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【紫陽花と太陽・下】第十二話 答辞
前のお話はこちら
※今回は少々長いです(約7,000字)
※本文内に遼介と剛のやりとりで武道における礼儀を欠く描写があり、読者様によっては不快に思われるかもしれません。何卒ご容赦ください。
卒業式の式典が始まるまで、卒業生は体育館前の廊下に並んで待機することになった。扉を閉めたら体育館の中には声が聞こえないと思っているのだろうか。喧騒がひどい。皆思い思いにおしゃべりに勤しんでいた。
まぁ、今日が泣いても笑っても最後の日なのだ。この制服を着れるのも今日が最後。多少おしゃべりをして教師に叱られようと、かまっちゃいられない気持ちも十分分かる。
制服のネクタイを調整しようと首元に手をやった。カサリと紙でできた花飾りが音を立てる。バラ徽章、という名前らしい。卒業式のたった数時間、胸元を飾るためだけに作られたものであろうに、よく見ると細かいところまで精巧に作られていて感心した。
今日は、俺と、あずさと、さくらと、日向と、翔、その他大勢の卒業式。
高校三年間の終わりの日だ。
「あ」
体育館前の廊下からは玄関も見える。玄関から、パラパラと保護者達がやって来た。
全体的にモノトーンの礼服に身を包んだ大人たち。卒業生一人に対して両親がそろって出席する家庭も多いので、かなりの人数だ。
俺はモノトーンの群衆の中で、遼介を見つけた。
つい声が漏れ出た。
中学の卒業式よりさらに歳を重ねて熟年感が増した大人たちに混じって、遼介ははっきり言って、目立っていた。フォーマルな黒いコートを羽織っている。スーツが何色かはまだ分からない。ズボンが黒なので上もまぁ黒なんだろうなとは思う。
童顔で柔和な雰囲気が、スーツを着てもどうしても幼く感じさせてしまう。
(あ、コートの前を開けた。暑いのか。マフラーもしていたのか。まぁ三月だしな。……何か紙で仰ぎだした。その紙、受付で渡される式次第の紙じゃねぇか? いいのかよさっそくうちわに使って)
いつもの癖で遼介を見ているとツッコミが止まらなくなる。
いいや、どうせ後で会えるんだし、と視線を逸らした。俺の両親が来て気が付かれたらめんどうだ。警察官の俺の父親は柔道と空手を得意とするためか、ものすごくガタイが良い。つまり大男だ。それはそれでかなり目立つ。
「あれ、一人めっちゃ若すぎでしょ」
喧騒の中で俺の耳に何か届いた。列に戻ろうとしていた足が止まる。
「どこ? あ、あー……何あれ。高校生じゃん」
「高校生なら卒業式してるはずじゃね?」
「なら中学生か」
「いやいやいや、背は大きいって」
「一年とか、二年かもね」
「だけど保護者と一緒のところで待ってるよ」
「意味わかんねー」
勝手なことを言って。ゲラゲラと笑ってやがる。
俺はこういう奴らが大嫌いだ。喉の奥でじわりと嫌な味がした。
「分かった」
「何が」
「誰かの母親の愛人だ」
「へぇ、ひでぇ想像するなお前」
「それか再婚相手だ」
「若すぎだろ」
卒業式にも関わらず胸糞が悪くなってきた。誰だ。どこの誰が今話をしているんだ。
遼介を見てもぼーっとどこか別の場所を見ていた。たまらず声を掛けてしまった。
「遼介!」
こっちを向いた。遼介が少し目を瞠り、「あ、剛だ」と呟いた。ヘラリと笑って手を振っている。
大股に歩いて遼介の隣に並んだ。
「どうしたの? 何か怒ってる?」
「別に。ただ、お前すっげぇ目立ってる」
俺が言うと、遼介はくるりと周りを見渡した。
「そうだねぇ」
「気にならないのかよ」
「慣れたよ」
即答された。顔を見ても何を考えているのかさっぱり分からない表情だった。
「椿の参観日とかで、さんざん同じようなことしているからね。卒園式も、入学式も。僕とあずささんが大人たちに混じって参加したら、相当目立ってた。でも気にしてたらやってられないよ?」
「……」
(そりゃあ、そうだろうよ)
「スーツ、似合ってんぞ」
無理に話題を変えてみた。ああこれ? と遼介が笑ってコートを少し開き、スーツを見せてくれた。
