【紫陽花と太陽・下】第十三話 卒業式
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(今回の文字数:約7,000字)
卒業式が終わり、外の玄関前。
ものすごい喧騒だった。人が多すぎる。
クラス全員での記念写真は各教室で撮影したものの、やはり仲が良い奴同士で写真は撮りたいものだろう。外で、三月の、わりと寒いだろうにも関わらず、ここは人でごった返していた。写真を撮る奴、撮られる奴。先輩に何かを贈ろうと集まっている在校生、教員と話す生徒、保護者たち。人、人、人……。
くそ、見失う……!
俺はそんな中、必死に遼介を探していた。
ドン、と近くを通り過ぎた誰かとぶつかって、ポケットの中でくしゃりと音がした。慌てて手を突っ込み、中で粉々になっていないか確かめる。……はぁ、無事だ。
ポケットの中には花飾りが入っていた。すぐに帰る、とコートを羽織ったクラスの男子にその飾りが必要かどうか聞いてみると、もういらんと言ったのでもらったのだ。
保護者たちの中では目立っていたのに、在校生や卒業生の中に紛れ込むと遼介がとたんに分からなくなった。あいつは一体どこにいるのだろうか……?
遼介は俺より少し小さいとは言え、百八十センチはあったかと思った。一瞬、チラリと頭のアホ毛が見えたような気がした。遼介はおでこの中央につむじがあるため、基本おでこが丸見えだ。ついでに言うと、つむじで逆だってしまった髪の毛がピョコンと——俺たちはアホ毛と呼んでいる——天に向かって飛び出ている。
とか思っているうちに、遼介を見つけた。
「遼介‼︎」
剣道のトレーニングで培った肺活量をフル活用して、大声で遼介の名を叫んだ。
だいぶ遠いところにいた奴が気付き、俺の方を向いてひらひらと手を振った。
あいつ、帰るつもりだ……。
あくまであずさの保護者然として、式に参加したから後は皆さんで楽しんでねと言わんばかりに帰ろうとしているに違いない。
俺は慌ててポケットに手を突っ込み、花飾りを持って投げつけた。
「遼介‼︎ 受け取れっ‼︎」
思いっきり投げた、が、風が吹いて俺の足元に落ちてきた。
くっそぉ、軽すぎるんだこの紙製の工作物は!
失敗を活かして今度は工作物に重りをくくりつけた。自宅の鍵だ。これなら多少の風があっても遼介の辺りまで飛んでくれるだろう。
「遼介‼︎ 今度こそ受け取れっ‼︎」
また思いっきり投げた。きれいな放物線を描いて花が遼介の方向に飛んでいった。俺は急いで目の前の人たちを押しのけつつ、遼介の方に走っていった。
「痛いよ」
開口一番に文句を言われた。見ると、おでこが赤くなっている。
「キャッチできなかったのかよ……」
顔面で鍵付きの花飾りを受け止めたらしい。そうだった、遼介は球技が苦手だった。
「こんなもの投げて……。他の人に当たったら傷害罪でタイホされちゃうよ?」
「その時はその時だ。……それ、やる」
「何? ……お花?」
「卒業おめでとうの徽章だ」
遼介がキョトンとして、手に持った花飾りを見つめた。
「僕は卒業生じゃないよ?」
「知ってる」
「でも、ここに『卒業おめでとう』って書いてあるよ?」
「俺たちにとっては、お前も卒業生なんだよ」
遼介が心底不思議そうに小首を傾げた。
◇
聞いたことのある大声がしたのでそちらを見やると案の定剛だった。
俺が玄関で靴を履いて出てきた時、ちょうど剛が何かを投げているところだった。
俺は周りをぐるりと見回した。さくらと日向の姿は見えない。霞崎さんはさっき先生と何か話していたのでここにはたぶんいなさそうだ。というか、人がすごい。あちらこちらでカメラのシャッター音と、プレゼントを渡したのか、キャー! という叫び声も聞こえてくる。あぁ、卒業式って言ったら告白ブームだよな。霞崎さんならこんな時も告白されそうだよな……。
ぼーっと突っ立っていたらさくらと日向も玄関から出てきた。
「あ、翔だ」
「おぅ」
「翔は何するの? 打ち上げ行く?」
「んー、どうしようかなぁ」
俺のクラスは理系なので、さくらたちとは別だった。三年生になって進路ごとにまたクラス替えがあったのだ。二年生の時は同じクラスで修学旅行も一緒だったさくらたちだったが、今は違う。うちのクラスにも知り合いはいるが、まぁ卒業したら縁は薄くなりそうな奴らなので打ち上げには参加しないつもりだった。
「さくらのクラスは打ち上げあんのか?」
「別日にあるよ。五十嵐くんがクラス委員なんだけど、今日これからだと着替えとか大変だし集合時間も遅くなりそうだって。それで」
「あぁ、それは助かるな」
俺は剛のそういうところが合理的で良いと思っている。こんなごちゃついた撮影会の後に打ち上げだなんて、遅刻する奴ばっかりになりそうだ。
「霞崎さんは? ここにいなさそうだね」
「あずさは先生のとこ。でもきっとすぐ戻ってくるよ。遼介くんと一緒に帰りたいだろうから」
「え? 遼介くん、来てるの⁉︎」
「来てるよー」
「……まじか」
他校の修学旅行の時でさえ霞崎さんに会うためにわざわざ京都までやって来たのだ。そりゃあ卒業式にも参加……ってどうやって? 保護者……の代わりとして?
