの映画監督。代表作に『ピンク・フラミンゴ』(1972)『ヘアスプレー』(1988)『シリアル・ママ』(1994)など。主著に『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(1995)『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』(2022)など。(1946〜)。
内田は、ジョン・ウォーターズについて次のように述べている。
「ウォーターズ先生と小津先生の背後にあるのは、彼らが映画製作という擬制を通してそこで共同体を作り出そうとしていることですよね。それも、傷ついて、苦しんで、誰にもその経験を語れずにいる人たちで共同体を作っていく。ジョン・ウォーターズはゲイですから独身ですけれど、小津安二郎も生涯独身でした。二人とも、たぶんすごく孤独な人だったんだと思う。でも、孤独な人たちの相互扶助を主題にした映画を作り続けた」。
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白井聡
東京都生まれの政治学者。主著に『永続敗戦論 戦後日本の核心』(2013)『国体論 菊と星条旗』(2018)『武器としての「資本論」』(2020)など。内田との共著に『日本戦後史論』(2015)『属国民主主義 この支配からいつ卒業できるのか』(2016)『新しい戦前 この国の”いま”を読み解く』(2023)がある。(1977〜)。
内田は、白井聡について以下のように述べている。
「何より僕が高く評価するのは、白井さんの変わることのない『戦う姿勢』である。白井さんは政治学者であるけれども、政治的現実を分析することと同じくらいの熱意を以て政治的現実に介入しようとする。目の前にある現実を観察し、解釈することだけにとどまらず、現実を変容しようとする。ふつうの政治学者はなかなかそこまで踏み込まない。中立的な観察者に徹することが学術的厳密性であり、党派的な立場に与することは知性の透明性を損なうと学問の世界では広く信じられているからである」。
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白川静
福井県生まれの中国文学、中国古代学者。甲骨文字、金文の解読をはじめ、漢字研究を進展させた。主著に『字統』(1984)『字訓』(1987)『字通』(1996)など。内田は、「白川先生は『祖述者』たる孔子の祖述者というポジションを選択した。白川先生自身もまた『述べて作らず。信じて古を好む』人なのである」(「白川先生から学んだ二三のことがら」『白川静読本』207頁)と、述べている。(1910〜2006) 。
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信仰
「信仰は幼児によっては担われ得ない。『成熟した人間』によってしか担われ得ない。意識を持った人間、自らの自由な決断に基づいて神から付託された人間の責任を果たすべく立ち上がる人間、そのようなものだけが本当の意味での信仰者である。(中略)神が何を指示しているのかが分からなまま、みずからの自由において、みずからの責任において、その指示の意味を解釈し、行動できる者、それが霊的な意味での『成人』である」。
親族の基本構造
レヴィ=ストロースは、世界中すべての社会集団の親族の最小単位は4名、男子とその父親、母親、母方の伯叔父で構成されるという「親族の基本構造」の仮説を立てた。内田は、この仮説を次のように解説している。
「父親が厳しく男子を育てる社会では、伯叔父は甥を甘やかし、彼に悪戯を教え、財産を贈る。逆に父親が男子と親密な社会では、男子を『ソーシャライズ』するために冒険の旅や狩りに連れ出し、厳しい訓練を課すのは伯叔父の仕事である。この人類学的事実が教えるのは、男子が成長するためにはそれぞれ違うことを言う同性のロールモデルが二人必要だということである」。
身体技法
「身体技法の学習とは、端的に言えば、他者(師匠)の身体との鏡像的同期のことである。他者の身体に想像的に入り込み、他者の身体を内側から生きるということが身体技法の修行ということのすべてを削ぎ落としたときの本質である」。
身体実感
「私たちが身体実感を批評性の基盤に選んだのは、そこが不倶戴天の対立者をも対話に導きうるぎりぎり最終的な基盤たりうるような気がしたからである。言語が違っても、宗教が違っても、生活習慣が違っても、政治イデオロギーが違っても、生身をベースにする限り、私たちはかろうじて共通のプラットホームを立ち上げることができる」。
人治
「政府が法律条文や判例とかかわりなく、そのつどの自己都合で憲法や法律の解釈を変え、その適否については『世論の支持』があるかどうかで最終的に判断されるというルールのことを『人治』と呼ぶ」。
神話
「神話というのは世界のありようを記述する物語ではない。そうではなくて、世界に構造を与える物語である」。
鈴木邦男
福島県生まれの思想家、運動家。一水会元代表、名誉顧問。主著に『公安警察の手口』(2004)、『愛国と米国 』(2009)、『憲法が危ない!』(2017)など多数。内田との共著『慨世の遠吠え』(2015)と『慨世の遠吠え 2』(2017)を刊行している。(1943〜2023)。
内田は、鈴木を以下のように評している。
「僕はこの『読者の常識を信じる』『読者の倫理性を信じる』『読者の知性を信じる』という構えが鈴木邦男さんの書くすべてのものに伏流していると感じる。鈴木さんがどんな主題で書いても、暖かい手触りがするのはそのせいだと思う。すぐ身近から語りかけてくるような息づかいや体温を感じることができる」。
「鈴木さんは『独立独行の人』であると思うと最初に書きました。それは、鈴木さんのあの温顔の下には、『ほんとうにたいせつなこと』を貫くためには、だれの同意も承認も求めない、そのようなものを求めても仕方がないというきっぱりした禁欲と諦念が蔵されていると思うからです。鈴木さんが笑顔を絶やさないでいられるのは、まわりの人間が鈴木さんをどう偶そうと、どう評そうと、それに動じることがないからなんだと思います」。
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鈴木晶
東京都生まれの評論家、翻訳家。主著に『翻訳はたのしい』(1996)『バレエへの招待』(2002)『知識ゼロからの精神分析入門』(2007)など。訳書にスラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ ハリウッド VS ラカン』、ジョン・グレイ『猫に学ぶ いかによく生きるか』スティーヴン・ロジャー・フィッシャー『文字の歴史 ヒエログリフから未来の「世界文字」まで』他多数を手がけている。内田との共著『大人は愉しい』(2002)と、内田との共訳『ヒッチコック×ジジェク』(2005)を刊行している。(1952〜)。
スラヴォイ・ジジェク
スロベニア生まれの哲学者、精神分析学者。主著に『為すところを知らざればなり』(1996)『仮想化しきれない残余』(1997)『ポストモダンの共産主義』(2010)など。(1949〜)。
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正義
「私は『正義の人』が嫌いである。『正義の人』はすぐに怒る。『正義の人』の怒りは私憤ではなく、公憤であるから、歯止めなく『正義の人』は怒る。『正義の人』は他人の批判を受け入れない。『正義の人』を批判するということは、ただちに『批判者』が無知であり、場合によっては邪悪であることのあかしである。『正義の人』はまた『世の中のからくりのすべてを知っている人』でもある。『正義の人』に理解できないことはない」。
「『正義』というのは、どんどん変わるものです。変わる条件は、基本的に期間の問題と、それを『正義』だと信じる人間の数の問題です。でも、勘違いしないでくださいね。長期間にわたって、多数の人が信じる『正義』が『良い正義』であるわけじゃないんですからね。むしろ、少数の人間が短期的に言っていれば有効だけれども、長期にわたって一定数以上の人間が言い出すと危なくなるのが『正義』なんです」。
「なぜ、正義は流行らなくなったのか。それは正義が過剰に正義であることの害毒にあまりに無自覚だったからだと僕は思います。どのような正義も人間的な感情によって和らげられ、角を削ってまろやかなものにならなければ、正義としては実現しません。『人権』でも『平和』でも『寛容』でも『歓待』でも、その理想をかたちにするときにはやはり『惻隠の情』がおおもとになければならない」。
成熟
「『成熟』というのは、知性的なものであれ、感性的なものであれ、自分が今手元に持っている『ものさし』では考量できないものがこの世には存在するという自分の『未熟さ』の自覚とともに起動します。それはある種の運動性です。そう僕は理解しています」。
精読
「私が精読に際して立てたいくつかのルールを明らかにしておきたい。ルールその一、前にも書いたが、『周知のように』という言葉は使わない。『周知のように』の後に『自分が知らないこと』が書かれていた場合、人は『自分はこのテクストの読者には想定されていない』と感じる。自分が読者として想定されていない文章を読み続けることはたいへん苦痛である。(中略)ルールその二、『分からないこと』はそのまま『分からない』と書く。『分かったこと』については私の解釈を述べる。『分かったような気がするけれど、まだよく分からないこと』については正直にそう書く。(中略)ルールその三。途中まで行ってから『前に書いたあれは間違いでした』と前言撤回をすることもある(と思う)」。
青年
「戦後になって『旦那』たちが消えたのとほぼ同時期に消えた社会階層があります。『青年』です。青年というのは歴史的な形成物なんです。明治40年頃に時代の要請に応えて人為的に創り出されたものです。(中略)明治も40年ですから、西欧文明には生まれたときからなじんでいる。横文字も読めるし、西欧の新思潮にも通じている。それと同時に、維新の世代が弊履のごとく捨てた前近代の日本文化にも親しみを感じている。近代と前近代、西欧と日本の『汽水域』みたいなところに生息している人間、それが青年です。彼らなら『近代的であり、かつ日本的である』ものを創り出せるんじゃないか、そう考えたわけです」。
生物としての力
「『生物としての力』とは『できあいのシステム』がなくてもなんとかできる力のことです。もう一歩踏み込んで言えば、『できあいのシステム』が壊れて機能しなくなったときにも生き延びていける力、そもそもそこにはシステムなんか存在しない場に自力でシステムを作り出す力、それが『生きる力』です」。
関川夏央
新潟県生まれの作家。上智大学外国語学部中退。2001年に「明治以降の日本人と、彼らが生きた時代を捉えた幅広い表現活動」により、第4回司馬遼太郎賞を受賞。主著に『海峡を超えたホームラン』(1984))『「坊っちゃん」の時代』(1987〜1997)『昭和が明るかった頃』(2002)など。関川は、内田の『知に働けば蔵が建つ』文庫版(2008)の「解説」を担当している。(1949〜)。
関川は、内田について以下のように述べている。
「内田樹の書くものは、難しいが軽い。重いのにやさしい。文章上の上で、『公私』が入り組みあって、それ自体が『物語』となっている。『私』の中に『公』はよくあらわれる。『公』の中には無数の『私』が点在している。そういう実情を、書きものそれ自体のスタイルによって、はっきり提示してみせたことが内田樹の持った衝撃力の本質だろう」。
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責任
