
来日されたローマ教皇フランシスコ様
我が家は、私と娘のみがローマ・カトリック信者で、主人は実家の都合上、洗礼は受けていない。日本の宗教は「多様性がある」と言われているけれど、まだまだそうではない部分はある。
私が先に成人洗礼を受けたのは、過去に娘が小さくて今抱えている病気の治癒が難しいと知って失望し、命を断とうとした時に、たまたま通りがかった幼稚園内に教会があり、イベントでシスターがいたから。
うろうろしている私を見つけて「どうしたの?」と声をかけてくれたおかげで、今の私のいのちがある。家族で教会に通うようになり、娘は幼児洗礼を受けた上で、中1に堅信式を受けて、正式なカトリック信者になった。
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さて、私達カトリック信者は、ローマ教皇を「パパ様」と読む。正確には「pope」なのだが、言語の問題と親しみを込めてのことなので、ここからは、パパ様と書くことにする。
23日から来日されて、昨日は長崎での爆心地公園での追悼の集い、大規模なミサ、その後広島へ飛んで、平和公園での平和の集いとスーパーハードスケジュールをこなされている。
私は「もしかするとお会いできるかも」ということで、一般枠で長崎のミサの参加申し込みを家族分で出したけれど、全て外れてしまって、しょんぼりした。
家に飾っている「無原罪のマリア様」の絵を見ては、「運が悪いなぁ」としょんぼりしていると、YouTubeライブで、全ての訪問地をライブ中継してくれると知って嬉しくなった。
しかも特別に専門チャンネルを開けてくれたということで、「なんと今のネット文化はよきこともあるんや!」と感動した。
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平和の集いには、カトリック以外の宗教家も出席されていて、パパ様が日本の宗教とも手を取り合って、平和について考え、手を取り合っていきたいかをお話された。
ちなみに、外国のスピーチ番組「TED」でも、日本の僧侶が「自分はお寺の子なのに、カトリックの学校に行った。でもそれは後々よかったと思う」というスピーチをされている。(今も残っているかなぁ?)
午後2時から約3万人が県立運動場でのミサに参加し、私はYouTubeライブでの中継を見て、式次第はスマホで公式サイトからダウンロードをして見ていた。
※ライブラリー保存されていたので、長崎でのミサの様子を貼り付けておきます。チャンネルが閉鎖されてしまうと見れないかもしれません。ミサは2時間強あるのでご注意ください。
さすが、長崎。カトリック殉教の地と隠れキリシタン(潜伏キリシタン)の地として、なかなか滅多に歌うことがない賛美歌からスタートした。私は以前いらした神父様が厳格な人だったので、知っていたから助かった。
私が通う教会からも当選して数名行かれたと聞いていたけれど、画面に映る人数にびっくりした。日本全国からきたのだろうなぁ。
式次第は、通常のミサとほぼほぼ一緒なのだけれど、多言語が飛び交うミサだったので、ネット配信では翻訳されていたし、パパ様をしっかりと拝見することができて、うれしかった。
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おそらく、このnoteを読んで、ローマ・カトリックがまだ抱えている問題について言及する人はいるだろうし、読みたくないという方もいるとは思う。
パパ様は、長年ローマ・カトリックが抱える諸問題については、どんどん改善を行い、良い方向に持っていこうとはしている。それには時間がかかる。だから、気長に見届けて欲しいと思う。
そして、今日本そして世界が抱える「紛争・戦争」さらに核問題について、「平和」を望んでおられる。
私は、大きな平和については、どうしても支えきれない部分はあるけれど、身近なところに平和を望んでいる。最近、身も毛も世立つような事件が多すぎるし、何か心の余裕を失いつつある。
憎しみあっても仕方がないし、何にもいいことなんてない。だから、このパパ様が来日、しかも38年ぶりに来日されたことを期に、少しでも「心の世界」を振り返ってみて欲しいと思う。
最後にパパ様の教皇名の由来とされている「アッシジのフランシスコ」の平和を願う祈りの一部を抜粋で紹介する。今日は、東京ドームで大規模なミサが行われるので、東京の方は交通規制が大変かもしれないけれど、どうかこの地上に平和が訪れますように。
憎しみのあるところに、愛を
いさかいのあるところに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように。
神よ、わたしに、慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも、理解することを
愛されるよりも、愛することを望ませてください。
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