「親でもないのに、よく式に参加できたな」
俺は疑問をそのままさくらにぶつけてみた。さくらが呆れ顔で俺に言った。
「あれ、翔、聞いてないの?」
「何が」
「あずさと遼介くん、結婚したんだよ」
「はぁ!!!???」
ものすごく素っ頓狂な声が出た。叫んでしまった。俺の人生の中で初めてかもしれない。周りにいる人たちが俺の声量にびっくりして皆こっちを見た。……恥ずかしい!
「ばかっ! 翔、何叫んでんの!」
「い、いやぁ……あまりにびっくりして……」
少し、俺とさくらと日向が押し黙る。日向は……あ、スマホをいじってたのか。さっきから一言もしゃべっていなかった。
「さくら。あずさ、もう終わったから玄関に来るって」
「そっか、分かった」
「……」
「じゃあ、遼介くんを探さないとだね」
「だねー」
はて、この群衆の中からどうやって遼介くんを探そうか。
俺たちが目の前の光景に絶句していると、なんと向こうから剛と遼介くんがひょこひょこやってきた。
「あ、いた」
「卒業おめでとうございます」
遼介くんがにこにこして俺たちにお祝いの言葉を述べた。
「こいつ、さっさと帰ろうとしやがった」
剛が、親指でぐいっと遼介くんを指し、渋い顔で俺達に説明した。
「口が悪すぎるよ、剛」
「あずさくらい、待てよ」
「別に待たないよ? 皆がいるし」
そう言って、遼介くんがぐるりと俺たち全員を見回した。目が合うとドキリとする。
こんな大人しそうな、穏やかな、幼い感じの遼介くんが、結婚しただなんて……。と考えて、俺は慌てて口を開く。
「あ、遼介くん」
「ん?」
「結婚、おめでとう」
俺の言葉に、遼介くんが一瞬目を瞠った。
「あぁ、ありがとう。翔くんには言ってなかったね。ごめんごめん」
……久しぶりに会った。このメンバーで。
ついこの間のことのような気がするけど、受験勉強ばっかりで全然交友がなかったことに愕然とした。俺たちが勉強をしている間、遼介くんは仕事をしていた。
さっきの霞崎さんの答辞を思い出す。
あのような答辞は聞いたことがなかった。まぁ、答辞自体、そんなめったに耳にすることではないのだけれど。普通は生徒会長を務めた人や、部活動でものすごく活躍した人などが、卒業生代表に選ばれるんだろうと勝手に思っていた。
あの答辞は遼介くんに宛てた手紙のように感じた。それはまるで、恋文のようじゃないか。
「あずさー! こっちこっち」
隣のさくらが大きく手を振っていた。
「待たせたな」
答辞の時とは打って変わって、かっこいい話し方で霞崎さんが颯爽と現れた。ここにいるメンバーを見て、遼介くんがいるのにも気が付いた。ふっと視線が少し下の方に向いた。
「それは……」
「あ、これ?」
遼介くんが手に持っていた花飾りを見て、剛に渡した。それを剛が睨みながら、また遼介くんに戻した。
「すごい推してくるね」
遼介くんのその言葉に霞崎さんがふわりと微笑んで、そっと飾りを受け取って遼介くんの胸に付けた。
「剛からの気持ちだろう?」
「? どういうこと?」
キョトンとする遼介くんの隣で剛が盛大にため息をついた。
「お前も、今日は卒業式だってことなんだよ」
「なんで」
「俺も、たぶんあずさも、そう思っている。だからあずさは今、花を付けただろ?」
霞崎さんが大きく頷いた。
「遼介。確かに遼介は高校を辞めてしまってもう通ってはいない。だが、それが何か問題でもあるのだろうか? 卒業式というものは、この時期三年間の中で一区切りするだけのただの式典だ」
剛がそれに続けて言った。
「何なら内訳も言ってやろうか。部活動は、仕事。勉強は、読書。課外活動は、家事育児。後なんだ……? 読書が勉強に入らねぇっていうなら。おい、伝書鳩!」
「あまりに失礼だぞ」
「今更だ。最近、遼介が何の本を読んでいるのか、教えてほしい」
「……『部下に伝わる 本当の育て方』だったな」
「さすがだな」
剛と霞崎さんの、無駄がなくあざやかなやりとりに感嘆した。
間に挟まれた遼介くんが肩身の狭そうな感じで二人を交互に見ていた。……やがて苦笑いをして、まいったな、と呟いた。
霞崎さんが、もう一度胸の花を調整し、ついでにネクタイも調整して、遼介くんを見上げた。
「……卒業、おめでとう」
ふと、隣のさくらと日向があまりにも静かだったので見てみた。
二人とも泣いていた……!