「責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、『責任を引き受けます』と宣言する人間が多ければ多いほど、『誰かが責任を引き受けなければならないようなこと』の出現確率は逓減してゆくからです」。
1967年
「1967年というのは、いまの若い人たちには想像もつかないと思いますが、世界中で狂瀾怒濤の嵐が吹き荒れる激動の時代でした。ベトナム戦争のさなかで、世界中でベトナム反戦運動が展開していた。隣の中国は文化大革命の渦中で、後に2000万人ともいわれる死者を出した内戦的な混乱の中にありました。アメリカではキング牧師の公民権運動、マルコムXのブラック・ムスリムの運動、ブラック・パンサーの武装闘争が始まっていました。68年にはパリで『五月革命』が起きます。ドイツではバーダー・マインホフ・グループが、イタリアでは『赤い旅団』がテロ活動を行なっていました。まさにグローバルな規模での地殻変動的な政治的混乱の時代でした」。
全共闘運動
「全共闘運動というのは、反米ナショナリズムの運動です。(中略)僕は全共闘運動というのは基本的に反米ナショナリズム運動、『攘夷』の運動だったと思っています。幕末から始まった『攘夷』運動の、これもまた何度目かの『アヴァター』だったのでした」。
宣言
「宣言を起草した主体が『われわれは』と一人称複数で書いてる場合も、その『われわれ』全員と合議して、承認を取り付けたわけではない。自分もまた宣言の起草主体の一人であるという自覚を持つ『われわれ』をこれから創り出すために宣言というものは発令される。それが宣言の遂行的性格である」。
戦争
「戦争がはじまると、正気を失う人があらわれる。ほんとうにそうだ。戦争というのは、法律や常識が無効になる状況のことである。言い方を変えれば、法律や常識が有効な場では処罰される行為が許される状況のことである。そういう状況になると、いきなり人格が変容する人間がいる。これは、そういう場を経験したことのない人には呑み込みにくい話だと思うけれど、ほんとうにそうなのだ。ふだん、穏やかであったり、内気であったりする男が、いきなり目を血走らせて、節度のない暴力や破壊を自分に許すことがある。(中略)戦争はそういう人間を大量に、組織的に生み出す仕掛けである。私が戦争において最も憎むのはそのことである。遠い国の戦争であっても、そこでは『刑事罰の対象にならない暴力』がふるわれていることを感知するとつい『正気を失う』人たちがいる。そういう人たちはいわば『正気の失い方』とはどういうものか、そのモデルになっているのである」。
センチネル
「『センチネル』たちの仕事は、わりと単純です。それを『ダンス・ダンス・ダンス』で、村上春樹は『文化的雪かき』と呼んでいました(中略)誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとでどこかでほかの誰かが困るような仕事があります。そういう仕事は、特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやる。そういうささやかな『雪かき仕事』を黙々と積み重ねることでしか『邪悪なもの』がこの世界に浸潤することを食い止めることはできない」。
「センチネルというのは、人間的な尺度では理解できない法則が支配し、人間的感覚では感知できないものたちがうごめく『外部』と人間たちの世界を隔てる境界線を守るもののことである。センチネルの仕事は境界線の向こうから侵入してくる『何ものか』を感知し、触れ合い、対話し、交渉し、できることならなるべく波風立てずに『お引き取り願う』ことである。太古から、すべての人間集団は、この職能を担う者がいた。センチネルがいないと人間集団は維持できないからである」。
戦中派
「戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちだ。この人たちの憲法観が私たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定した、というのが、私の仮説である」。
「戦争経験について、とりわけ加害体験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の『戦中派の沈黙』が戦後日本に修正することの難しい『ねじれ』を呼びこんでしまったのだと私は思っている」。
創造
「新しいものを創造するというのは、個人的であり、具体的なことです。それは固有名のタグの付いた『現物』を人々の目の前に差し出して、その視線にさらし、評価の下るのを待つということです。いわば、自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物に向かって差し出さなければならないということです。創造する者は、匿名性にも忘却にも逃れられない。自分で創ってしまった『物』がそこにあるのですから、逃げも隠れもできない。創造の怖さというのは、そのことです。逃げも隠れもできないということです。自分が作り出したものが、そこにあって、自分がどの程度の人間であるかをまるごと示してしまう」。
想田和弘
栃木県生まれの映画監督。代表作に『選挙』(2007)『精神』(2008)『Peace』(2010)など。著書に『精神病とモザイク』(2009)『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(2011)『演劇vs.映画』(2012)他多数。内田と想田は対談本『下り坂のニッポンの幸福論』(2022)を刊行している。(1970〜)。
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想像界・象徴界・現実界
想像界とは、「自他未分化の二項的・双数的な母子関係の境位」のこと。象徴界とは、「母と引き離された子供が、その欠如を象徴的に代償しながら踏み込んでゆく虚構の系列─言語、法、秩序の系列─」のこと。現実界とは、「言語化されざるもの、表象されないもの、『象徴界の明るみに到達しないもの』」のこと。
ソクラテス
古代ギリシアの哲学者。著作は残さず、その学説は弟子のプラトンらによって叙述された。(前469〜前399)。
組織
「私たちは、自分が知っている組織に基づいて『社会はどうあるべきか』を考える。自分の勤めている会社において『ふつう』なことは、全社会的にも『ふつう』なのだろうと推論する。だから、株式会社が支配的な企業形態になった時代では、私たちはあらゆる組織は『株式会社みたいなもの』であるはずだし、そうでなければならないと信じ込むようになった」。
祖述者
「預言者も仁者も述べて作らない。彼らは決して創造者・起源としておのれを立てることをしない。自らを起源から派生したもの、創造の瞬間に立ち会うことができなかったもの、すなわち遅れて世界に登場したものとして自己を措定する。そのようにして、祖述者はおのれに先んじて存在したとされる(かつて存在したことのない)起源を遡及的に基礎づけようとするのである」。
村落共同体
「私が生まれた1950年、日本の農業従事者は人口の49%だった。だから、どこでも組織運営は基本的には村落共同体をモデルに行われていた。長い時間をかけてゆっくり満場一致に至るまで議論を練り、一度決めたことには全員が従い、全員が責任を負う」。
た行
第一次産業
「里山の機能は、文明と自然の間にあって、二つを架橋することです。二つをつなげる橋であり、かつ二つを隔てる緩衝帯でもある。自然が文明を侵略してくるときは自然を押し戻し、文明が自然を侵略するときは文明を押し戻す。両方がバランスよく共存できるように、自然と文明の間を取り持つこと、それが里山の、広く言えば第一次産業の類的な機能だと思います」。
大衆社会
「成員たちがもっぱら『群』をなし、『隣の人間と同じようであること』を指向して判断して行動するような社会のこと」。
代麻理子
神奈川県川崎市生まれ。専業主婦を経てライター、編集者。YouTubeチャンネル「未来に残したい授業」主宰。内田は、このチャンネル三度出演している。主著に『9月1日の君へ 明日を迎えるためのメッセージ』(2023)がある。内田は、この自殺予防メッセージ集に「自殺しないために」を寄稿している。(1985〜)。
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対話
「他者との言語的交流とは理解可能な陳述のやりとりではなく、ことばの贈与と嘉納のことであって、内容はとりあえずどうでもよいのです。だって、『ことばそれ自体』に価値があるからです。ことばの贈り物に対してはことばを贈り返す、その贈与と返礼の往還の運動を続けることが何よりもたいせつなのです」。
高橋源一郎
広島県生まれ。作家。主著に『さようなら、ギャングたち』(1981)『ジョン・レノン対火星人』(1985)『優雅で感傷的な日本野球』(1988)など。内田と高橋は、対談集『沈む日本を愛せますか?』(2012)『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』(2010)を刊行している。(1951〜)。
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高橋哲哉
福島県生まれの哲学者。主著に『記憶のエチカ』(1995)『戦後責任論』(1999)『靖国問題』(2005)など。内田樹は、『ためらいの倫理学 戦争・性・物語』(2001)において、上野千鶴子と高橋哲哉を「仮想敵」として挙げている。(1956〜)。
武田砂鉄
東京都出身のライター、編集者。主著に『わかりやすさの罪』(2020)『べつに怒ってない』(2022)『なんかいやな感じ』(2023)など。内田は、『小田嶋隆と対話する』(2024)刊行に際して、「隣町珈琲」にて武田砂鉄と公開対談をしている。(1982〜)。
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武田鉄矢
福岡県生まれの歌手、俳優。1972年にフォークグループ「海援隊」でデビュー。「母に捧げるバラード」(1973)「贈る言葉」(1979)が大ヒット。俳優としても、『幸福の黄色いハンカチ』(1977)『刑事物語』(1982)『三年B組金八先生』(1979-2011)他多数。主著に『人間力を高める読書法』(2016)『老いと学びの極意 団塊世代の人生ノート』(2020)『向かい風に進む力を借りなさい』(2023)など。(1949〜)。
武田鉄矢は、内田について以下のように述べている。
「武道・合気道をフランス構造主義の哲理で裏打ちして語るのが、この方の興味深さです。そしてこの方の文章の巧みさは、読むうち知らず知らずに、読者を問答に巻き込んでゆく実況感というかライブ感があること」。
「司馬遼太郎さんと同様、私の人生に大きな影響を与えた「本の中の師匠」です。とにかく、この人が本に書いている言葉が、心に強く響くんです。しかも、すぐに理解できる言葉ではなく、読み方によって、いくつも解釈できるような複雑な言葉なんですね」。
竹信悦夫
兵庫県生まれのジャーナリスト。東京大学文学部西洋史学科卒業。1976年、朝日新聞社入社。東京本社社会部、外報部、中東アフリカ総局員、シンガポール支局長、英字紙デスク、翻訳センター編集長、編集局速報センター次長などを歴任。主著に『ワンコイン悦楽堂』(2005)や、『目で見る世界の国々 59 アフガニスタン』(2002)『目で見る世界の国々 65 サウジアラビア』(2004)の翻訳を手掛けている。(1950〜2004)。
内田は、竹信悦夫から受けた影響を以下のように語っている。
「僕が一知半解のユダヤ論を語ると、それを制して『内田、ユダヤは奥が深いぞ、あれは入り口だけがあって出口がない世界だ』と言ったことがありました。それで火をつけられたんですね。その後、僕がレヴィナスやフランスの反ユダヤ主義の研究をするようになったきっかけは竹信君のその一言でした。」
