「心病む夫と生きていく方法」10月末新刊一部公開します。お読み頂けるとうれしいです
生きづらさを抱えるあなたへ
女優・竹内結子さんの突然の訃報に触れ、驚くばかりです。詳しいことは何も分かりませんが、ここのところ続いている芸能界での若い世代の突然の死では「生きづらさ」ということを考えずにはいられません。
ペンコムでは、一昨年より、生きづらさを抱える本人と家族、きょうだい、配偶者が安心して暮らせる社会をめざす一般向け書籍シリーズ「みんなねっとライブラリー」を出版しています。
統合失調症、双極性障害、うつ…いまや、心の病は4人に1人と言われています。「みんなねっとライブラリー」は、公益社団法人 全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)監修のもと、家族、当事者、医療、福祉、介護、研究者など、多方面の著者に執筆いただき、分かりやすく、広く「こころの病」について理解を深めていただきたいという願いを込めています。
みんなねっとライブラリーシリーズは、これまで、
家族をテーマにした『追体験 霧晴れる時』
今および未来を生きる 精神障がいのある人の家族 15のモノガタリ
精神障がいの親に育てられた子どもたちによる『静かなる変革者たち』
精神障がいのある親に育てられ、成長して支援職に就いた子どもたちの語り
と2冊の本を出してきました。
そして、10月末に新刊予定のシリーズ3冊目は、夫が突然に精神疾患を発症した「妻たち」による、
『心病む夫と生きていく方法』
統合失調症、双極性障害、うつ病…9人の妻が語りつくした結婚、子育て、仕事、つらさ、そして未来
「心病む夫と生きていく方法」の一部を公開します
本書では、仕事と家族を守るという重圧の中で、心を病んでいく夫と妻、子どもが、「共に生きていく」なかでの苦しみや葛藤、そして、どのように「今」があるのかを真っ直ぐに語っています。
本に登場するのは、9人の妻たち。
これまで、精神疾患への取り組みや支援の中で、取りこぼされてきた「妻」に焦点をあて、体験談と座談会、そして、精神障がい者の家族支援が専門の蔭山正子准教授(大阪大学大学院)によるナビ&解説で、見えにくく、だから分かりにくい「精神疾患」についてお伝えしていきます。
今回、その中で一部を公開させていただきます。ご意見・ご感想をお寄せいただけましたら大変うれしいです。
『静かなる変革者たち』に登場する1人の若者が言いました。
「生きやすさ、いいよね」
生きやすい世の中になるお手伝いが少しでもできたらいいなと思っています。
『心病む夫と生きていく方法』統合失調症、双極性障害、うつ病…9人の妻が語りつくした結婚、子育て、仕事、つらさ、そして未来
はじめに
あなたはひとりじゃない。
ある日、夫の様子がいつもと違う。明るく優しい夫が心の病を患った。
仕事に行けず、一日中家にいる夫。
子どもも小さく、これからの人生を考えると不安で押しつぶされそうになる妻。
統合失調症、双極性障害、うつ病… 今まで他人事だったかもしれません。実は一生のうちに4人から5人に1人は発症する身近な病です。
本書は、このような精神疾患を患った夫と暮らす妻の体験を紹介する本です。
7人の妻による座談会と、4人の体験談を通して、妻がどのような困難にぶつかり、どう乗り越えてきたのか、そして、どのように変わったのか、ひとつひとつに向き合い、一緒に考えていきます。
私は、精神障がいのある家族の方を支援する研究を通して、精神障がい者家族会に関わらせてもらってから20年以上が経ちますが、夫や妻が精神疾患を患っているみなさんの配偶者会に参加したのはまだ4年前のことです。
そして配偶者会に参加した方々にインタビューをさせていただき、詳しくお話を伺いました。配偶者でも特に妻の体験は、同じ女性として衝撃を受けました。
私も昔、子育てをしながら保健所で保健師として働いていました。当時、夫は深夜まで仕事をしていたので仕方がないのですが、育児、家事、仕事のほぼすべてをこなす、いわゆる「ワンオペ」(ワンオペレーション)でした。
仕事を誰よりも早く切り上げ、ダッシュで保育園に閉園直前に滑り込み、帰宅後は料理や洗濯などをこなして寝る毎日でした。自分が女性であることなど忘れ、髪を振り乱して必死にこなしていました。
