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「北条氏」が気になり「小田原と鎌倉」の観光に行った話 ~北条氏政・氏照の墓所、幸田門跡~
みなさん、こんにちは。
突然ですが、「逃げ上手の若君」という作品はご存じですか?
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こちらは現在「週刊少年ジャンプ」で連載しており、鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した|北条時行《ほうじょうときゆき》が主人公の作品です。
今年の夏にアニメの放送が始まりました。
あらすじは以下の通りです。
時は西暦1333年、武士による日本統治の礎を築いた鎌倉幕府は、信頼していた幕臣・足利高氏の謀反によって滅亡する。
全てを失い、絶望の淵へと叩き落とされた幕府の正統後継者・北条時行は、神を名乗る神官・諏訪頼重の手引きで燃え落ちる鎌倉を脱出するのだった…… 。
逃げ落ちてたどり着いた諏訪の地で、信頼できる仲間と出会い、鎌倉奪還の力を蓄えていく時行。
時代が移ろう大きなうねりを、「戦って」「死ぬ」武士の生き様とは反対に「逃げて」「生きる」ことで乗り越えていく。
英雄ひしめく乱世で繰り広げられる、
時行の天下を取り戻す鬼ごっこの行方は――。
私は某配信サイトでシーズン1を全部見て、「北条氏」に興味がわきました。
北条といえば
・戦国大名の北条氏は「小田原」
・鎌倉幕府執権の北条氏は「鎌倉」
で活躍したイメージがあります。
私は小田原と鎌倉、どちらも行ったことがありません。
「鉄は熱いうちに打てって言うし、
今すぐ行くか!」
ということで、ほぼ勢いで北条氏のゆかりの地「小田原」と「鎌倉」の観光に行ってきました。
長編になると思いますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
小田原編のはじまり
青森から出発し、小田原駅に到着!
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小田原で巡った史跡は以下の通りです。
北条氏政・氏照の墓所
幸田門跡
小田原城
報徳二宮神社
松原神社
この記事では、「北条氏政・氏照の墓所」と「幸田門跡」の紹介をします。
北条氏政・氏照の墓所
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「北条氏政・氏照の墓所」は小田原駅東口から徒歩1分、おしゃれ横丁の中にあります。
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天正18年(1590年)7月5日、小田原征伐で第5代当主の北条氏直は豊臣秀吉に降伏、小田原城は開城しました。
秀吉は北条氏政、北条氏照、宿老の松田憲秀、大道寺政繁の4名の切腹を命じ、小田原北条家の時代が終わります。
(北条氏直は紀伊国高野山で謹慎処分に決定された)
北条氏政、氏照の亡骸はこの場所にあった伝心庵に葬られました。
現在の墓所は長い間放置されていたところ、小田原城の城主を務めた稲葉氏(1633~1685)が北条氏追福のため建て直したものです。
大正12年(1923年)の関東大震災で埋没したが地元の有志によって復興されました。
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右から氏政夫人・氏政・氏照の五輪塔と言われています。
また墓所には鈴がかけられています。
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「幸せの鈴」と呼ばれており、北条氏政、氏照の供養のためにあるそうです。
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私は街中に眠る戦国大名の墓所を初めて見ました。
大名の墓所というと、例えば徳川家康は日光東照宮、伊達政宗は瑞鳳殿といった史跡や山中の墓所で眠るイメージがありました。
ただ街中で眠ることで身近な存在となり、地元の方から愛される仏様として君臨しているかもしれないと思いました。
幸田門跡
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「幸田門跡」は北条氏政・氏照墓所からお掘端通りを5分歩いた所にあります。
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記念碑が建てられており、この場所は小田原城三の丸の土塁跡で、西側に「幸田門」という三の丸の入り口がありました。
上杉謙信や武田信玄が小田原城を侵攻する時、幸田門から攻め込んだと言われています。
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現在は生活道路となっていますが、街中に城郭の一部が溶け込んでいるため歴史の片鱗が見え、「史跡好き」にはワクワクしました。
今回はここまでです。
次回は「小田原城」について書きます。