竹宮恵子
徳島県生まれの漫画家。代表作に『ファラオの墓』(1974〜1976)『風と木の詩』(1976〜1984)『地球へ…』(1977〜1980)など。内田との共著に『竹と樹のマンガ文化論』(2014)がある。(1950〜)。
太宰治
青森県生まれの小説家。東京大学中退後、井伏鱒二に師事。1935年、「逆行」が第一回芥川賞候補となる。1936年、初の創作集『晩年』を発表。第二次世界大戦後、『斜陽』(1947)がベストセラーになるも、『人間失格』(1948)を残して、玉川上水で入水自殺。(1909〜1948)。
内田は、太宰について次のように述べている。
「太宰は文学においては何かを言い切るということはしてはならないと考えていた。一応は言い切り、どこかで句点を打って文章を切らなければならないのだけれど、それでも『言い換え』や『言いよどみ』や『前言撤回』に開かれていなければならない。太宰はそう考えていた。思えば、太宰の小説はどれもそうだった。何かを言ってから、すぐにそれを取り消す。(中略)太宰はふざけているわけではない。必死なのである。正直でありたいと、誠実で、公正でありたいと思っている人間は気がつくとこういうふうな言葉づかいになる」。
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多田宏
東京都生まれの武道家。合気道9段。合気道多田塾を主宰。主著に『合気道に活きる』(2018)など。多田と内田の対話は『日本の身体』(2014)に収録されている。(1929〜)。
内田は、自らのロールモデルの一人として多田宏を挙げている。
「私には多田宏とエマニュエル・レヴィナスという二人のロールモデルがいる。多田先生には植芝盛平と中村天風という二人のロールモデルがいた。その植芝先生には武田惣角と出口王仁三郎という二人のロールモデルがいた」。
「多田先生は実力においても、見識の深さにおいても、日本武道界を代表する中に数えられる卓越した武道家です。僕が入門したときはまだ40代でした。壮年時代の多田先生に出会い、以後40年以上、その謦咳に接することができたのは、僕にとって宝物のような経験です」。
他者
「今私の眼前にいる他者は私の理解も共感も絶している。彼は私の世界における『異邦人』である。私は彼の発する語を解せず、その習慣に通じず、そのふるまいの意味も、その出自も目的地も知らない。けれども、私は周囲の人に理解されず、共感も示されず、虐げられるというのがどういうことであるかは知っている。それは私たちがかつてそれをエジプトの地で経験したからである。異邦人を理解することはできないが、異邦にあって理解されないことの苦しみは理解できる
。他者の心のうちは理解できないけれど、他者が飢えていること、寒さに震えていることは理解できる。だから、他者と対面した時の最優先の仕事は『食物と着物を与える』ことになる。他者は主体にとって観照の対象ではなく、具体的な配慮の対象である」。
タルムード
「ユダヤ教の聖典に『タルムード』という書物があります。これは律法学者(ラビ)たちの代表的な議論を採録したものですが、ひじょうに変わった本です。渦巻き型に版が組んである。中央に『ミシュナー』という紀元二世紀ごろに成立した古いテクストがある。そのまわりに『ゲマラー』という紀元五世紀ごろに編纂されたテクストがある。さらにそのまわりに歴代の解釈者たちのテクストが配列される……というふうに、あるひとつのトピックに対して、それに関する解釈や議論が渦巻き型に、つまり『オープンエンド』に印刷されているのです。ページをめくっていけば、ある宗教的なトピックに関する歴代のラビの代表的な解釈と議論をすべて読むことができる」。
知性
「私はなぜあることを知っていて、それとは違うことを知らないのか? 私が何かを『知りたい』と思い、また別の何かについては『知るに値しない』と思うのは、どのような選別の基準に従っているのか? その選別基準には一般性があるのか? あるとしたら、その一般性はどのように学的に基礎づけられるのか? などなど。そういった一連の問いは『私の知の成り立ち方』について考究することへ僕たちを導きます。それが『知識についての知識』をかたちづくります」。
「人間が恐怖心や不安によって知的なブレークスルーを果たすということは絶対にない。これはきっぱりと断言できる。知性をドライブするのは勇気である。子どもたちに私たちが伝えなければいけない最も大切なメッセージはそれに尽くされると私は思う」。
畜群的道徳
ニーチェによれば、「畜群の行動基準は『隣の人と同じことをする』『大勢に従う』ということである。集団から突出すること、特異であること、卓越していること、畜群的本能はそれを嫌う。畜群の理想は、『みんな同じ』という状態である」。
26-27頁
父
「私の外部に神話的に作り出された『私の十全な自己認識と自己実現を抑止する強大なもの』のこと」。「神」「絶対精神」「超在」「歴史を貫く鉄の法則」。
チャールズ・チャップリン
イギリス生まれの俳優、監督。無声映画の代表作に『キッド』(1921)『黄金狂時代』(1925)『モダン・タイムス』(1936)など。発声映画の代表作に『独裁者』(1940)『殺人狂時代』(1946)『ライムライト』(1952)他多数。1964年には『チャップリン自伝』を刊行している。(1889〜1977)。
中華思想
「中華思想というのは、宇宙の中心に中華皇帝がいて、『王化の光』がそこからあまねく四囲に広がってゆくという宇宙観です。王化の光を豊かに浴びているところは開明的な人間の暮らす文明圏であり、中心から遠ざかって王化の光が及ばなくなるとそこに住む人間もだんだん禽獣の類に近づいてくる。辺境は名目上中華皇帝の支配地なのですけれども、別に皇帝が実効支配はしない。皇帝に朝貢して、官命を受ける限りは辺境の王に『高度な自治』を認める。ただし、中華帝国から離脱して、独立しようとすると軍を送って、これを懲戒する。中国は『中華皇帝に朝貢して、臣下の礼をとる国』であれば、それがどんな国であるかを気にしない」。
中条省平
神奈川県生まれの仏文学者。学習院大学教授。主著に『反=近代文学史』(2002)『読んでから死ね! 現代必読マンガ101』(2003)『決定版!フランス映画200選』(2010)など。訳書に『いと低きもの』(1995)『幸福の花束』(2005)『肉体の悪魔』(2008)他多数。内田は、『カミュ伝』(2021)の帯文を担当している。(1954〜)。
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著作権
「作家やアーティストたちが、コピーライトを行使して得られる金銭的リターンよりも、自分のアイディアや創意工夫や知見が全世界の人々に共有され享受されているという事実のうちに深い満足感を見出すようになる、という作品のあり方のほうに私自身は惹かれるものを感じます」。
「著作権の保護期間が切れるというのは、テクストが『商品』的性格を失い、『作品』のカテゴリーに移行する、つまり『私有財産』から『共有財産』に変じることである。すべての作品の落ち着くべき先は誰も個人所有することのできない人類共有の財産となることである」。
沈黙交易
「『沈黙交易』というのは、交易の起源的形態である。ある部族と別の部族の境界線上にぽんと物を置いておくと、いつのまにかそれがなくなって代わりに別のものが置いてある。そんなふうにして行われる、交易相手の姿も見えず、言葉も交わさない交換のことである」。
沈黙の言語
「母語のアーカイブのことを江藤淳は『沈黙の言語』と呼んだ。それは『思考が形をなす前の淵に澱むもの』である。この『淵に澱むもの』から湧き上がってくるものが母語である。母語を通じてのみ、私たちは『死者たちの世界』『日本語が創り上げてきた文化の堆積』にアクセスすることができると江藤淳は言う。すべての時代の日本語は母語のアーカイブのうちで混じり合っている」。
テクスト
テクストとは、「多様な出自と材質をもつ素材や異なる方向に走る繊維が絡まり合って、いつのまにか、誰の意図によっても統御されることなく、織り上がってしまったもの」のこと。
「読者たちがそのつどのおのれの『実人生』に即してテクストを読み、そこから祈るように、すがるように自分にとっての啓示を引き出そうとする時はじめてテクストは多様でありかつ同一的であるという独特の現れ方をするということである」。
哲学者
哲学者と「は歴史の風雪のうちでさまざまなものを失い、人間の無知や邪悪さに深く傷つけられながら、それでもなお「人間的叡智」と呼ぶに足りるものを見出し、それを後世に伝えることを個人的使命として引き受けた人間のことである」。
手塚治虫
大阪府生まれの漫画家。ストーリー漫画、テレビ・アニメーションの創始者。1961年に虫プロダクションを設立し、1963年には、日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』を製作。代表作に『ジャングル大帝』(1950)『鉄腕アトム』(1951)『アドルフに告ぐ』(1983)他多数。(1928〜1989)。
内田は、「手塚治虫が戦後的なエートス、つまり科学信仰と学校民主主義という、二つのまったく新しい要素をマンガの世界に持ち込んだ」(「戦後漫画家論 戦後漫画は手塚治虫から始まった」『街場のマンガ論』小学館 2014年 244頁)と、指摘している。
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天才
「新たな『世界標準』を創り出すことができる人のことを『天才』と呼ぶのだと僕は思います。彼らが人類に豊かな贈り物をしてきて、僕たちはその恩恵をこうむってきた。だから、それほど才能のない人たちは、才能のある人をやっかんだり、足を引っ張ったりする暇があったら、その人たちがのびやかに才能を発揮できるように支援すべきだと僕は思います。どう考えても、その方が集団的な生存戦略としては効率がいいんですから」。
統一教会
「統一教会(Unification Church)は1954年に韓国ソウルで文鮮明(1920-2012)によって設立された宗教団体である。文はみずからを『再臨したメシア』と称し、激烈な反共運動によって、各国の右派政治家たちとつよい結びつきを持った。KCIA(大韓民国中央情報部)の支援を受けて設立され、当時の韓国政府の政治的目的を達成するための組織であったと後年に米下院の調査委員会では報告されている」。
恫喝
「私が味わったこの苦しみを、お前は想像できるか、追体験できるか、理解できるか、できはしまい……という『被抑圧者の肉声』の前には誰もが黙り込むしかない。これは私たちの政治文化に深く根をおろした伝統的な恫喝の語法である」。
道徳
「道徳というのは、何十年、何百年という長い時間のスパンの中にわが身を置いて、自分がなすべきことを考えるという思考習慣のこと」。
独裁制
「独裁制では、国民たちはどの政策が適切で、どの政策がダメなのかを自己責任で考える仕事を免ぜられる。免ぜられるというか、そうする権利がない。難しいことはすべて『賢い独裁者』の専管事項であり、国民は国政のことなんか気にしないで、日々の生計のことだけ考えていればいい。たしかに、そういう生活は国民にとってずいぶん気楽かも知れない。しかし、どれほど『賢い独裁者』といえども、ノーミスでその政治生活を終えることはできない。いつかは必ず失敗する」。
「独裁制の第一の、最大の弱点は、政策に大失敗した国難に際して、『身銭を切っても国を再建することがおのれの責務だ』と思う人間の頭数が非常に少ないことである」。
読書
「私たちは物語を読んでいるときに、つねに『物語を読み終えた未来の私』という仮想的な消失点を想定している。読書とは、『読みつつある私』と、物語を最後まで読み終え、すべての人物のすべての言動の、すべての謎めいた伏線の『ほんとうの意味』を理解した『読み終えた私』との共同作業なのである」。
