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連載小説「心の雛・続」 第四話 前向きな不調
大きな口をあーんと開けた心先生がプリンを頬張ろうとしている。
今、まさにその瞬間の、普段とかけ離れた可愛いお顔を、わたしは目をカッと開いて凝視した。
「えっ? 雛、ど、どうしました⁉」
ゴホゴホと咳き込んで先生がわたしに尋ねた。見すぎたか。一体どんな表情でわたしは先生を見てしまっていたのか……。
「先生! 吐きすぎです!」
おやつを食べる時のテーブルに、わたしはダン!と小さな両手を叩きつけて言った。実際は手が小さすぎてペチ!くらいの音しかしなかった。
「あー……、はい、確かにそうかもしれませんね」
「元気ないなら、お仕事をちょっとお休みしないといけませんよ!」
「元気ですよ? 現にほら、今プリンを……」
先生が食べ途中の半かけプリンが乗ったお皿をツンとつついた。黄色い弾力のあるプリンには仄かな苦みのカラメルがかかっている。黄色と焦げ茶のコントラスト。プリンは心先生が大大大大好きなおやつなのだ。
「プリン食べて、朝昼のごはん食べて、めっちゃ元気です感出してますけど! でもですよ、先生……」
わたしは口をへの字にして先生に言った。
「R様の診察の後に毎回吐いちゃうのは、どう考えてもおかしいですよ!」
先生が眉をへの字にした。
何度診察をしただろうか。あの、R様とおっしゃる新しい患者様。
率直な感想として言ってみる。あの人、わたしたち妖精を狩ってきた人だ。
『妖精の涙はあらゆる病を治し、生き血はあらゆる傷を癒やす』
人間にとってその力はとてつもない魅惑の薬となり、最近は(妖精自体が少なくなりすぎてしまったせいなのか)話を聞かないが、昔はわたしも家族も人間に襲われた。
守秘義務があるというのも本当だろう。妖精の存在は一般人にはあまり知られないようにしていたらしいから。乱獲? 転売? 何かビジネスとかにも影響があると女性医師は言っていたかな。
人間を救うために妖精を狩り、狩った人間が心を病む。
これってどんな皮肉なの?
これが食物連鎖の頂点に立つ人間の考えることなのか。
R様以外の患者様を診察しても先生は辛そうにはならない。
「心先生……あの、R様の診察はこれからも続けるおつもりなのでしょうか……?」
意を決してわたしは尋ねてみた。先生は即答した。
「続けますね」
「…………」
「雛に、心配を掛けてしまっていることは知っています。本当に申し訳ないと思っています。今の僕を雛がどう思っているのかも……」
先生は珈琲をすすり、寂しそうに微笑んだ。
「自分が人間であることを、心から申し訳ないと思っています」
今日のわたしのおやつはタイムとミントだ。こぶりな淡い色合いのブーケのような花の束を握りしめ、先生を苦しめているのはわたしも一つの原因なのかもしれないと思った。
「どうですか? 昨日は眠れましたか?」
「……先生、俺は良くなってきているでしょうか……?」
「お顔を見る限り、少しずつ上向きになっていると僕は思っておりますが」
「そう、ですか……」
カウンセリングを必要としない診療方針に納得していないのかな?
先生からの「眠れましたか」のキャッチボールが明後日の方向に飛んでいったのが、端で聞いているとよぉく分かる。こういう何気ない会話も患者様の状態を知るための材料になるというのに。
その日の診察が終わり、R様がちょっとだけ背筋を伸ばして帰られた。
予想通りというか……先生は男性の後ろ姿が見えなくなると早足で化粧室に行き、嘔吐した。
受付デスクから床に垂れ下がっている麻紐を伝ってタイル地の床に降り、わたしは廊下から先生の行く末を案じた。
ううう……こんなになってまで診察を続けるなんて!
吐いて満足したのか、めっちゃスッキリした表情で先生が化粧室から出てきたので、わたしは両腰に手をあてて、ふくれっ面で出迎えた。
「わ! ひ、雛、今日は裏庭じゃなかったんですか?」
「違います! 一応気配を消して、受付んとこに隠れていたんです!」
「雛は……R様のお話を聞かなくても良いのですが……」
「聞かなくてもいいけど、聞いたっていいじゃないですかぁ!」
「はい、確かにそうです」
口元をハンドタオルで拭きながら、先生は廊下に正座した。少しでもわたしに目線を近づけてくれる。
「僕は雛が心配です」
なんで? なんでわたしの方が心配されるんだろう?
「今までの患者様と比べ……ることはあまりしたくはありませんが、R様はよく話す方です。それに薄々雛も気が付いているかもしれませんが、あの方は妖精捕獲従事者です。雛にとって聞くに耐えない出来事や内情も、彼にとっては抽象的にしているつもりかもしれませんが、口にしています」
「はい、心先生だって全部それを聞いてますよ」
「正直聞きたくはありません。聞いたところで過去が変わるわけではありません。何も現場を知らない僕が『終わったことですから忘れましょう』などと無責任な発言もできません。彼が自分で乗り越えなくてはならないことです。誰かに赦しを与えてもらえることではないのですから」
わたしはこう考えている。
先生はあの事件の少女のように「目の前で困っている人」にできることをしているだけ。
「わたしが『赦す!』と言えば、あの人は整って、それから治りますか?」
尋ねてみると、先生はゆるゆると首を横に振った。
「それで他の妖精に顔向けできますか? それとも、嘘をつくつもりでしょうか」
ぎくりとする。他の妖精のことを、今、先生は口に出した。
先生はわたしを責めているわけではない。たった一言のことばが持つ、重さを、考え直してほしいと思っている。
「雛を責めているわけではありません。全ては人間が起こした罪です。雛がそんな顔をする必要なんて一つもない」
「…………」
「雛は僕が何度も吐いてしまうから、心配しているだけなのだと思っています。心配は不要なのですよ。アレは、体からのただのサインです。僕は一連の嘔吐も『前向き』に捉えているんですよ」
「前向きっ⁉」
目をまんまるにして先生を見た。吐くなんて絶不調じゃないですか!
「そんなにおかしなことでしょうか? 風邪で咳が出るのは悪い菌を外に排出する行為です。熱が出たらそれは菌と戦うための体の対策です。消化器系の不調は、これも菌を排出する……。どれもこれも、体にとってメンテナンスの一貫です。何も悪く捉えることなどありません」
だからって、そんな、吐いた後で爽やかな顔できるものかな?
「心先生……」
「はい?」
「つ、強いですね……」
わたしが言うと、先生は握りこぶしでどーんと胸を叩いて言った。
「はい、師匠との約束ですから!」
清々しいほどの微笑み! 水のシャワーを浴びて氷をカランと入れた冷たいミントティーを飲みつつ庭で寛いでいるくらい、爽やかな心先生がそこにいた。
(つづく)
次のお話はこちら
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初めてのファンタジー小説「心の雛」の続きです!
お気軽にお付き合いくださいませ。
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