「卒業‼︎ おめでとう‼︎」
少ししんみりしていたところに、突然でかい声が響き渡った。周りも驚いて俺たちの方に注目する。頼むから、恥ずかしいんだけど!
「え、縁田さん⁉︎」
遼介くんが素っ頓狂な声をあげた。その場にいる全員が口をポカンと開けていた。
「どうしてここに……。店は……?」
「臨時休業ぉー‼︎」
「また、すぐそういうことを……」
ガハハハ、と縁田さんというおじさんが大声で笑った。店って、あれか。この人、遼介くんが仕事しているお店の店長さんか!
「ヌシが店をほったらかしにして、こんなところに来るなんて。しかも社員である僕のじゃなくて、あずささんと剛たちの卒業式ですよ?」
「そうだな」
「一体どうやってここに入ってきたんですか。不審者になっちゃいますよ!」
チッチッチと縁田さんが人差し指を横に振って答えた。
「怪しいもんじゃねぇって。遼介くんもあずさちゃんも今日卒業したから、おめでとうを言いに来たただの近所のおっさんだ。さすがに式典には出てないだろ?」
「出てたらまずいです」
「最近の遼くんは手厳しいねぇ」
「しかも、僕は卒業していませんが」
「さっきお友達から卒業してるのと同じだ、みたいなことを言われてただろう」
「そ、それは……そうですね」
縁田さんの登場で、泣いていたさくらたちの涙は引っ込んでしまった。口を挟むにも挟めない。縁田さんのマシンガントークは続く。
「俺はなぁ、もう二年近く遼くんをそばで見てきた。一緒に仕事をしてきた。だから感じるんだよ、子供の成長ってすげぇんだなってよ。前にも言ったと思うけど、失敗とか悩むことは全然悪いことじゃねぇ。悩んで悩んで、それで強くなっていく遼くんを見てきた。確かに高校には通っていないけど、俺のところでものすごく頑張って来た。それは紛れもない事実だ。俺が言ってるんだから信じるしかねぇよな?」
遼介くんを見ると、微妙な顔をして曖昧に頷いていた。
縁田さんがごそごそと後ろの荷物からカメラを取り出した。写真部の奴らが所持しているような一眼レフだ。黒くてでかくてごつい機械。
「俺さぁ、昔はカメラマンだったこともあるんだぜ! 一時期な。すぐ辞めちまったけどさ」
一体このおじさんはどういう経歴を持っているんだろうか。喫茶店の店長さんをする以前にカメラマンもやっていたなんて。縁田さんが大きな声で指図する。
「写真撮るぞぉー‼︎ さ! 皆、寄った寄った! 友達も一緒だ! 一、二、三……六人か。じゃあ構図はこの方がいいな」
剛を見た。奴が俺の視線に気が付いて、苦笑いをしながら並ぶようにあごでしゃくって指示をした。さくらと日向もポカンとしながら、それでも流れで並んだ。記念写真は皆撮ってほしいのだ。しかも元カメラマンときたもんだ。プロなんだし上手に撮ってくれるに違いない。
縁田さんが写真を撮る。パシャリ、パシャリ。何枚も撮る。パシャリ、パシャリ、パシャリ。声がでかい。もっとこっち、もっと笑ってと指示される。周りの皆がこっちを見ているので恥ずかしいったらありゃしない。
俺たち六人は横一列に軽く円を描くように並ばされ、中央に縁田さんが座って撮っている。下から俺たちを見上げるような写真になって、動きが出て面白いんだと言っていた。左から、剛、さくら、日向、霞崎さん、遼介くん、俺の順で並んでいる。
ふと霞崎さんを見た。
明らかに写真に撮り慣れていないことが分かった。どういう表情をすればいいのか分からないのか、不安そうな顔でさくらたちと目の前のカメラとを交互に見ていた。
「あずささん、カメラのレンズ、丸いところを見るんだよ」
困惑している霞崎さんに遼介くんが穏やかな声で話しかけた。すかさず縁田さんがでかい声でカメラのレンズを指差す。
「そうか、皆いつもはスマホで撮るもんな。あずさちゃん、ここ、ここを見て素敵な顔をしてくれな!」
「……は、はい」
「あずささん、ほら前に、椿の七五三の時も同じようなカメラで撮ってたよ。あれと一緒だよ」
さっきから何枚も撮ってはいるが、この場で霞崎さんだけが笑っていない。やがて、遼介くんが人差し指で霞崎さんをつつきだした。