「一つは『文字を画像情報として入力する作業』、一つは『入力した画像を意味として解読する作業』である。私たちが因習的に『読書』と呼んでいるのは二番目の工程のことである」。
都甲幸治
福岡県生まれのアメリカ文学研究者、翻訳家。主著に『21世紀の世界文学30冊を読む』(2012)『生き延びるための世界文学 21世紀の24冊 』(2014)『狂喜の読み屋』(2014)など。また、スコット・フィッツジェラルド『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、チャールズ・ブコウスキー『勝手に生きろ!』、ジョン・ファンテ『塵に訊け!』他多数の翻訳を手がけている。都甲の対談集『読んで、訳して、語り合う。』(2015)には、内田樹と沼野充義との鼎談が収録されている。(1969〜)。
図書館
「図書館はそこを訪れた人たちの無知を可視化する装置である。自分がどれほどものを知らないのかを教えてくれる場所である。だから、そこでは粛然と襟を正して、『寸暇を惜しんで学ばなければ』という決意を新たにする。図書館の教育的意義はそれに尽くされるだろう。」
「図書館はいわば『書物の聖堂』です。図書館で書物から豊かな贈り物を受け取るためには、場に対してしかるべき敬意を払い、しかるべき作法を守る必要がある。書物には固有の尊厳がある。それは書物の蔵する公共性・無量性に由来する」。
トラウマ
「トラウマというのは、『それを適切に言語化できない』という無能力そのものが、その人の人格の根源的な部分をなすような経験のこと」。
奴隷
「強権に屈服するだけでなく、屈服することを幸福と感じ、そこに快楽を見出すようなもののこと」。
な・は行
中田考
岡山県生まれのイスラーム学者。主著に『ビンラディンの論理』(2002)『イスラーム 生と死の聖戦』(2015)『イスラーム法とは何か?』(2015)など。内田との共著に『一神教 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(2014)『しょぼい生活革命』(2020)がある。(1960〜)。
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名越康文
奈良県生まれの精神科医。主著に『自分を支える心の技法』(2012)『驚く力』(2013)『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』(2014)など。内田との共著に『14歳の子を持つ親たちへ』(2005)『現代人の祈り 呪いと呪い』(2011)『辺境ラジオ』(2012)他多数。(1960〜)。
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夏目漱石
東京都生まれ。明治、大正時代を代表する小説家、英文学者。1900年にイギリスに留学。帰国後、東大講師となり、1907年に朝日新聞社に入社し、作家活動に専念。漱石が教育職に従事していたこともあり、彼を慕う青年たち、芥川龍之介、森田草平、久米正雄らがその門戸を叩いた。代表作に『吾輩は猫である』(1905)『坊ちゃん』(1906)『三四郎』(1908)など。(1876〜1916)。
内田は、漱石の作品を次のように評している。
「漱石の『男の部分』だけを拾っていったら、漢文学とかヨーロッパの文学・哲学とかを教養主義的に学べるし、『女の部分』だけを拾い読みしてゆくと、王朝文学に連なる心理小説の伝統が息づいている。ちゃんと両方入っているんです。だからこそ国民文学として読み継がれているんだと思う」。
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難波江和英
神戸女学院大学名誉教授。専門は英米文学、批評理論、文化学。主著に『恋するJポップ 平成における恋愛のディスクール』(2004)『思考のリフォーム』(2012)など。内田との共著に『現代思想のパフォーマンス』(2000)がある。(1953〜)。
成瀬雅春
ヨーガ行者、指導者。成瀬ヨーガグループ主宰。主著に『呼吸法の極意ゆっくり吐くこと』(2005)『意識ヨーガ ポーズを使わない最終極意!』(2020)『速歩のススメ 空中歩行』(2023)など。内田との共著に『身体で考える。』(2011)『善く死ぬための身体論』(2019)がある。(1946〜)。
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西靖
岡山県生まれのアナウンサー。1994年に毎日放送(MBS)に入社。同社の情報エンターテイメント番組「ちちんぷいぷい」では、2011年から総合司会を務める。主著に『地球を一周! せかいのこども』(2014)『聞き手・西靖、道なき道をおもしろく。』(2016)『おそるおそる育休』(2023)など。2011年11月、毎日放送ラジオで深夜に不定期で放送されている「辺境ラジオ」を開始。同番組には、西靖の他に内田樹、名越康文が参加。内田との共著に、同番組を再構成し、加筆修正を施した『辺境ラジオ』(2012)がある。(1971〜)。
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日本人
「私たちがふらふらして、きょろきょろして、自分が自分であることにまったく自信が持てず、つねに新しいものにキャッチアップしようと浮き足立つのは、そういうことをするのが日本人であるというふうにナショナル・アイデンティティを規定したからです」。
「私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に『決定版』を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです」。
日本文化
「私たちはどれほどすぐれた日本文化論を読んでも、すぐに忘れて、次の日本文化論に飛びついてしまうからです。日本文化論が積層して、そのクオリティがしだいに高まってゆくということが起こらない。それは、日本についてほんとうの知は『どこかほかのところ』で作られていて、自分が日本について知っていることは『なんとなくおとっている』と思っているからです」。
「日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、『日本文化とは何か』というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません(中略)。すぐれた日本文化論は必ずこの回帰性に言及しています」。
人間主義
フーコーの「『人間主義』とは、言い換えれば、『いま・ここ・私』主義ということです。『いま・ここ・私』をもっとも根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えをフーコーは『人間主義』と呼んだのです」。
人間性
「『夢の文法』で叙された世界から、それとは違う文法で叙された世界へのシフトを日ごと繰り返すことによって、人間はそのつど人間として再生するという仮説である。人間性とは、そのつど新たにおのれを人間として構築することができる能力のことであるという仮説である」。
人間的成熟
「過去の記憶はそのつど刷新され、そのつど発見され、そのつど創り出されてゆく。それが人間的に成熟するということである。そして、人間的に成熟しうるということ以上に人間的なことが他にあるだろうか」。
ネポティズム
「ネポティズム(nepotism)とは『権力や影響力を利用してよい仕事や不公平に有利な条件を自分の家族にために手に入れること』です。ラテン語nepos (孫、甥)の派生語ですが、nepos には『道楽者、消費者』の意味もあります。要するに『身内に楽をさせるために公共財公権力を用いること』です
」(原文ママ)。
眠りと覚醒
「おそらく人間が人間であり得るのは、この二つの世界(同じ人々が登場しながら、世界の論理が違う世界)を私たちが日常的に往還しているからである。その切り替えが許されるからこそ人間は生きていられる。その死活的重要性を知るためには、眠ることを禁じられた自分、あるいは覚醒することを禁じられた自分を想像すれば分かるはずだ。死とはおそらくこの往還の能力を失うことである」。
呪い
「呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは抽象的で、一般的で、反復的です。それが記号的ということです」。
敗戦国
「近代戦では、損耗率三〇%で『組織的戦闘不能』と判定されます。ところが、大日本帝国戦争指導部は損耗率一〇〇%まで戦い続けろ、死んで幽霊になっても戦い続けろと命じました。そのせいで歴史的惨敗を喫した。ミッドウェイで負けて、マリアナ沖で負けて、制海権・制空権を失った状態でも戦い続け、東京大阪はじめ主要都市を軒並み空襲で破壊されて、広島長崎に原爆を落とされて、焦土と化して、戦争指導部が『このままでは革命が起きて自分たちが殺されるかもしれない』という恐怖に取り憑かれてようやくポツダム宣言を受諾した。繰り返し言いますが、ここまでひどい負け方をした国は歴史上例外的です」。
朴東燮(バクドンソップ)
釜山生まれの独立研究者、翻訳家。主著に『動詞として生きる』『レフ・ヴィゴツキー』『内田樹先生に学んで行きましょう』(2021)『内田樹論』(2022)『状況認知』『会話分析』など。また、内田樹の著作の韓国語訳に『先生はえらい』『街場の教育論』『沈黙する知性』『ためらいの倫理学』『14歳の子を持つ親たちへ』『街場の読書論』『最終講義』『完璧を目指さない勇気』(韓国限定発売の韓国での講演集)など20冊がある。その他にも、日本の独立研究者、森田真生の『数学する身体』『数学の贈り物』『計算する生命』の韓国語訳を手がけている。内田は、朴東燮を「間違いなく世界一の内田樹研究者」(「内田樹先生×朴東燮先生「これからの時代は<習合>で生きる」(2)」ミシマ社 2020年)と評している。(1968〜)。
内田は、朴東燮について以下のように語っている。
「僕の本が30冊近く韓国語訳されているのは朴東燮先生という『一人』を得たおかげと言って過言ではありません。書き手の『グローバルな発信力』よりも訳者の『グローバルな受信力』の方が翻訳においてはずっとたいせつなのだと思います」。
「朴先生が私に対して個人的に寄せる期待の高さにはうまく対応できなかった。なにしろ彼は私の書いた本は全部読んでおり、それどころか、過去にネットに公開したものも全部読んでいるのである。だから、彼の通訳では私がまだしゃべっていないことを『フライング』で話してしまうことがよくあった。内田の場合、この話題が出たら次はこの話をするな、という流れを先刻ご承知なのである。それどころか、私自身が書いたことを覚えていないようなことまで教えてくれる。『私は内田樹自身より内田樹に詳しい研究家です』と言って笑う。そうだろうと思う。そんな酔狂な人が彼の他にいるはずがない」。
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橋本治
東京都生まれの小説家、イラストレーター。主著に『桃尻娘』(1977)『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(2002)『蝶のゆくえ』(2005)など。内田と橋本は対談本『橋本治と内田樹』(2008)を刊行している。また、内田は『先生はえらい』(2005)の文体が、橋本の影響下にあったことを認めている。(1948〜2019)。
内田は、橋本治について次のように述べている。