「姉たちとひろまささんが礼服一式をプレゼントしてくれたんだ。ちゃんとサイズ測って作ってもらったんだよ」
「オーダーメイドってやつだな」
「ああ、それ。カタカナだからすぐ出てこなかった」
「じいさんかよ」
「すぐ着る機会があって助かっちゃったよ」
良かった。話し始めたらいつものように笑って答えてくれたので、さっきの奴らの無遠慮な声が聞こえていなさそうでホッとした。
「聞こえてはいるんだ」
絶句した。今まさに思ったことを口に出してしまったのかと思った。
俺が驚いて何も言えないのをよそに、遼介は続けた。
「お店で働いている時も、お客さんは皆それぞれおしゃべりしてて、僕はいつ『すみません』って言われても良いように、深くは聞かずに浅いところをなんとなく聞いている状態で仕事しているんだよね。だから」
遼介が困った顔で俺を見て言った。
「さっきの男子たちの会話も、聞こえてはいるよ」
何も返せなかった。聞こえていなければ良かったのにと思った。
目の前の遼介は、しかし何事もなかったかのように手に持った紙を眺めた。保護者用に配布された式次第の紙だ。俺はしばらく黙ったままだった。
喧騒が続いている。
俺は頭が麻痺したみたいに、馬鹿みたいに突っ立っていた。
ふと遼介を見やると、何やら紙をもさもさと丸め始めた。丸めて、何かを確かめて、もう一度強く丸めていった。
それから、棒状になった紙で、俺の頭を思いっきりひっぱたいた。
スッパァアン‼︎
「めーん‼︎」
「……がっ‼︎ ……っ痛ぇ‼︎ ……は?」
「ふふ、剣道部主将から一本取ったよ。僕の勝ちだね」
まるで意味がわからない。どうしたんだ急に。
「僕は勝ったので、
に命令するよ。今すぐに卒業生の指定待機場所へ戻りなさい」
「勝手に勝負して、勝手に勝ったことにして、勝手に王様ゲーム始めるんじゃねぇよ」
「最後のは王様ゲームか」
「剣道とごちゃまぜにするなよ」
仏頂面でいつものようにツッコミを入れた。遼介は微笑んで「ほら、早く」と俺を急かした。やれやれと肩をすくめて卒業生の最前列に向かって歩きだす。三歩歩いたところで奴が言った。
「あ、剛」
「今度は何だよ」
行けと言われて行きかけたのに出鼻をくじかれた。くるりと振り返って遼介を見た。
「僕のこと、心配してくれてありがとう」
そう、言われた。でもだいじょうぶ、とも聞こえた気がした。
片手を上げて、俺はまた群衆の中に紛れ込んでいった。
さっきの男子生徒の声は聞こえなくなり、喉の奥の嫌な感じもなくなっていた。
五十嵐の「い」は出席番号が一番で、クラスも一組なので俺は最前列だ。
最前列まで戻ると、あずさがいた。あずさは卒業生代表として全校生徒と卒業生保護者一同の前で答辞を読むことになっている。俺よりひとつ先頭に、いつものように背筋をぴんと伸ばして微動だにせず立っていた。
今日はいつも下ろしている黒髪を後ろでまとめていた。まとめる……といっても何だか複雑な髪型だ。両サイドが縄のように編まれていて首の少し上あたりで団子のように丸められている。白いうなじが見えていた。一体どうやって留まっているんだ。なぜ髪がほどけないのか。そこに花の髪飾りを付けていた。薄ピンクや水色や薄紫のいろんな色が見える。
前を向いたまま視線ははずさず、あずさが俺に尋ねてきた。
「遼介に、会ってきたのか?」
俺はちらりとあずさを見た。緊張しているのか、あずさの顔は強張っている。
「おう」
「元気そうだったか?」
「元気そう? 朝は一緒じゃなかったのか?」
「ああ。今朝は、私だけ美容室に行くのに早く出発したんだ。だから今日はほとんど顔を合わせていない」
「へぇ」
微動だにせずにいるあずさを見て、俺は軽くため息をついた。胸ポケットをまさぐる。式典が終わった後は全員教室に戻るのだが、そこでクラス担任の教師に花束を渡すのだ。その時に俺はお祝いの言葉を述べる担当となっていた(俺は二年も三年もずっとクラス委員をやっていたのだ)。カンニングペーパーをポケットから出す。そして丸めた。
それから、丸めた棒状の紙であずさの頭を思いっきりひっぱたいた。
スパァン!