しかし、配偶者会やインタビューで聞いた、精神疾患を患う夫と暮らす妻の苦労は、私の苦労など比べ物にならなかったのです。彼女たちには夫の病気のことを勉強する時間も、気持ちの余裕もなく、日々の生活を回すことに追われ、自身が体調を崩すことさえありました。専業主婦だった奥様が慣れないパートを始め、経済的に家計を支えていることもありました。
それほどまでに頑張っているのに、親族や支援者、時には夫にさえ認めてもらえず、「私の人生って何だろう」と語られる方もいました。
彼女たちの生活は、私の想像を超えており、この現状を多くの方に知ってもらわなければいけないのではないかと思わされたことが本書の作成につながりました。
配偶者に支援が必要になった背景には、時代の変化もあると思います。精神疾患の方への支援は、長い間、統合失調症をモデルに形づくられてきました。
時代は変わり、外来患者数では、うつ病や双極性障害など他の精神疾患が増えてきました。疾患によって発症しやすい年齢が異なるため、家庭をもち、子どもができてから発病される方も多くなっています。
そして、統合失調症などの精神疾患があっても地域で当たり前の生活ができるように支援の在り方も変化してきました。当たり前の生活には、単身生活だけでなく、配偶者や子どもとともに暮らす家庭生活も含まれなければならないと思います。精神疾患の方の支援には、ご本人だけでなく、配偶者や子どもにも届けられる必要があると強く思っています。
支援の在り方を検討するには、支援ニーズを把握する必要がありますが、これまで配偶者の体験が着目されることはほとんどありませんでした。配偶者ならではの困りごとやニーズがあるのかさえよく知られていないと思いますが、「ある」のです。
精神障がい者家族会は、会員の多くが統合失調症を患う子どもの親です。そのため、配偶者という続柄に生じる特徴的なニーズに対応するために、京都精神保健福祉推進家族会連合会、大阪府精神障害者家族会連合会、福岡県精神保健福祉会連合会などは配偶者に特化したミーティングを設けています。
本書は、東京で開催している「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」の世話人である前田直先生のご協力で、参加者の方に執筆や座談会への参加をお願いしました。
本書は、妻を含めたご家族にまず読んでもらいたいです。
妻の方には「あなたはひとりじゃない」ことを伝えたいです。
そして、苦労だけでなく、精神疾患を患う夫と暮らす中で生まれた、彼女たちの魅力も感じてもらえると思います。
また、親の立場の方をはじめとするご家族には、親族の理解がいかに重要であるかを知ってもらいたいと思います。
支援者にもぜひ読んでもらいたいです。
私が以前保健所で精神保健相談を担っていたころ、配偶者の大変さをどの程度理解していたかと言えば、全く不足していたと言わざるを得ません。配偶者会では、多くの方が公的機関や医療機関から適切な支援を得られずに苦労された体験を話されます。
支援者の方には、本書を読んで支援の在り方について考えるきっかけになれば幸いに存じます。
夫である精神疾患を患う当事者の方にとっては、妻としての大変さが強調されていて、読むと少しつらいかもしれません。
しかし、私は精神疾患を患う当事者の方が大好きです。ですから、当事者の方の家庭生活を応援したいと思っています。
家庭生活を営んでいる方、そして、これから家庭生活を営もうとされている方にとっても本書が参考になることを期待しています。
蔭山正子
妻たちの体験談ー互いの肩を抱き、涙枯れるまで泣き尽くした夜。そこから私たちは前を向いて歩き出すことができました(はなさん)
「まずい。自殺願望がある」。
2017年3月、思ってもみなかった夫の告白。診断結果ははうつ病だった。40代、中間管理職。夫はこの日から1年3カ月の休職に入る。妻は30代。生後6カ月の長男を抱え、病気のこと、家のローン、生活費、子育てなど、不安に押しつぶされそうになっていく。
貯金を切り崩しながらの生活でけんかも絶えない。そんななか、妻は医師の説明を受け病気への理解を深めようと考えはじめる。
互いの肩を抱き、涙枯れるまで泣きつくした夜。これがきっかけとなり、2人は覚悟を決める。
両親の理解にも助けられ、妻はパートナーの会にも参加。
夫は復職し、今、2人は少しずつ未来へと歩み出している。
「このままでは自殺してしまう」 診断結果はうつでした
「自殺願望があるんだ、このままではまずいよ。心療内科に行きたい」
