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愛智の許しと忘れっぽさ(長文に脱線)

わたしは、たくさん考えて、何年も研究してやっと流れ着いた。涙ぐましい努力や経験。流れつけたのは精進して「大きなわたしになる」のが叶ったわけではない。「わたしがどのくらい満足すれば安心して他所がどんなでも愛しくなるか」だった。

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下まで書き進んで戻ってきた。わたしがしこたま考えて見つけ出した哲学で生み出す効果と、元亭主が天然で忘れっぽいのが引き起こす効果が、さして変わらなかった驚きを書こうと思ったのに。予定が変わったけど最後まで書き続けてみる。伝えたいのは、設定を変えると自分が変わることで、今の自分が気に入らない自分なのは「そりゃそうなるよね」っていう設定になっとるんよ。間違ってるわけでも、やらかしたわけでも、根性が腐ってるわけでも、ないんよ。愛しい「自分ちゃん」が居るのに気がついてないだけなんだよ。で、この変化に現実は関係ないんよ。誰かの足しになったらラッキーやわ。
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むかしむかし、わたしはいつも未熟だった。けど、幸せになりたかった。自分だけでなく周りのみんなと一緒に。結婚して子どもを産んで離婚してその間ずっと絵を描いて食べてきた。そのとき自分が持ってる全部をいつも分けた。なのにいつも辛くて大変だった。

なんでだろう。

初めはわたしのミスを探した。人が喜ぶことが嬉しくて、そのために頑張ることは苦にならない人だった。良い人だったはず。自分の欲など何かわからないほどやった。それでもわたしはまだダメなのかなあ。それでも思うようにならなのはわたし自身が何かやらかしてるはずだ。研究熱心に細部まで調べた。薄黒い心とたくさんのミスはいくらでも見つかって、とても辛かった。情けなかった。こんなにダメなとこばかりで悲しく辛いなら、良くあろうとやってきたはずなのに、わたしにどんな愚かさや不運があるのか。何もかもやめてしまって流れ着くのは無人島でいい。それまで生きていた現実のほとんどを遮断して引きこもった。何かが触れれば涙が吹き出して、もう、カラカラでカサカサだった。「とにかくわたしに触れないで」
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ちなみにカサカサの前は、まんまと保証人のハンコを押して借金をかぶり、滞る養育費を請求する行為に耐えられず「いらない」と言い、姑の「よそ様より自分の子どものことでしょう」に反発していっときも忘れず、病気の友人の暮らしと通院を自分の能力以上に手伝い、外注は手数料をハネず、せっかく社長と付き合うも金銭援助は受けず、来ちゃったものは拒まず、やらかしたのは自分だからと昼夜働きまくり、隙があれば自分を責めた。ギャラはお値打ち以上の価格をもらうのに抵抗があった。要するに、自分ルールが強情だったと思う。そして、トドメは子ども達が突然いなくなった。だからもう、無人島でよかった。

今だから書ける当時の様子。自分を責めていたけれどお腹の底はこんな風だった。

まだそれもわからなかった頃。引きこもりつつもそのときわたしがする必要があるだろうことに全力で立ち向かっていると…ふつふつと猛烈にわたしの中で湧き上がるものがあった。

ダメだったかもしれないけれど、
自分にいいことなんてちっともなかった。
これ以上わたしに何をしろというのか。
人と接したいのに怖くて心がカチカチになってしまう。
こんなに辛いなんていったいわたしが何をしたというのか。
と、真剣に思った。今までいけないと思っていたからしなかったけど、もう全部恨んでしまえっ!全て他のせいにして、大暴れしたかった。で、過去を思い浮かべて全部罵った。躱しても接触してくるとこへは実際に言いに行ったりもした。わたしの知恵が足りなかったと押し込めてたのをなかば開き直って大暴れした。奥歯が取れちゃうぐらい食いしばってたのを解放した。どうせこのままなら無人島へ行くんだから。

他人を罵るのを迷うたび、自分に欠点を探してしまう度、「わたしが可哀想すぎる」と思った。世の中の常識がどうであろうと、わたしだけは、わたしを全力でお守りせにゃ誰が守ってくれるというのか。一人で頑張ってきて、尚わたしに責められてきた「わたしちゃん」の悲しみが初めてわかった。そのときにわたしに流れ込み広がった悲しみに今も胸が痛い。

偽善モードが長いわたしは、自分を棚に上げて他人を罵ることに耐えられなかったので、その期間を「なめくじキャンペーン」と名付けて面白がって盛大に、けれど本格的にじっとりヌメヌメと恨んで罵り続けた。本気すぎて謎に高熱まで出たくらいや。結構恨みは尽きず長く続いた。罪悪感で切り上げないで罵り切るのが目的やったから心を強く持って続けた。

で、あるとき頭の中の何かから「そりゃ罵りすぎやろ、アンタ」とツッコミが入った。「だよね〜、すんません」っとわたしちゃんが返してた。以前だったら「えっ?わたしが悪いって言うの!」って反応してたことやのに。

「成仏したんや」と思った。

それからはいろんなものが成仏していった。タイの宗教行事で夜空に何万もの行灯を飛ばす幻想的な様子を見たことがあるだろうか。あんな感じ。わたしはやっとわたしを許した。わたしにチャンスを。あなたにもチャンスを。やらかしたことは笑い飛ばして、腹に据えかねたら蹴っ飛ばしてもまた一緒にトライ。なんという事だろう。自分が満ちればよかったんや。

幸せを願える幸せ。過去起きた出来事は変わってないのに、思い出して湧き上がるものがまるで違う。何この魔法って思った。

「わたしちゃん」は「わたし」が応援してわたしが信じてわたしが愛していれば、なんの努力も辛抱もなく勇敢にイソイソと人生を満喫する。わたしが願うように。なんなら幸せにあふれながら。

思い返せばわたしが理解できなかった、どちらかというと「あんたが問題を投げつけて来たんがね」という人の中にもう流れついてた人に出会ってて「ここやてぇ〜!こっちやてぇ〜!」って、何かが叫んでた形跡を知る。出会いの代表選手は、一度は死ねばいいと願ってた元亭主や。子どもを連れてったのはコイツや。わたしにどんな酷いことをしても、しれっと忘れてにこやかに居る。だからこそ助かったことを思い出した。そして、彼が意識していなくても成り行きでも神さまの計らいでも、用意されてたお詫びやチャンスをわたしのルールだからと丁寧にお返ししてたことも思い出した。何度もなんども。万事そうならそりゃ辛いわ。わたしが受け取るにはわたしの指定する書類に印鑑を押して必要な儀式を執り行わねばならんかった。それくらいのイメージ。もうこうなると呪いやったな、と思い返した。

するとわたしの中で何かが言う「そこ!笑うとこや!」

忘れっぽい人。記憶を書き換える人。許せなかった。現実を放っておいて笑うなんて。

あーそうなんやー。ここ、笑うとこやー。

頑張ったね、わたしちゃん。大丈夫やよ、わたしちゃん。絶対にずっと応援する。やらかしてもっしょに逃げよう。もう、トロすぎて可愛くて大好きや。
世界は愛くるしいなぁ。

描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