「『橋本治と同時代に生きられて、よかった』そういう感謝の気持ちを読者に抱かせてくれる書き手はそんなに多くはいない。それは橋本さんが僕たちが生きていた同時代の心性のすぐれた記録者であったからだけではないし、世情をみごとに分析してくれたからだけでもない。そうではなくて、橋本治さんは僕たちの時代を『祝福』してくれたからである」。
「日常的だけれど根源的、瑣末なことにこだわっているようでいてことの本質に及ぶ。それが『橋本治的』ということである」。
「説明は徹底的にやるとラディカルになるということを教えてくださったのは橋本治さんでした。以来僕は『研究者』ではなく『説明家』をめざしています」。
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バートランド・ラッセル
イギリスの数学者、哲学者。主著にアルフレッド・ノース・ホワイトとの共著『プリンキピア・マテマティカ』全3巻(1910〜1913)『懐疑論集』(1963)『ラッセルは語る』(1964)など。(1872〜1970)。
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蓮實重彦
東京都生まれの評論家、フランス文学者。主著に『表層批評宣言』(1979)『監督 小津安二郎』(1983)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュカン論』(1988)など。内田は、「蓮實は黒澤の映画をみるものは、言語的メッセージなんか探さず、この『上ばた下ねと』映像にどっぷり身を委ねるべきであるというようなことを言っていました。私はこれは映画にかかわる正しい姿勢であると思います」(「おとぼけ映画時評」『うほほいシネマクラブ 街場の映画論』文藝春秋 2011年 206頁)と述べている。(1936〜)。
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パワークラシー
「『パワークラシー』の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。これが『パワークラシー』
である。『パワークラシー』の社会では、『権力的にふるまうことができる』という事実そのものが『権力者であること』の正統性の根拠になるのである」。
反知性主義
「反知性主義者というのは、『私の知性はどういうふうに働いているのか?』という問いを、つまり『私はなぜいま〈こんなこと〉を考えているのか?』という問いを一度も自分に向けたことがない人たちのことだと思います」。
半藤一利
東京都生まれのジャーナリスト、作家。1953年に文藝春秋新社に入社し、週刊誌「週刊文春」や月刊誌「文藝春秋」の編集長、出版局長、専務取締役などを歴任。1995年に同社を退社し、作家となる。主著に『漱石先生ぞな、もし』(1992)『ノモンハンの夏』(1998)『昭和史 1926-1945』(2004)など。また、『昭和史』を原作とした能條純一の漫画『昭和天皇物語』(2017〜)が、漫画雑誌「ビックコミックオリジナル」にて連載中。内田は、『語り継ぐこの国のかたち』の文庫化に際して、解説を担当している。(1930〜2021)。
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批評
「映画であれ、音楽であれ、美術であれ、演劇であれ、システム『全体』の生成と変容についての、身をよじるような問いかけを含んでいるかどうか、さしあたりそれが芸術作品を論じる言葉が『批評』となるか否かの分岐である」。
「批評と『批評でない言説』の分岐点は、批評がどれほどラディカルであろうとも、鋭利であろうとも、それによってシステム自体は何の痛痒も感じることなく繁昌してゆくだろうという事実に対する、『恥の感覚』が覚めているか眠っているかということだ」。
平尾剛
大阪府生まれのスポーツ教育学者、元ラグビー日本代表。主著に『近くて遠いこの身体』(2014)『脱・筋トレ思考』(2019)『スポーツ3.0』(2023)など。内田との共著に『合気道とラグビーを貫くもの』(2007)がある。(1975〜)。
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平川克美
東京都生まれの事業家、詩人。1977年、友人の内田樹らと共に翻訳を主業務とする「アーバン・トランスレーション」を設立し、代表取締役に就任。2014年、喫茶店「隣町珈琲」を開店。その後、同店にて講演会、勉強会、古典芸能のイベント、書店営業などを展開。2020年に地域文芸誌『mal”』を創刊。主著に『小商いのすすめ』(2012)『俺に似た人』(2012)『グローバリズムという病』(2014)他多数。 内田との共著に『東京ファイティングキッズ』(2004)『沈黙する知性』(2019)など。(1950〜)。
内田は、「隣町珈琲」について以下のように述べている。
「僕の親友の平川克美君が始めた荏原中延の『隣町珈琲』は壁のほとんどが本棚ですが、それは彼が寄贈した個人蔵書がベースになっています。書物は私有するものではなく公共財だというので、蔵書を全部寄贈してしまったのです。まったくその通りだと僕も思います。でも、こうやってみごとに実践している人はなかなかいません」。
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平田オリザ
東京都生まれの劇作家、演出家。劇団「青年団」を主宰し、新しい演出様式による「現代口語演劇理論」を確立。代表作に『ソウル市民』(1993)『東京ノート』(1995)『上野動物園再々々襲撃』(2002)など。著書に『演劇入門』(1998)『芸術立国論』(2001)『演技と演出』(2004)他多数。2021年刊行の『街場の芸術論』には、平田オリザと内田の対談が収録されている。(1962〜)。
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平野三郎
岐阜県生まれの政治家。故郷の郡上八幡で町長を務め、自由党から衆院議員に当選し、5期務めたあと岐阜県知事になるも、1976年に収賄容疑で起訴され、その年の暮れに不信任決議を受けて辞職。内田は、平野の元娘婿であり、平野が汚職事件でマスコミの標的になったときには、ボディーガードを務めた。(1912〜1994)。
表現主義
「『印象派』というのは、(中略)外界を、情感もイデオロギーもメッセージも抜きで、視覚に見えるままに描き出したものである。モネとかセザンヌとか、あれですね。それに対して『表現主義』は、外界に内面が色濃く反映することを是とする主情的な画風である。心が荒んでいれば、風景が荒み、心が暗ければ、風景が黒ずみ、心がねじれていれば、風景がねじれる」。
ファン
「ファンというのは『ファンを増やすことをその主務とする人』のことです。(中略)とすると、ファンの一番大切な仕事は、できるだけ多くの人に『これは宿命的な出会いだ』と思って頂けるように、そっとプレゼンテーションをすることだということになる」。
「『弟子』とか『ファン』というのは、『読書経験を通じて、今の自分と違うものになりたい』という開放的な立場でテクストに相対する構えのことです。テクストの中に、ごく微細なものであっても、それが『自分を変えてくれそうな予感がする』徴候であれば、それを決して見逃さない。そのような貪欲な姿勢でテクストを読むのが『弟子』であり『ファン』だと思う」。
フェルディナン・ド・ソシュール
スイスの言語学者。構造主義言語学の祖。没後弟子によって編集、出版されたジュネーブ大学における『一般言語学講義』(1916)は、パロールとラングの分析、共時言語学と通時言語学の区別など、言語学の方法論を確立し、構造言語学の基礎を築いた。(1857〜1913)。
内田は、ソシュールの事績を次のように総括している。
「あるものの性質や意味や機能は、そのものがそれを含むネットワーク、あるいはシステムの中でそれがどんな『ポジション』を占めているかによって事後的に決定されるものであって、そのもの自体のうちに、生得的に、あるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわけではない、ということです。これは別にソシュールの創見というわけではありません。(中略)しかし、ソシュールは、私たちがことばを用いる限り、そのつど自分の属する言語共同体の価値観を承認し、強化している、ということを私たちにはっきりと知らせました。(中略)ふつうに母国語を使って暮らしているだけで、私たちはすでにある価値体系の中に取り込まれているという事実をソシュールは私たちに教えてくれたのでした」。
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二人の師
内田樹は「武道の師」である多田宏と、「哲学の師」であるエマニュエル・レヴィナスについて、次のように述べている。
「『叡智的な武道』と『身体的な哲学』が、僕個人の『生身』を通じてある種の化学反応を起こした。それがそのまま僕の人生であり、ぼくの書き物の核心をかたちづくってもいる。そういうことではないかと思います」。
フョードル・ドストエフスキー
ロシアの小説家。モスクワの医師の家に生まれ、16歳のときペテルブルクの工兵士官学校に入り、卒業して工兵局に勤務したが1年足らずで退職。1845年処女作『貧しき人々』で成功するも、1849年に社会主義活動で逮捕され、死刑執行の直前に特赦と称してシベリアに流刑。1859年にペテルブルクに帰還。1861年、兄ミハイルとともに文学政治雑誌『時代』を創刊。長編『虐げられし人々』(1861)と『死の家の記録』(1861〜1862)を連載し、文壇に復帰。主著に『罪と罰』(1866)『悪霊』(1872)『カラマーゾフの兄弟』(1879〜80)など。(1821〜1881)。
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フリードリヒ・ニーチェ
ドイツの哲学者。実存主義やポスト構造主義にも大きな影響を与える。主著『悲劇の誕生』(1872)『ツァラトゥストラはかく語りき』(1885)『善悪の彼岸』(1886)『道徳の誕生』(1887)など。(1844〜1900)。
内田は、ニーチェの思想的事績を次のように総括している。
「過去のある時代における社会的感受性や身体感覚のようなものは、『いま』を基準にしては把持できない、過去や異邦の経験を内側から生きるためには、緻密で徹底的な資料的基礎づけと、大胆な想像力とのびやかな知性が必要とされる、という考え方です」。
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プラトン
ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子。主著に『ソクラテスの弁明』『国家』『ティマイオス』など。(前428〜前348)。
フランツ・ローゼンツヴァイク
ドイツのユダヤ人宗教哲学者。主著に『ヘーゲルと国家』(1920)『救済の星』(1921)がある。内田は、レヴィナスが『救済の星』の影響下にあったことを指摘している。(1886〜1929)。
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ベニート・ムッソリーニ
イタリアの政治家。1919年ファシスト党を結成。政権を掌握し、ファシズム政治を行った。イタリア、エチオピア戦争などの対外侵略を推進した。日本、ドイツと枢軸国を形成し、第二次世界大戦を誘発。1943年敗戦で失脚し、1945年パルチザンに捕らえられて銃殺。
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辺境人
「ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる『絶対的価値体』がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後『辺境人』と呼ぼうと思います」。
母語(言語)運用能力
「母語運用能力というのは、平たく言えば、ひとつの語を(場合によってはひとつの音韻を)口にするたびに、それに続くことのできる語の膨大なリストが出現し、その中の最適の一つを選んだ瞬間に、それに続くべき語の膨大なリストが出現する……というプロセスにおける『リストの長さ』と『分岐の細かさ』のことである」。
「母語言語運用能力というのは、端的に言えば、『次にどういう語が続くか(自分でも)わからないのだけれど、そのセンテンスが最終的にはある秩序のうちに収斂することについてはなぜか確信せられている』という心的過程を伴った言語活動のことである」。
ホセ・オルデガ・イ・ガセット
スペインの思想家、哲学者。20世紀におけるスペインの文芸復興の指導的人物。ニーチェの影響を受けた大衆社会論を展開した『大衆の反逆』(1930)の他に、『現代の課題』(1923)などの著作がある。(1883〜1955)。
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ポール・ヴァレリー
フランスの詩人、思想家。主著に『エウパリノス』(1921)『魅惑』(1922)『現代世界の考察』(1931)など。(1871〜1945)。
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ま行
マクガフィン
アルフレッド・ヒッチコックが命名した「マクガフィン」は、「それが存在すること、それが『何であるか』という同定を忌避することで、物語の中枢を占め、人々を支配している装置のこと」。
増田聡
北九州市生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科、文学部教授。専門は音楽学、メディア論、ポピュラー文化論。主著に『音楽未来形 デジタル時代の音楽文化のゆくえ』(2005)『その音楽の〈作者〉とは誰か リミックス・産業・著作権』(2005)『聴衆をつくる 音楽批評の解体文法』(2006)など。増田は、『ためらいの倫理学』(2001)に推薦文「内田さんは「思想の整体師」である」を寄せている他、『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』(2020)に「「大学の学び」とは何か 「人生全てがコンテンツ」を超えて」を寄稿している。(1971〜)。
増田は、内田について以下のように述べている。
「内田さんは『思想の整体師』である。貴方のコリ、ほぐします」。
街場
「街場シリーズ」は、内田樹の大学での講義を書き起こしたもの。ただし、例外も多く含まれている。『街場の現代思想』(2004)に始まり、『街場の芸術論』(2021)に至るまで、途切れることなく刊行されている。
町山智浩
東京都生まれ。アメリカ在住の映画評論家。1995年に雑誌『映画秘宝』を創刊。主著に『〈映画の見方〉がわかる本「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』(2002)『〈映画の見方〉がわかる本 ブレードランナーの未来世紀 』(2017)など。内田樹と町山智浩の共著『9条どうでしょう?』(2006)を刊行している。内田は、「町山智浩(中略)は私が日本でもっとも信頼を寄せている批評的知性のひとりで」(「解説 町山智浩の批評性について」『底抜け合衆国 アメリカが最もバカだった4年間』筑摩書房 2012年 337頁)あり、映画とアメリカについては、町山の意見を聴きたいと述べている。(1962〜)。
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マックス・ウェーバー
ドイツの社会学者、経済学者。主著に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904〜1905)『経済と社会』(1921〜1922)『一般社会経済史要論』(1923)など。(1864〜1920)。
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松下正己
東京都生まれの映画作家、批評家。主著に『映画機械学序説』(1991)『映画の言葉、映画の音楽』(2003)がある。内田との共著『映画は死んだ』(1999)を刊行している。(1950〜2018)。
マルクシストとマルクシアン
「日本ではあまり用いられないけれど、マルクスの理論に対してどういうスタンスをとるかで、フランス語では『マルクシスト』と『マルクシアン』という二つの使い分けをする。『マルクシスト』は『マルクスの理論をみずからの思想的立場とし、その概念、術語を分析の基本的な道具とする人』のことであり、『マルクシアン』は『マルクスの知見を理解し、その志に敬意を抱くが、その術語や概念を分析のための主要な道具としては用いない人』のことである」。
マルクス主義
「日本では、明治維新の後、近代化を急ぐ明治政府によっても、またそれに抗う自由民権運動によっても、欧米の政治理論は旺盛な消化力を駆使して取り込まれてきた。『資本論』の最初の日本語訳は1909年に安部磯雄によってなされたが、マルクス死後わずか四半世紀後のことである。戦前日本のマルクス主義学生運動の拠点であった東大新人会の創建は1921年。日本共産党の創建は1922年である。日本共産党はインドネシア共産党(1920年)、中国共産党(1921年)と並ぶ東アジアの『老舗』なのである」。
マルティン・ハイデガー
ドイツの哲学者。主著に『存在と時間』(1927)『森の道』(1950)『ニーチェ』全2巻(1961)など。(1889〜1976)。
内田は、『存在と時間』について以下のように述べている。
「ハイデガーの独創は神を『〈実存すること〉を十全に所有している実存者』ではなく、『〈実存する〉という動詞』に見立てるという点にあった」。
「現存在の本質は成熟をめざす未了であることのうちにある。だとすれば、死は存在の終わりではないということになる。この論の運びにハイデガーの天才性は存する」。
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マルティン・ブーバー
ウィーン生まれのユダヤ人哲学者。ブーバーの対話の哲学は、我と汝の関係を基本とし、神は永遠の汝であるとされた。主著に『我と汝』(1922)『人間という問題』(1943)『ユートピアの道』(1947)など。(1878〜1965)。
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丸山眞男
大阪生まれの政治学者、日本思想史家。東京大学助教を経て、同大学教授に就任。ハーバード大学特別客員教授(1961〜1962)。オックスフォード・セント・アントニーズ・カレッジ客員教授(1962〜1963)。1971年退官。主著に『政治の世界』(1952)『日本の思想』(1961)『増補版 現代政治の思想と行動』(1964)など。(1914〜1996)。
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マンガ
「日本のマンガの特性は表意文字(図像)と表音文字(音声)を並列処理する言語脳の構造と不可分である(中略)。さらに、これがそれぞれ『真名』(漢詩漢文)と『仮名』(やまとことば)の二つの性化されたエクリチュールを生み出し、この二種類の性化された記号体系が、今日では『少年マンガ』と『少女マンガ』というかたちに分化している」。
「戦後マンガは『軍隊』(巨大な暴力装置)と『憲法九条』(イノセントな心)が『合体』するときにだけ『よいこと』が起こるという物語を執拗に、ほとんど偏執的に繰り返してきた。つまり、戦後マンガは日米関係だけを集中的に描いてきたのである」。
三砂ちづる
山口県生まれの作家、疫学者。主著に『オニババ化する女たち』(2004)『月の小屋』(2008)『不機嫌な夫婦』(2012)など。内田との共著に『身体知 身体が教えてくれること』(2006)がある。(1958〜)。
ミシェル・フーコー
フランスの哲学者。構造主義を代表する思想家の一人。主著に『言葉と物』(1966)『知の考古学』(1969)『監獄の誕生』(1975)など。(1926〜1984)。
内田は、フーコーの事績を次のように総括している。
「人間社会に存在するすべて社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として『誕生』したもので、それ以前には存在しなかったのです。この、ごく当たり前の(しかし忘れられやすい)事実を指摘し、その制度や意味が「生成した」現場まで遡って見ること、それがフーコーの『社会史』の仕事です」。
「歴史の流れが『いま・ここ・私』へ至ったのは、さまざまな歴史的条件が予定調和的に総合されていった結果というより(中略)、さまざまな可能性が排除されて、むしろどんどんやせ細ってきたプロセスではないのか、というのがフーコーの根源的な問いかけです」。
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ミシェル・レリス
フランスの作家、民族学者。主著に『幻のアメリカ』(1934)『成熟の年齢』(1939)『癇癪』(1943)など。(1901〜1990)。
三島邦弘
京都生まれの編集者。ミシマ社代表。「ちゃぶ台」編集長。主著に『失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ』(2014)『パルプ・ノンフィクション 出版社つぶれるかもしれない日記』(2020)『ここだけのごあいさつ』(2023)など。内田は、ミシマ社から『街場の中国論』(2007)『街場の教育論』(2008)『増補版 街場の中国論』(2011)『街場の文体論』(2012)『街場の戦争論』(2014)『日本習合論』(2020)『日本宗教のクセ』(2023)を刊行している。(1975〜)。
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三島由紀夫
東京都生まれ。小説家、劇作家。自衛隊に体験入隊後、憲法改正を訴える組織「楯の会」を結成。1970年11月、「楯の会」の会員とともに東京市ヶ谷区の自衛隊内部に侵入し、決起を訴えた後、割腹自殺。主著に『仮面の告白』(1949)『金閣寺』(1956)『憂国』(1961)など。内田樹は、ドキュメンタリー映画『三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜』(2020)に出演している。(1925〜1970)。
内田は、三島由紀夫について以下のように述べている。
「三島由紀夫はその作品が書かれる前には存在しなかった。平岡公威は三島由紀夫に命を吹き込み、三島由紀夫という作家に『作家の起源』の座を譲るという仕方で姿を消した。後に残されたのは三島由紀夫という『あたかも全作品の創造主であるかのように仮構された被造物』である。(中略)それはもはや『書く人』のいない完全な虚構であり、それゆえ完全な芸術だったのである」。
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宮崎駿
東京都生まれのアニメーション作家、映画監督。1963年、学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画に入社。場面設計・原画等を手掛けた後、Aプロダクションに移籍。1973年にズイヨー映像へ。日本アニメーション、テレコムを経て、1985年にスタジオジブリの設立に参加。代表作に『天空の城ラピュタ』(1986)『もののけ姫』(1997)『千と千尋の神隠し』(2001)など。(1941〜)。