「えっ?」
夫の唐突な告白に、私は言葉を失っていました。
確かに今年に入ってから、夫は「眠れない日がある」「なかなか疲れが取れない」「仕事に行くのがしんどい」というようなことを言っていましたが、「たまたま眠れないんじゃない? 疲れがたまっているけどきっと大丈夫よ!」と、私はそれほど深刻には考えていませんでした。
その日夫は心療内科へ行きました。
帰ってきたのは、夕方の6時過ぎだったと思います。
心配しながら待つ私に、夫は診察の結果と、これまでの自分の気持ちを正直に、精一杯話してくれました。
こみ上げてくる気持ちを抑えられなかったのでしょう。夫は、話しながら大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めました。そんな夫を見たのは初めてで、私も動揺しました。
次第に私も涙が止まらなくなって、この夜は2人でたくさんたくさん泣きました。
夫はこの翌日から約1年3カ月、会社を休職することになりました。
医師の診断結果は、うつ病でした。
夫は40代、中間管理職。頑張り続けた夫の心が限界に
うつ病と診断されるちょうど1年前、夫は昇進し新たな気持ちで頑張っていました。
私も夫の昇進をうれしく思い、これからますますの活躍を期待していました、ただ、昇進と同時に仕事の量は月日を追うごとに増していき、帰宅も夜の9時を過ぎることが当たり前になっていきました。
夫はどちらかといえば真面目な性格です。周囲の期待に応えようと、ひとりで仕事を抱え込み、頑張りすぎたのでしょう。とうとう心と身体に限界がきてしまったのです。
夫が休職することが決まったとき、息子は生後半年を迎えたばかりでした。
うつ病の夫、まだ幼い生後6カ月の息子、30代の私。
ここから始まった私たち家族の2年間と今をお話しします。
どのしょうゆを買ったらいいのか分からない!
「まるで頭の中に霧がかかったような状態なんだよ。脳がストップして深く考えられないし何も理解できない。正しい判断もできなかったんだ」と、後に夫は当時を振り返ってそう言っていました。
ある日私は「しょうゆを買ってきて欲しい」と夫に頼んだことがありました。家族でよく買物に行く近所のスーパーです。スマホで商品の写真を撮影し、商品名も入力して夫にLINEで送りました。まもなく、スーパーへ行った夫から電話がかかってきました。
「しょうゆコーナーの前にいるんだけど、どれを買ったらいいのか分からない。頭が混乱して」
「えっ? どういうこと? 何言っているの?」と私は強い口調で責めていました。
このころの夫は、1度言ったことを何度も繰り返し聞いてくるし、1度で覚えられないことが多くメモをしないとだめでした。とは言え、メモを取ろうにも手が震えて文字が書けない状態でした。
なぜ? なぜ? 何もかもが信じられませんでした。
ただ寝ている夫に腹が立って、ストレスも頂点に。そんなとき
会社を休んでからというもの、毎日寝てばかりで何もしない夫に、私も次第に腹が立ってきました。初めての子育てで余裕がなかったこととも重なっていたと思います。怒りの感情がふつふつと沸き上がり、私はその感情を夫にぶつけていました。
そんなとき、夫が通う心療内科の先生から「奥様にもお話しておきたいことがあります」と言われ私も夫の診察に付き添っていくことにしました。
先生からのお話は、
・うつ病を理解してほしい。そのために勉強してほしい。
・寝てばかりいる夫を責めないで欲しい。
・彼には今、休息が必要だということを理解してほしい。
・今は、本人がしたいようにさせてあげてほしい。
という内容でした。
先生のお話はとても説得力があり、心にストンと落ちたのです。
「そうか、私は今、うつ病を抱えた夫と共に生活をしているんだ」と。
そこからは、「夫の病気を理解し、今の私たちにとって最善の道を見つけていこう」という気持ちに少しずつ変わっていきました。
夫はうつ病なんだと理解しようと努力していきました
早速私は先生から教えてもらったことを実践しようと、育児の合間にうつ病を理解するために本を読むことにしました。
うつ病のことが書かれた書籍コーナーに行って何冊か手に取ってはみたものの、気持ちが落ち込みそうな本は読む気にはなれませんでした。そんななか、店頭に平積みされていた『うつヌケ』という本を見かけ読んでみることにしました。漫画なのでスラスラ読めて分かりやすく、読んでいてあまり深刻に悩んだり落ち込んだりしないのも魅力的でした。