「ひゃっ! こ、こら、何をする」
「笑うかなと思って」
霞崎さんは身をよじって逃げた。それを見てさくらと日向も笑い始めた。さっきまで無表情だったのに、霞崎さんがすぐにくすくすと笑い始めた。ひとしきりつつき終わると、遼介くんは最後に霞崎さんの背中をポンポンと叩いて言った。
「そのまま。一緒に前を向こう」
六人全員が一斉に前を向いた。きちんとカメラのレンズを見れたかは分からないが、霞崎さんが笑っている六人の写真がほしいと思った。すかさず縁田さんが一瞬をカメラに収める。今撮ったものを真面目な顔でチェックし、それからニヤリと笑って大きく頷いた。
撮影が終わった。
「撮れたよ。後で印刷しておくよ」
縁田さんはそう言って、カメラを大事にしまっていた。何やら背中が大荷物だと思ったらカメラのカバンだったのか。
大撮影会が終わる頃、外玄関前はだいぶ人がまばらになっていた。
床に何枚か花飾りの「卒業おめでとう」と書かれた札がくちゃくちゃに踏まれて落ちているのが見えた。
縁田さんがポツリと言った。
「遼くんね、俺は今日ここに来れて良かった。スーツでビシッと決まってる遼くんを見れて、本当に誇らしいと思ってるよ」
「そんな大げさな」
遼介くんが苦笑いをして返した。縁田さんが続ける。
「そうかな。……俺は息子を亡くした。息子はもういない。どんなに想像したって、死んだ歳のままその後の人生を見ることはできねぇ。遼くんの親父さんはどうだ。遼くんの話に出てくる親父さんはすごく優しい人だと言っていたな。子供がそう言うってことは大事にされてきたってことだ。親父さんは悔しかっただろうな。見たかったと思ってるよ。仕事している姿、悩んでいる姿、乗り越えた姿、それに……卒業する姿もな。
あずさちゃんのご両親は俺はよく知らねぇから、何も言えない。
勝手にここにやって来て、勝手に感動してるだけだからって、そう思ってくれて構わねぇ」
誰も何も口を挟めなかった。
親が先に死ぬ、ということを想像できない自分が悔しかった。どんなに考えても、俺たちは遼介くんの気持ちに寄り添うだけで、理解してあげることなどできないのだ。
縁田さんは親の気持ちにも寄り添っていた。見たかった……。そうだと思う。友達になってしばらくして、遼介くんからご両親は二人とも病死だと聞いた。
「……本当に、嬉しいんだよ。何でだろうな。……今まで会ったどのスタッフにもこんなことしたことねぇんだ。俺が昔勤めた会社や仕事関係の人だって、自分の家族でもない人にこんなに深くは関わらねぇ。……本当に、なんでだろう」
「…………」
◇
「なんでだろう」
縁田さんほど年齢を重ねた人でも分からないことがあるのだ、と僕は思った。
外は三月でだいぶ寒いと思うのに、この瞬間は寒いとも何とも思わなかった。縁田さんの言葉と気持ちが、僕の中にじんわりと温かさをくれているせいだろうか。
「俺は今日どうしても、どうしても来たかった。写真を撮りたかった。明日じゃ意味がねぇ。今なんだ。……今は必要じゃなくてもいずれ遠い未来に、きっと、あの時撮って良かったなって思ってくれるかもしれねぇ……。そう思って……」
そう言って、縁田さんは僕とあずささんを両腕にガシッと抱きかかえた。声がでかい縁田さんは胸板が厚く、大きくて逞しいなと思った。
僕の頬に上から水が垂れてきた。
いつもダラダラとマシンガントークをする縁田さんが泣いていた。
何も話さず、唇を噛みしめて、いつかの僕のように目からだーだーと涙を流して泣いていた。
やがてポツリと縁田さんが呟いた。
「……大きく、なったな」
今自分はどんな顔をしているんだろう。さっきから頬の涙がひんやりと冷たくて——でもそれは縁田さんの涙なのか僕のなのか分からない——頭がぼうっとしていた。
胸につけた紙の花飾りが、カサリと乾いた音を立てた。
(つづく)
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