内田は、宮崎駿の作品について次のように述べている。
「宮崎駿という個人を経由することで、物語と技術が完全な調和を見出しているからである。いわば映画を観ている私たちは宮崎駿の身体に入り込んで、宮崎駿の夢をいっしょに見ているのである。他人の身体に入り込んで、他人の夢を見る。それが映画を観るという経験のもたらす最大の愉悦である」。
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民主主義
「大人たちが『日本社会は民主主義的に組織されなければならない』と本気で思っていたのは1945年から1970年くらいまでの四半世紀のことだと私は思っている。それ以前に日本に民主主義はまだ根づいていなかったし、それ以後はゆっくり枯死していった」。
「いまの日本は法理的には民主主義社会だが、市民たちは民主主義を適切に運用するノウハウをもう有していない。今の家庭は民主的でもないし、家父長制でもない。まことに中途半端なものになってしまった」。
「家庭と学校を徹底的に民主化しようとした四半世紀の努力の果てに、私たちは民主主義を徹底させたら民主主義的な組織はもたないということを明らかにしてしまった。戦後民主主義の虚妄を暴露したのは、戦後民主主義の申し子であった私たちの世代である。もちろん、その時はそんな重大なことをしているという自覚はなかった」。
民主制
「民主制のアドバンテージは『失敗した時にそれほど被害が大きくならない』『無能な人間が巨大な権力を持ち続けるリスクが少ない』という点にある。民主制の『ここがすばらしい』というところはあまりない。『あまりひどいことにならない』というのが民主制の手柄なのである」。
「民主主義は国が好調である時には非効率なものに見えるが、国難的危機の時には強い復元力を持つ。民主制は他の政体に比べて集団として生き延びる上で利が多い。私が民主制を支持する理由はそれだけである」。
民主制国家の主権者
「『自分の個人的な運命と国の運命の間に相関がある(と思っている)人間』と定義したい」。
無知
「『自分の賢さ』をショウオフすることよりも、『自分の愚かさ』の成り立ちを公開することの方が、世界の成り立ちや人間のありようを知る上ではずっと有用だと私は思っている」。
村上春樹
京都府生まれの小説家、翻訳家。早稲田大学在学中に開店したジャズ喫茶を経営する傍ら小説を書き始める。1981年、ジャズ喫茶を廃業し、専業作家となる。主著に『羊をめぐる冒険』(1982)『ねじまき鳥クロニクル』(1994)『海辺のカフカ』(2002)など。また、レイモンド・チャンドラー『ロング・グットバイ』、スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』他多数の翻訳も手がけている。内田樹は、村上文学を肯定する立場から、『村上春樹にご用心』(2007)と『もういちど村上春樹にご用心』(2010)を刊行している。(1949〜)。
内田は、村上作品の物語構造を次のように指摘している。
「ごく平凡な主人公の日常に不意に『邪悪なもの』が闖入してきて、愛するものを損なうが、非力で卑小な存在である主人公が全力を尽くして、その侵入を食い止め、『邪悪なもの』を押し戻し、世界に一時的な均衡を回復する、という物語です」。
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村上龍
長崎県生まれの小説家。武蔵野美術大学中退。大学在学中の1976年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。メールマガジン「JMM」編集長。テレビ東京のトーク・ライブ・ショー「カンブリア宮殿」(2006〜)に出演。主著に『コインロッカー・ベイビーズ』(1981)『愛と幻想のファシズム』(1987)『五分後の世界』(1997)他多数。(1952〜)。
めがね旦那
小学校教員。主著に『その指導は、しない』(2021)『クラスに「叱る」は必要ない!』(2022)『それでも僕は、「評価」に異議を唱えたい』(2023)など。『困難な教育 悩み、葛藤し続ける教師のために』(2023)には、内田との対談が収録されている。(1987〜)。
めがね旦那は、『困難な教育 悩み、葛藤し続ける教師のために』の執筆経緯を次のように述べている。
「この本は、内田樹先生のご著書である『困難な成熟』(内田樹著 夜間飛行 2015)で学んだことを、教育の文脈で書いてみたいと僕が思って書いた原稿が元になっています。その原稿がある程度の量になったので、学事出版さんに持ち込んでみたところ、「出版しましょう」という話になったのです」。
メタ・メッセージ
「『メタ・メッセージ』というのは『メッセージの読み方を指示するメッセージ』のことです。メッセージそのものは聞き落としたり、誤解したりしても構わない。でも、メタ・メッセージは絶対に聞き落としも、誤解してもいけない」。
免責
「免責を手に入れるために無知を装うのはたしかに有効な手立てである。幼児に政治責任を問う人はいないからである。だから、これから後、私たちは『私は世間のことにはまったく疎い』と公言するたち人が政策決定する国で暮らすことになる。亡国的な風景という以外にこれをどう形容すればよいのか」。
茂木健一郎
東京都生まれの脳科学者。主著に『脳と仮想』(2004)『今、ここからすべての場所へ』(2009)『最高の雑談力』(2018)他多数。内田との共著に『日本人にとって聖地とは何か』(2019)がある。(1962〜)。
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物語
「テクストを読むときに『底』を探そうとしてはならないとバルトが私たちを諌めたのは、私たちが物語を語るときに、ほとんどつねにありもしない『起源』を作りだし、それによって『私のいま』を説明しようとすることを彼が知っていたからである。偽りの起源を語ること、つまり『経歴詐称』こそが物語の本性なのである。だから、不用意に物語に踏み込めば、必ず私たちは『起源探し』のプロセスに絡めとられてしまう」。
森鴎外
島根県生まれ。明治、大正時代を代表する文学者、軍医、翻訳家。大学卒業後、1884年、軍医となりドイツに留学。1888年に帰国後、短編小説『舞姫』(1890)を執筆、アンデルセンの長編小説『即興詩人』(1892〜1901)を翻訳、文芸誌『しからみ草紙』(1889〜1894)を創刊。日清戦争に出征。帰国して『めさまし草』(1896〜1902)を創刊し、樋口一葉を輩出する。1899年に小倉に転勤したが、1902年に東京に戻り、日露戦争に従軍。日露戦争後には、『ヰタ・セクスアリス』(1909)や『雁』(1911〜1913)などを書き、大正期には『山椒大夫』(1915)といった歴史小説を多数発表した。(1862〜1922)。
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モーリス・ブランショ
フランスの評論家、小説家。当初はジャーナリストとして出発するが、1940年代以降は専業作家となる。学生時代にレヴィナスと、第2次大戦下でバタイユと知り合い、親交を深めた。主著に『謎の男トマ』(1941)『アミナダブ』(1942)『踏みはずして』(1943)など。(1907〜2003)。
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モーリス・メルロー=ポンティ
フランスの哲学者。主著に『行動の構造』(1942)『知覚の現象学』(1945)『意味と無意味』(1948)など。内田は、卒業論文でモーリス・メルロー=ポンティの哲学を論じている。(1908〜1961)。
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森田真生
東京都生まれの独立研究者。京都に拠点を構えて研究、執筆する傍ら、国内外でライブ活動を行っている。2018年、学びの場「胡蝶庵」を開く。主著に『数学する身体』(2015)『計算する生命』(2021)『偶然の散歩』(2022)など。「胡蝶庵」の開庵記念に際して、内田と対談(「壊れゆく制度のなかで、教育は」『ちゃぶ台vol.4「発酵×経済」号』ミシマ社 2018年11月)している。(1985〜)。
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や行
矢内東紀
東京都生まれの作家、投資家。主著に『「NHKから国民を守る党」の研究』(2019)『批判力 フェイクを見抜く最強の武器』(2020)『とにかく死なないための「しょぼい投資」の話 お金がなくても生き抜こう』(2020)など。内田との共著に『しょぼい生活革命』(2020)がある。(1990〜)。
安田登
千葉県生まれ。下掛宝生流ワキ方能楽師。主著に『日本人の身体』(2014)『すごい論語』(2019)『野の古典』(2020)など。内田との共著『変調「日本」の古典講義』(2017)を刊行している。(1956〜)。
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山岸涼子
札幌市生まれの漫画家。代表作に『アラベスク』(1971〜1975)『日出処の天子』(1980〜1984)『舞姫 テレプシコーラ』(2000〜2006、2007〜2010)など。(1947〜)。
内田は、山岸涼子の漫画について次のように述べている。
「山岸涼子のマンガの主人公たち(全員若い女性で、みんな信じられないくらい怖い思いをする)にとって恐怖の根源は外部ではなく、彼女たちの内部である。自分自身が恐怖の淵源なのである」。
山崎雅弘
大阪府生まれの戦史、紛争史研究家。主著に『戦前回帰 「大日本病」の再発』(2015)『「天皇機関説」事件』(2017)『歴史戦と思想戦 歴史問題の読み解き方』(2019)など。また、竹田恒泰が山崎雅弘を名誉毀損で訴えた裁判では、「山崎雅弘さんの裁判を支援する会」の代表を内田が務めた。内田との共著『「ある裁判の戦記」を読む 差別を許さない市民の願いが実った』(2023)を刊行している。(1967〜)。
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ヤマザキマリ
東京都出身の漫画家、文筆家、画家。主著に『テルマエ・ロマエ』(2009〜2013)『仕事にしばられない生き方』(2018)『扉の向う側』(2023)など。内田は、『ヤマザキマリ対談集 ディアロゴス』(2021)にて対談している。(1967〜)。
山田風太郎
兵庫県生まれの小説家。推理小説、伝奇時代小説、忍法小説を多産した。主著に『甲賀忍法帖』(1959)『警視庁草紙』(1975)『戦中派不戦日記』(1985)など。(1922〜2001)。
内田は、山田風太郎の小説について次のように述べている。
「そこには何の社会的なメッセージもなかった。(中略)サラリーマン小説にさえそれなりのメッセージ性があるのに、山田風太郎にはまったくなかった。人間の身体はどのように変形し、どのようにねじまがり、どのように醜く崩れ、打ち砕かれ、切り刻まれ、灰燼に帰すか、それだけが執拗に描かれていた」。
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山本浩二
大阪府出身の画家。1973年から3年間、マドリッドの美術研究所やプラド美術館で学び帰国。帰国後は、子どもの絵画教室を主宰する傍ら、制作活動を続ける。主著に、絵本『ちきゅうぐるぐる』(2004)画集『もうひとつの自然×生きている老松』(2015)随筆集『ミラノの森』(2022)がある。