私は夫がどのように感じているのか、どんなことを考えているのか、どういう気持ちなのか、ということを理解しようと努力していきました。
夫は自分の気持ちをうまく言葉にできないようでしたが、私は夫の話に耳を傾け、感情移入しながら聴くということを大切にしました。その際に、夫の症状、状態、気持ちなど、気づいたことを必ずメモに取るようにしていました。メモしておくことで夫の状態の変化が分かりました。また、診察に立ち会うときに先生に近況報告をする際にも役立ちました。
これから私たちはどうなるの? 不安に押しつぶされそうでした
私たち夫婦は、どちらかといえば、日ごろからコミュニケーションを取っていたほうでした。
しかし、夫が毎日家にいるようになってから、夫婦げんかも多くなっていきました。
けんかというよりは、私が一方的に声を荒らげていたのかもしれません。
なぜ? どうして? と質問攻めにしたり、なかなか良くならない状態にイライラしたり、回復に向かっているのかよく分からなくて不安に思ったり、本当にこの治療で良いのかと疑ったり。そして、そもそもどうしてうつ病になったのかと、夫の性格や生い立ち、会社の上司を憎んだこともありました。
夫に質問しないと、私もこの先が不安で不安でたまらなかったのです。
本当に色々なことが、次から次へと頭に浮かび、その度に私は夫に当たっていました。そんなことをしても、何の解決にもならないのに。
お互いの肩を抱き、泣き尽くした夜
休職中、会社からは傷病手当金を貰っていましたが、それでなんとか家族3人が生活していけるギリギリの金額でした。家賃 11 万円に対し、手当金 17 万円という月もあり、貯金を切り崩す生活が続きました。
常にお金への不安は付きまとっていました。この先どうすればいいのか、先が見えない不安に襲われ、夫と一晩中泣きつくした夜もありました。
肩を落とす夫。その肩を「きっと、大丈夫」と抱きしめましたが、私も涙があふれて止まりませんでした。この夜のことは今でも鮮明に覚えています。
あのときの私たちは、泣くことでしか前に進めなかったのだと思います。
泣いて泣いて、泣き尽くしたとき、ようやく前に進めたのだと今振り返って思います。
両親に打ち明け、助けを求めました
それまでは、自分たちだけでなんとかしようと、周囲にはずっと黙ってきましたが、私は自分の母に夫の病気のことを打ち明けることにしました。
それはとても勇気がいることでした。
母はじっと聞いてくれました。
そして目にいっぱい涙をためていました。とても優しい涙でした
私も泣きじゃくっていました。幼い子どものように。
母は、全てを受け入れてくれました。
そして同じころ、主人の両親にも打ち明けました。
幸い私たちの両親は、うつ病のことを否定もせず責めもせず、ありのままを受け入れてくれました。
「話して良かった」
両親の理解は、私たちに深い安心感を与えました。そして、このことが新たな1歩を踏み出す勇気につながっていきました。
新たな1歩、「パートナーの会」への参加
親に打ち明けてから、気持ちも随分と楽になりました。息子が1歳を迎えたころ、私もそろそろ何か1歩踏み出して行動してみたい、視野を広げたいと思いはじめました。
1人で、また家族だけで思い悩むよりも、同じように精神疾患を抱えるご夫婦にお会いしてみたいという気持ちになりました。自分たちだけではないのだと分かるだけで、きっと心の負担も減るだろう、そう思ったからです。
色々とネットで調べているなかで、「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」を見つけました。これだ! と、思い切って参加を申し込みました。
1歳2カ月の息子を連れての参加に不安はありました。しかし主催の前田直先生から、子連れ参加を歓迎するお返事をいただき、私は参加することができました。会場にはボランティアで保育をしてくださる方がいて、私が集いに参加している間、息子の面倒を見てもらえて助かりました。
みなさんのお話を聞きながら、「うつ病」といっても、そう鬱病、統合失調症など病気の種類もさまざまであることを初めて知りました。病気になるきっかけ、どのような症状が出ているか、薬の服用の有無、配偶者の受け止め方もさまざまで、いろんな方々の経験や話を聞くことで、うつ病への理解が深まっていきました。
人前で話せた!
