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連載小説「心の雛・続」 第三話 懺悔

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 カサカサに乾いた唇から飛び出す様々な言葉。
 さっきまでの鬱々とした印象はどこへやら。
 わたしは困惑する。やっぱり人間というものは、どこか計り知れない何かを内に秘めているものだと痛感する。恐ろしいくらいの暴力的な何かを。

 言葉っておかしいよ。予兆もなく突然やってきて、スパスパと簡単に投げつけてくる。肉体的ダメージはないんだけど、血だって出るわけじゃないんだけど、言葉を投げられた前と後とではわたしの気持ちが全然違っているんだもの。
 痛ましい事件のあの女性のようにね。

 こころ先生は、ただ、目の前の貴方を少しでも楽にしてあげたいなっていう、そういう気持ちはちゃんとある人間なんだよ。

 だからお願いです。どうか、もうそれ以上しゃべらないで。

 お願いだから……。


 元特殊部隊に所属し職務を真面目に遂行していたと言うその男性が、目をギラギラさせながら話している。

「守秘義務があるんです」

 はい、さっきからもう何度もそう言ってます。

「俺はもうずっと自分の仕事について誰にも言わずここまで来ました。でももう無理だと思ってしまった。眠れないんです。耳を塞いで部屋の鍵を二重にして誰も俺の近くに寄れないようにしたんです。
 ……でも聞こえてくる。いろんな断末魔が。
 俺を憎む声が。ずーっと耳から離れずそばにいるんです。

 俺の仕事は、ただ、言われたとおりに現地に赴き、与えられた機械というか、ただの道具を上に振りかざすだけで良かったんです。実際それしか俺はしていない。求められた役割を果たしただけ。それで、どうして、なんで俺は今もこんなに地を這うような気持ちで生きていかなくてはならないんだ!」

 話すうちに感情が高ぶってきたのか、男性の声がだんだんと大きくなっていった。
 先生が穏やかに言葉を返した。

「お辛い気持ちを言葉にしてくださり、ありがとうございます。それでは眠りが上手くいっていないというところを中心に、まずは一度R様の身体を診てみましょう」

「先生!!!」

 必死に男性が先生に取り縋った。腕を掴まれた瞬間、先生の顔から血の気が引いた気がした。でもそれは一瞬で、先生はいつも通りの微笑みでソファから診察室へと促した。

「本日は初めてですのでお伝えするのですが、当院は一般的な心療内科の病院とは少し異なっておりまして、カウンセリングのようなお話はしないんですよ」

「カウンセリングもしないでどうやって治すんですか?」
 男性の表情が困惑と消沈に変わった。

「なかなか伝わりにくい方法ではありますが、治すのはR様ご自身の身体です。僕はR様を『整える』だけで、治癒力を持っているのは薬でもなく、僕でもなく、他でもないR様です。時間はかかるかもしれませんが、治癒力は生き物であれば誰でも持っております。ゆっくりとR様のペースで整えていきましょう」

 トボトボと促されながら男性が診察室の高めのベッドに横たわった。

「簡単な業務内容にも関わらず給与は良かった。そんな仕事はおかしいからやめろという友人もいたけど、俺は親の介護もあって金が必要だったから、どんな仕事だって引き受けるつもりだった。同じ仕事をしていた奴でも俺みたいに死にそうにならない奴もいた。何が違うってんだ! どうして俺には虫けらの叫び声が毎晩聞こえて、奴はちっとも気にしないんだ! 不公平だ! 不平等だ! 奴は介護資金に悩んでもいないし自分のために金を自由に使ってんだ! どうして……」

 ずっとずっと男性が話していた。先生はひたすら傾聴することにしたのか、遮ることはせずただ静かに沈黙を貫いていた。


 どうしてカウンセリングをしないのかと言うと、心先生の手腕で患者様が「整った状態」になれば自然と「人に話さなくても自己処理できるから」という理由がある。
 人間は漠然とした不安がある時、過去の「何か」と結びつけて心当たりの紐づけをしようとするらしい。そうしないとよく分からない「何か」をどう判断したらいいのか分からないらしい。
 まるで形のないなぞなぞだ。

 例えば。
 一度ひどく落ち込んだ時に咳が止まらなくなった患者様がいたとして、患者様は別の機会にまた落ち込んだ。落ち込む理由は全然違うけれど、その患者様は過去の出来事と結びつけてしまって、また同じ状態になってしまった。無意識に。止まらない咳が辛くて再度心先生に診てもらったものの、喉に異常は見当たらなかった。

 落ち込んだ。だったらちょっと休んでみよう。

 それだけで良かったのに、「今」落ち込んだことを「過去」と同じかもしれないと思ったために、同じ症状が出てしまった。

 心と体は繋がっている。
 漠然とした不安を人間は恐れている。

 それは今懺悔をしている男性も然り。


「先生、お願いです、助けてください。俺は仕事を真面目にやっただけで、の声も姿形も覚えておきたくはなかった。ただ道具を天に向けて持ち上げる、それだけでいいはずなんだ。俺たちの仕事は誰か人のためになる、そういう価値ある仕事のはずなんだ……!

 俺が価値ある仕事をしたおかげで何か良くなった人間はどれくらいいるのだろうか……? それを知りたいが、知ったとして、もし、ひどく少ないんだったら……。俺は一体何のために『嫌な仕事』……。あぁ、もう俺がしたことは『嫌な』ことだって思っているんだな……。その嫌なことは何のためにしたんだろうって、本当に自分が嫌になる……」


の、うちに秘めたる贖罪しょくざい
誰かのゆるしで癒えるものでもなく
己自身が赦せるものでもなく
犯した事実は変えられず
ただひたすらに、己をさいなみ続ける


 先生は患者様をベッドに横たわらせた後、足首から順番に体の状態を触診される。「失礼」と先生は小さく呟くと、診察室を素早く出てわたしが隠れている受付の横を素通りし、一番奥の小さな流し台のある部屋へと向かって行った。
 水が流れる音がしたのでわたしは耳をそばだてた。歩いていけば飛べないわたし、ものすごく時間がかかってしまうので受付で聞くだけにした。
 金属製の何か……それに水を注いでいるような音。蛇口についている三又のハンドルをキュッとひねる音。ドポンという音は、先生が手を水に突っ込んだような……。

 わたしはこの病院で長いこと先生のそばで見てきたから知っている。
 あれは、冷たくなった両手をお湯で温めている音だ。

 先生の手はいつもあたたかいのに……。

 触診を始める直前に手を温めなくてはならない状況になったのだ。わずかな体の反応も感知できないくらい強張ってしまった、手。

「失礼いたしました。それでは、続けましょう」

 素早く戻ってきた先生は、それからいつも通りの診察を続けた。

 初回の診察でできる全てのことを終えた後、あんなに口から泡を飛ばしながら話していた男性が静かになった。たった数時間で人間が豹変することにも、妖精のわたしはいつもびっくりしてしまう。

 入口のドアベルがチリン……と鳴り、扉が閉まった。
 先生は玄関までやってきてR様が帰られる様子を見届けていたが、彼の姿が見えなくなるとその場にしゃがみこんでしまった。

「わぁ! こ、心先生! だ、大丈夫ですかぁ⁉」

 わたしが受付カウンターの上でびっくりして尋ねると、先生は普段は見せない走りで受付の裏側にある化粧室に駆け込んだ。

 オルゴールの音に紛れて嘔吐する声が聴こえてきた。



(つづく)


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初めてのファンタジー小説「心の雛」の続きです!
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