内田とは、中学時代からの友人であり、2011年には凱風館の鏡板に「老松」を制作。また、レヴィナス三部作『レヴィナスと愛の現象学』(2001)『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(2004)『レヴィナスの時間論 『時間と他者』を読む』(2022)の装丁を手がけている。(1951〜)。
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山本直輝
岡山県生まれのスーフィズム、トルコ地域研究家。トルコ国立マルマラ大学大学院トルコ学研究科助教。主著に『スーフィズムとは何か』(2023)など。内田との共著に『一神教と帝国』(2023)がある。(1989〜)。
勇気
「勇気というのは孤立を恐れないということだと思います。自分が『正しい』と思ったことは、周りが『違う』と言っても譲らない。自分が『やるべき』だと思ったことは、周りが『やめり』と言っても止めない」。
友情
「友だちが変容すること、少し前までとは見知らぬ人になってしまうことを受け入れ、それをむしろ祝福することがほんとうの友情である」。
友情と勇気
「友情というのは理解と共感に基づいて成立するものです(とりあえずそう信じられている)。友情を豊かに享受している人は周りの人たちに理解され、共感され、支援されます。ぜんぜん孤立していない。でも、勇気というのは、周りからの理解も共感も支援もないところからなにごとかを始めるために必要な資質です」。
有責性
「世界の創造に遅れてこの世界に登場したこと、レヴィナスはそれを有責性と呼ぶ。これはとても重要な指摘である。有責性とは『遅れ』の自覚のことだ」。
ユダヤ人
「ナチスの思想によるならば、ユダヤ人という具体的な実存者たちが歴史的に負託された使命は、地上から消滅することだったからである。完全にかつ徹底的におのれ自身である時に、存在してはならぬものとして自己成就する存在者、それがナチスの統治下におけるユダヤ人だった」。
ユダヤ教
「ユダヤ人たちの一神教では、神に代わって、神の不在に耐えて、神の支援抜きで、神の事業を行うこと、それが信仰を持つ者のつとめであるという考え方をする(中略)。神が自ら勧善懲悪の裁きを下す世界では、人間は霊的に成熟することができない。神が全能の世界では、人間は、仮に目の前で悪事や非道が行われていても、異邦人や寡婦や孤児が目の前で困窮していても、それを看過する。神の所轄する事業に人間が賢しらな介入をする必要はないからである。だから、神が人間に代わって善を行い、悪を罰する世界では、人間は善悪について考えることも行動することもしなくなる。これが一神教が抱える根源的なアポリアである。ユダヤ人たちはこのアポリアを、神による天上的な介入抜きでこの世界に正義と慈愛をあらしめる責任をおのれの双肩に感じる者が霊的な意味での成人であると定義することによって解消した。」。
養老孟司
鎌倉生まれの解剖学者。主著に『からだの見方』(1989)『唯脳論』(1990)『バカの壁』(2003)など。内田との共著に『逆立ち日本論』(2007)がある。(1937〜)。
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吉本隆明
東京都生まれの詩人、評論家。主著に『言語にとって美とは何か』(1965)『共同幻想論』(1968)『マス・イメージ論』(1984)など。内田は、「吉本隆明は『戦後最大の思想家』といっていい」(「吉本隆明と江藤淳」『吉本隆明の世界』19頁)と、評している。(1924〜2012)。
内田は、吉本隆明について以下のように述べている。
「吉本隆明の思想は世界性を獲得できなかった。本質的には世界的な思想だったのだけれど、世界各国の地域性がそれを受け入れるだけの成熟に達していなかった」。
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ら・わ行
ラングとスティル
「ラングというのはとりあえず『国語』のことです。(中略)バルトの定義を借りれば、『ある時代の書き手全員に共有されている規則と習慣の集合体』です。ラングが『外側からの』規制だとすると、それとは別のにもう一つ、私たちが何かを語る場合、私たちの言語運用を『内側から』規制するものがあります。私たちの個人的な『言語感覚』とでもいうべきものです。(中略)『書き手の栄光、牢獄、孤独』であるこの個人的で生来的な言語感覚をバルトは『スティル』と呼びます。(中略)ラングにせよ、スティルにせよ、私たちはそれを選ぶことができません」。
リドリー・スコット
イギリスの映画監督。BBC退社後、CM制作会社を設立し、数多くのCMを手がける。1977年に『デュエリスト/決闘者』で長編映画デビュー。代表作に『エイリアン』(1979)『ブレードランナー』(1982)『アメリカン・ギャングスター』(2007)など。内田は、『エイリアン』シリーズを繰り返し取り上げて論じている。(1937〜)。
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リュス・イリガライ
ベルギー出身のフランスの哲学者、思想家。「エクリチュール・フェミニンン」の代表的な理論家、実践者。主著に『検鏡』(1974)『ひとつではない女の性』(1974)『性的差異のエチカ』(1984)など。(1939〜)。
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リュック・ベッソン
フランス出身の映画監督。フランスとアメリカで映画技術を学んだ後、映画制作会社を設立。代表作に『ニキータ』(1990)『レオン』(1994)『フィフス・エレメント』(1997)など。内田は、『サブウェイ』(1984)『グラン・ブルー』(1988)『ニキータ』『レオン』の4作品を取り上げて論じている。(1959〜)。
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隣人
「あなたの隣人にその人がいることによって、あなた自身の快楽は阻害されている。あなた自身の自己実現は邪魔されている。あなた自身の快適な日々はさまざまなかたちで妨害されている。にもかかわらず、あなたの権利、生命、財産を脅かすその弱い敵と共生しなさい。その人があなたの快楽を減殺し、あなたの自己実現を妨害する権利を守りなさい」。
倫理
「倫理というのは『あらかじめ』あるものではなく、『そのつど選び取るもの』だからです。分岐点において、ある選択肢を採ることで、成員ひとりひとりの、そして集団全体の生き延びるチャンスが高まるような、そのつどのソリューションを過たず選び取ること、それが『倫理的なふるまい』だと僕は考えています」。
「『倫理』は共同体とか社会とか集団とかが成り立つための『条理』のことです。『共同体が共同体として成立するために成員が守るべき行動準則』というのが、『倫理』という語の定義としては、とりあえず無難じゃないかと思います」。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
オーストリア生まれの哲学者。主著に『論理哲学論考』(1921)『哲学研究』(第1部、1936〜1945。第2部、1947〜1949)など。(1889〜1951)。
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ルネ・デカルト
フランスの哲学者、数学者、物理学者。近代哲学の祖。主著に『方法序説』(1637)『哲学の原理』(1644)『情念論』(1649)など。(1596〜1650)。
歴史
「私たちは歴史からほとんど何も学ばない。同じ愚行を、そのつど『新しいこと』をしているつもりで際限もなく繰り返す。それが私が歴史から学んだ最も貴重な教訓の一つである。冷笑的過ぎるだろうか」。
レッドへリング
「読者を誤った推理に導くための偽りの手がかり」のこと。
ロラン・バルト
フランスの批評家。構造主義を代表する思想家の一人。主著に『零度のエクリチュール』(1953)『モードの体系』(1967)『テクストの快楽』(1973)など。(1915〜1980)。
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論理的思考
「論理的に思考するというのは幅跳びの助走のようなものだ。ある程度速度が乗ってきて、踏み切り線に来た時に、名探偵はそこで『ジャンプ』する。凡庸な警官たちは、そこで立ち止まる。まさに『ここで跳べ』という線で立ち止まってしまう。論理性とはつきつめていえば、そこで『跳ぶ』か『跳ばない』かの決断の差である」。
若さ
「自分がしゃべっていることばに違和感は覚えるけれど、違和感のあることばの責任をそれでも取れるというのが『大人』です。それに対して、どうしても『ほんとうの思い』をうまくことばにできなく、何を言っても何をしても『こんなのは自分らしくない』という苛立ちだけが残り、それゆえ口にしたことばの責任を取りきれないので、前言を撤回し、語尾を濁らせ……というのが『若さ』の徴候です」。
鷲田清一
京都府生まれの哲学者。主著に『分散する理性』(1989)『モードの迷宮』(1989)『聴くことの力─臨床哲学試論』(1999)など。内田との共著に『大人のいない国』(2008)がある。(1949〜)。
内田は、鷲田について以下のように述べている。
「鷲田哲学の勘どころはキーワードの多くが因習的な哲学用語ではないということである。だが、その非哲学的キーワードを手がかりにして、鷲田清一は伝統的な哲学体系に取り組み、解読し、読み替え、脱臼させる。その手際は鮮やかというしかない」。
「感度のよい身体と、精度の高い文体の二つを武器にして、鷲田さんは自分の哲学を創り上げた。これはほんとうに独創的な仕事だったと思う」。
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おわりに
出典を明記していない語句の定義や、人物の基礎的な情報については、『日本歴史大事典』(小学館 2000)『日本史辞典 3訂版』(旺文社 2000)『世界史辞典 3訂版』(旺文社 2000)『広辞苑 第6版』(荒村出編 岩波書店 2008)『明鏡国語辞典 第2版』(北原保雄編 大修館書店 2011-2012)『ブリタニカ国際大百科事典 小項目電子辞書版』(ブリタニカ・ジャパン 2012)『百科事典 マイペディア 電子辞書版』(日立ソリューションズ 2012)を参照した。
また、現時点では古典化するに至っていない書籍やその作者に関する情報の事実確認については、朝日新聞出版、アルテスパブリッシング、医学書院、140B、岩波書店、イースト・プレス、ALL REVIEWS、柏書房、KADOKAWA、かもがわ出版、河出書房新社、技術評論社、月刊日本、週刊金曜日、自由国民社、スイッチ・パブリッシング、新教出版、講談社、光文社、小学館、祥伝社、晶文社、GQ JAPAN、新潮社、青土社、東京書籍、徳間書店、筑摩書房、中央公論新社、DECO、白水社、文藝春秋、マキノ出版、ミシマ社、みすず書房、鹿砦社、ロッキング・オンのホームページと、版元ドットコムに拠っています。次いで、映像作家やその作品については、映画データベースallcinemaとKINENOTEを参考にした。
言うまでもなく、本文の事実誤認については筆者の責に帰する。また、筆者の勉強不足な点もあろうかと思う。読者諸氏のご指摘とご叱正を賜りたい。
最後に、この総索引が、内田先生の著作を読む契機となり、あるいは内田先生の著作を読み進める一助となれば幸いです。
内田樹著作総索引の試み
公開日 ─ 2022年5月25日
最終更新日 ─ 2024年10月26日
編者 ─ 神野 壮人
連絡先 ─ jinnoakito@gmail.com