そして何より、会場で初めてお会いする皆さんに、自分の夫がうつ病であることを話せたことは、私にとって大きな1歩になりました。
とても勇気のいることでしたが、1人で悩まずに「誰かに話す」ということが大切なのだということがこの経験で分かりました。また、医療機関や行政・福祉など、どこで情報を得られるのか、どこに相談すればいいのかが分かったことも安心につながりました。
話すことの大切さを実感
この会に参加したことをきっかけに、私は大切な友人にも、夫がうつ病であることを話すことができるようになっていきました。
それまでは、夫の病気を知ったらみんなどう思うのだろう、かわいそうな人と思われるのかな、返事に困るかな、会話の雰囲気が暗くなるかな、そういう不安があり、誰かに打ち明けることが怖かったのです。人に話すことができるようになり、私自身が変わったことに気づきました。自分の考えを客観的に見ることができましたし、違った視点や新たな気づきを得られることも多くありました。
このことは、私たち夫婦が前向きに行動できる良いきっかけをくれたと思っています。
この文章を読んでくださっているみなさんが、もし私と同じ境遇でしたら、思い切って信頼できる人に話してみてもいいかもしれません。
「配偶者の会」に参加するのも1つの方法です。その1歩が、家族をとりまく状況を変えていくきっかけになると思います。
私自身がそうであったように。
母の支え。誰でもいいからSOSを出しなさい
夫がうつ病になってから、私を支えてくれていたのは、私の母でした。うつ病の夫と毎日一緒にいることに行き詰まってきたとき、実家に帰っておいでと言ってくれたのが母でした。
私たちのあるがままを受け止め、受け入れてくれたこと、うつ病の理解と協力の姿勢や態度を見せたくれたこと、私の悩みをいつも聞いてくれたこと、夫婦の時間を持つために、息子を預けたいときはいつも快く引き受けてくれたこと。
母親の姿勢に、態度に、言葉に、すべてに励まされ、私は母なしではこの2年間を乗り越えられなかったと思います。とても深い感謝の気持ちでいっぱいです。
母からの言葉で特に印象に残っている言葉が2つあります。
●「誰でもいい。SOSを出すこと。絶対に2人だけでは解決できないのだから」
本当にそう思います。夫婦だけで悩んでいても決して解決しません。また良い方向にも進んでいきません。
周りに相談してみる。信頼できる人に話してみる。誰かに頼ってみる。助けを求めてみる。経験して分かったことですが、これらがとても大切です。
自分自身が変わらなきゃ
もう1つは、これです。
●「夫に対して、こちらから、あれこれ質問攻めにしたり、不安にさせるような言葉をかけないこと。相手から自然と話してみたいと思ってもらえることが理想じゃないかな。そういう雰囲気や態度をこちらが作らなきゃね」
それまでの私は、夫に、なぜ? どうして? と何度も質問したり、そういうつもりはないのに、夫を責めていたりすることがありました。母は、そのことを指摘したのです。
母からこう言われたとき、私は自分自身が変わらなきゃと気づきました。そして、夫のあるがままを受け入れ、理解しようと決心しました。
具体的には、次の2つのことを意識することにしました。
・夫が話したくなるまで待つこと。
・夫が話してきたときには、私の感情をいったん横に置き、相手を理解するように努めること。
母の言葉で「私が変わらなきゃ」と気づいてからは、夫がどんな状態、どんな状況であろうとも、受け入れようと努力していきました。
とは言え、頭では分かっていても行動に移すのはそう簡単ではありません。行動できるようになるまでには長い時間がかかりました。今でも、時々不安はやってきますし、ついあれこれと口を出したくなることもあります。けれども、夫の回復を信じること、待つこと、認めることは、心を病む夫に対する見方を変えるうえでとても重要なことでした。
このように接することで、夫に少しずつ変化が生まれてきました。
そして、不安のなか職場復帰へ
夫は1年3カ月で職場復帰をしなければなりませんでした。実のところ、もう少し休ませたかったというのが本音です。しかし会社の規定上、休職の期間が定められており「○月までに復帰できなければ退職になります」と、会社から突然、夫宛に手紙が届きました。このとき、夫も不安でいっぱいになっていました。心療内科の先生からも「もう少し休んだ方がいいのですが」と言われましたがそういう規定なので仕方がありません。
夫は大きな不安のなかにいました。
私は「復帰に向けて準備していこう」「私にも何か手伝えることがあれば言ってね」と声をかけ、夫は、心療内科の先生から出された職場復帰に向けたプランを、頑張ってこなしていきました。
