連載小説「心の雛・続」 第七話 巡る、そして変わる
春夏秋冬、季節は巡る。
壁のカレンダーが一枚、二枚と散っていった。
季節は変わり、今は秋の終わり頃。
R様の診療状況は順調と言える。二階のリビングにある窓から裏庭を眺め、そう僕は思った。植えられたハーブも旬が交代し花模様もだいぶ変わっていった。
本日は夕方に二件の診療予約が入っているので、午前中は落ち着いて過ごす予定だった。
後で着るための白衣を手にした。それから僕は、ちらっと雛を見ようと思った。朝食後に裏庭に連れて行ってほしいと言った雛、珍しいなと思いながら何をして遊んでいるのか見てみたかったからだ。
長年のクセで「ゆっくりと」階段を降りた。
「心先生」
階段下の足元に雛がいた。
「わぁ、今日の先生は柔らかい色の服ですね! もすぐりーんって言う色で合ってますか?」
「モスグリーン……? あぁ、そうですね。シャツの色がその色ですね」
「当たった!」
「苔色、と言っても同じですよ」
「コケ?」
「見たことないですか? 木や石、地面などに付着している植物のような……」
雛を踏まないように注意して回り込み、白衣を受付近くの棚に置いた。いつもと同じ日常。それでいて、秋だからだろうか。何やら寂しくなる季節に感じた。
「心先生、お話があります」
雛が背筋をぴしりと伸ばしていつになく真面目な顔をした。僕は雛の目線に近くなるよう床に座り込む。
「何でしょうか?」
「あの、わたしに服……。あの、いつもいただいている可愛い服を、もう買わなくて大丈夫です」
そう宣言した雛は、今年の記念日に僕が雛に贈った服を着ていた。真っ白で、腰の中央に大きな結び目があり、丈の短いスカートが三段に重なっているデザインの服だ。僕と雛は森の奥から都会に行き、適切なお店で——さすがに僕は選べないので雛がポケットからこっそりと目だけだして「先生……これがいいです……」と希望した——服を買ったのだった。
雛の空色の瞳をじっと見た。これほど長く一緒にいても僕に知り得ることは、触れた時に流れてくる雛の「感情」だけ。今日の雛は不思議な表情だ。ちょっと眉を持ち上げ、唇を引き締めて……。
そろそろかもしれない、とも思った。毎朝の裏庭からハーブを摘む時に一瞬感じる人間ではない気配。そう、雛には雛の人生があるのだから。
「分かりました」
僕は微笑んで了承した。
「来てくださぁーい」
手のひらサイズの雛が懸命に僕のチノパンをぐいぐい引っ張った。
一体何をしたいのだろうか。
雛と触れているのでどんな感情なのかを探してみる。だが今は「何も」感じることができなかった。
何も感じないということは、目の前のことだけに全力を注いでいるという証だった。
分からないままに、僕は裏庭へ誘われた。
「ん…………?」
裏庭にやって来た。目を凝らせば、以前庭に設置した丸太テーブルの辺りに影が見える。僕の肩に座っている雛がおもむろに手を振った。
「雛……これは……」
「みんな! 見て! こちらが、奥野心先生よ!」
みんな……それは三人に向けられた言葉だった。
左から、雛と同じ髪色をした短髪の妖精、赤毛で長くウェーブがかかった妖精、その右側に、また赤毛で細身の妖精がいた。
背に羽があった。
すぐに妖精なのだと理解した。
ここからだと小さすぎて顔が分からず、ためらいながらも近づいた。
彼らと対峙する。
彼らにとっては僕は巨人に見えるのだろう。ゆっくりとしゃがみこんだ。
「初めまして。僕は、奥野心と申します」
雛には言葉が通じるんだと思い簡単に名を告げた。雛が僕の肩からぴょんとテーブルに着地し、彼らを紹介してくれた。
「心先生! こっちから順番に、グリン、スーマ、ラーフって言うの! みんな妖精の生き残りなんだって! 遠くに集落まであるんだって!」
「おい、雛! 何勝手に名前を教えてんだよ!」
「こころ先生……いつも、ごはん……あの、その……」
「だーーー! 集落のことまでしゃべるなよぉ、雛ぁ! 俺はまだ信じてねぇぞ! こいつの本性をよぉ!」
口々に妖精たちがしゃべった。いろんな性格があるらしい。それもまた人間と同じで面白いと思った。
「雛? 彼らは僕に会いたくはなさそうですが……。いいのですか?」
僕が尋ねると、雛は鼻を膨らませて言った。