そうして、うつ病と診断されてから約1年3カ月後、夫は職場に復帰しました。
復帰当日の朝、久しぶりに見る夫のスーツ姿に、私は目がウルウルしました。
夫が会社に行くのが当たり前と思っていた生活から突然のうつ病。そして毎日パジャマを着た夫がいる生活。まだ十分ではないけれど、仕事に行けるくらい元気になってきたんだ、ありがとう、と夫への感謝の気持ちでいっぱいでした。
夫は本調子ではないものの、以前よりはだいぶ頭が回るようになり、物事を広く考えられるようにはなってはいました。しかし、まだ完全にうつ病から回復した状態ではありません。薬も服用中でした。
久しぶりに満員電車に乗ること、人混みがしんどいこと、職場の人に会うことへの恐怖、こんな自分にもできる仕事があるのかということ。長時間椅子に座って仕事ができるか、集中力が持つかなど、様々な不安と緊張を抱えながら仕事に向かっていきました。
復帰初日の仕事から帰ってきた夫。聞いてみたいことはたくさんあります。でもそんな気持ちをぐっと抑えて、とにかく夫の話を聞くことに徹しました。
その後夫は週3日の短時間勤務から始め、徐々に時間や勤務日数を伸ばしていきました。
夫の病気が教えてくれたこと
起こること出来事にはすべてに意味があり、1つも無駄な経験はない。しかも、それはベストのタイミングでやってくる。新しい経験は、自分を成長させる人生の良きスパイスとなっている──
夫がうつ病になったことで、私は人として大切なことをたくさん学ばせてもらいました。
起こったことは変えられません。唯一変えられるのは、自分自身。出来事をどう解釈するのか。そしてどういう意味付けをするのか。それは自分が選択することができます。
私たち夫婦は、夫の病気をきっかけに、大きく成長させてもらうことができました。
夫のうつ病は、私たち夫婦を不幸にさせようとして起こったことではなく、「より豊かになる、実りある人生へと導いてくれた」、そう思っています。
今はもう、不幸だとを思うことも、ほとんどなくなりました。もし夫のうつ病が再発したのならそれでもいいとさえ思えるようになりました。「そのときは会社を辞めてもいいからね」と夫には伝えています。「そう言ってくれるとうれしいよ」と言っていた夫の笑顔が忘れられません。
先のことにあれこれ不安を抱いて心配しても仕方がありません。
過去ではなく、「今」をしっかりと生きていこうと思っています。
私の経験が、いつか、誰かの光となる、そう信じて
夫は現在、通勤電車に乗り、週5日働けるまでになりました。新しい部署で新しい仲間と仕事をしています。職場の上司も、うつ病への理解を示してくれているようです。
通院は月に1度になり、減薬にも取り組んでいます。
私は、夫と共に歩む将来に希望を持てるようになりました。
そして、1つの決心をしました。
精神疾患のあるパートナーを持つ女性や、子育てに悩むお母さんたちなど、私たちの周りには、さまざまな場面で人間関係に苦しむ女性たちが大勢います。そういう皆さんが、「より良い生き方へ歩む」そのサポートをさせていただきたい、ということです。
そのための新しい学びも始めました。
私の経験が、いつか、誰かの光となる、そう信じています。
最後にゲーテの言葉を贈ります。
「現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう。」
これを読まれているあなたの幸福を心より願っています。
【参考にした本】
『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』著・スティーブン・Rコヴィー、キングベアー出版
『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』著・田中圭一、KADOKAWA
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最後までお読みいただきありがとうございました。
「はなさん」が文中でおっしゃっているように、この体験が誰かの光となるように、本を通じて支援させていただきたいと思っています。
『心病む夫と生きていく方法』の著作権料は著者のご厚意により、全額、「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」さん、「みんなねっと」さんの活動に役立てられます。
よろしければ、シェアをしていただけましたら大変うれしいです。
『心病む夫と生きる方法』は、10月末新刊予定です。発刊まで少し、お待ちくださいませ。