「会いたくないなんて嘘! みんなでちゃんと相談して、今日心先生に来てもらったんだから!」
もう一度彼らを見た。オロオロしたりふてくされたり仏頂面だったりと、本当に人間と同じようにいろんな姿が見えた。
「雛、ありがとう。あぁ、わたし、緊張して……何を言うか忘れちゃった……」
「スーマは赤面症だなー。飯の礼を言うんじゃなかったか?」
「あ……そうだ、そうだった」
「紙も渡すんだってば!」
「それは雛がやれよ」
「紙どこ?」
「あれ? グリン、持ってなかったっけ?」
「知らん」
何やら押し問答が繰り広げられている。
彼らは妖精で、僕は人間だ。
正直なところ、生き残りの妖精の存在は薄々気が付いていた。
毎朝、ここ裏庭の植物の世話をする際、何度か飛ぶ姿を見たことがあった。舞い上がった透明の羽が朝日を含んで虹色に煌めいていたのが印象的で忘れられなかった。それほど美しい羽を震わせながら、見事な素早さで僕の横を飛び去った妖精。
三人の羽を見ると、グリンと呼ばれた彼に似ている気がした。
目が合い、すぐに逸らされた。
それはそうだろう。人間は仇だ。憎しみ以外のどんな感情も抱かないだろう。
赤面症と言われて頬を赤くした彼女は、スーマと言っていた気がした。
彼女の羽は隣の赤毛の彼と同じ色をしていて、彼女にだけ先端に欠損が見られた。逃げる際に雛のように羽が千切れてしまったのかもしれなかった。
己がどんなに否定したところで、人間が妖精を襲った、その事実は変わらない。
僕は遠い場所で見て見ぬふりをしただけだ。
ずっと心の奥に澱のように溜まっていたその思いは、今だかつて消えることはない。
握った拳に力を入れ、大きく息を吸った。
「雛。そして、妖精の皆さん」
口を開くと、ワイワイ騒いでいた彼らはすぐに黙った。
「人間が貴方たちに取り返しのつかないことをしました。本当に申し訳ありません」
座り込んだまま、地面に深く頭を下げた。
しばらく場は静かだったが、やがて雛が僕の拳まで駆け寄り、触れた。困惑と悲しい気持ちが流れ込んできた。
「頭を上げてくれよ、おっさん」
「おっさんって、やめて!」
「じゃあ、先生」
雛が抗議し、頭を上げてと言った彼……ラーフを見た。彼はふわっと舞い上がり、僕の目線の当たりでホバリングした。ちょっと近すぎて両目が寄ってしまう。
「手を出してくれ」
ラーフが言った。言われるがままに僕は両手を前に出した。そこに彼が着地した。
「人間は嫌いだ。俺たちの敵だ。でもアンタはちょっと違う気がする。なんで何もしてないのにアンタは謝る?」
ラーフの言葉に、グリンも続けた。
「先生は雛を助けてくれた。俺たちの食糧を作ってくれた。俺はそこの食糧を……けっこう勝手に奪ってしまっている。それは……何か思わないのか?」
僕はラーフの感情に困惑する。彼は負の感情は持っていなかった。
「僕が謝罪したのは、人間がしてきたことを止めることができなかったからです。僕は無力でした。何もできないまま、結果、多くの妖精の命が消えました。罪は、罪です」
僕は次に、グリンの方を向いて目を逸らさずに話す。
「裏庭の花は皆のものです。雛の分だけと思っていましたが足りないようでしたので、少しずつ増やしているところです。足りなければ教えてください。検討しますので」
「俺は盗みをした」
「そうでしょうか?」
「一応、妖精の涙を山盛りにしておいたんだが……」
「あれは貴方でしたか。素晴らしい肥料になりました」
僕が「肥料」と言うと、その場の全員が脱力した。
「せ、先生……!」
真っ赤な顔のスーマがぴゅーっと飛んできて、ラーフの隣に降り立った。彼女も負の感情は何もなく、流れてくるのは「緊張」だった。
「何でしょうか」
「あの……! これ……!」
ガサゴソとスーマが何やら紙を引っ張ってきた。ところどころシワがあり、土や砂がついていた。
「あったぁ! 心先生! これ、わたしたちからの気持ちです!」
手元にいる雛が最後に言った。僕は畳まれたその紙を受け取り、開いた。
(つづく)
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初めてのファンタジー小説「心の雛」の続きです!
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