「ひぇっ」
「……めん」
「な、ななな、何、どうしたのだ⁉︎ 急に」
そりゃそうなるよな。つか、普通に恥ずかしいんだが、遼介よ。
あずさが涙目で頭をさすりさすり俺をキッと睨んだ。
「緊張は解けたか?」
「は?」
「緊張だよ。ガッチガチだぞ。今からそんなんじゃまた倒れるぞ」
あずさが口をへの字にして俯いた。人前で……しかもかなりの大人数の前で何かを話すなんて、昔のあずさからは想像もしなかったことだ。よく引き受けたと思う。
「あまりに驚きすぎて、緊張も吹っ飛んだ」
「さいで」
「……ありがとう」
「俺じゃねぇよ。俺もさっき遼介から盛大に頭ひっぱたかれたから、同じことしただけだ」
あずさが驚いて俺を見た。
「ま、もうすぐだ。それで、終わる」
俺も前を向く。閉じられた体育館の扉の向こうから、式典の入場行進の音楽が厳かに流れ始めた。ナントカっていう作者の『カノン』だ。吹奏楽部員がこの日のために頑張って練習したのだろう。俺等卒業生もその努力に見合う振る舞いをしなくては。
体育館の扉が開いた。
薄暗かった廊下が明るくなり、ざわざわとした声が少しずつ静かになっていった。
◇
あずささんと剛は、最前列の一番最初に座っているはずだ。
保護者の席は卒業生、在校生のさらに後ろなので、分かってはいたけれど何も見えない。
あずささんは、今日皆の前で卒業生を代表してお話をすると言っていた。
僕はびっくりした。僕が知っているあずささんは、控えめで目立つことが苦手で、授業の時の声も小さかったから。透き通るような声をしていたけれど、よほどのこと(例えば英語の授業で音読しないといけない、とか、授業で何かを発表しないといけない、とか)がない限りは声を出すことはあまりなかったように思う。
剛には声がかからなかったんだね、と僕が言うと、あずささんと剛のどちらにも依頼が来たらしい。剛はそういった発表もそつなくこなすことをよく知っている。めんどくさいと言いながら、さっさと原稿を作って二、三度練習をし、本番で堂々と発表する。かっこいいなぁといつも思っていた。
中学校の答辞はどんなだっただろうか。
さっぱり思い出せない。式自体も逃げ出したくて仕方なかった頃だ。本当に何一つ覚えていないのだ。
あずささんは剛と相談をして、代表として前へ出ることを引き受けた。
僕はちょっぴり嬉しかった。
あずささんが、前を向いて、自分の意志で進んでいこうとしているのがすごくよく伝わってきたからだ。苦手でも、やってみようと思ったのだ。
卒業式が始まっている。さっき丸めたためにクルリンと曲がってしまった式次第の紙を何となしに眺めた。
僕はそっと左手を……左手の薬指につけた指輪をなでた。
自分なりの覚悟を持って、今日ここに来た。さっきの男子生徒たちの会話はひどいと思ったが、でもそれも仕方のないことだと思っている。僕と桐華姉でさえ『普通』の概念が違うのだ。赤の他人と『普通』が同じであるはずがない。彼らは知らないだけだ。両親がもういないということ。悩んで、苦しんで、もがいて、それで思いの丈を伝えて、願いが叶って、結婚できた人間が同じ歳でも存在することに。
それでいいのだ。人それぞれだ。僕はもう迷わない。あずささんが選んでくれた僕を、堂々と認めようと思っている。
「卒業生よりお別れの言葉があります。卒業生代表、霞崎あずさ」
式では旧姓のまま挨拶をすると聞いていた。いきなり姓を変えてしまったら同じクラスの人たちは動揺してしまうと思って。
「……い」
か、かろうじて返事らしき声が聞こえた。マイクがないからかな。僕の方が緊張してきた……。両手をギュッと握りしめて全神経を集中させた。
壇上にあがったあずささんは、それはそれはものすごく美しかった。と、身内の僕が言うのはひいき目があるので説得力に欠けるかもしれない。とにかく、美しかった。
ピシリと背筋が伸びて、ゆっくりと、丁寧に、歩いている。おじぎもきっちり四十五度。制服は一分の隙もない着こなしだ。
会場はしんと静かで緊張度が増す。僕が苦手なしゃべっちゃいけない雰囲気だ。ガコン、とマイクの調整する音が会場内に響き渡った。
答辞が始まった。マイクがあるので今度は聞きやすい。
マイクを通しての声は、普段のあずささんの声と全然違っていた。
時候の挨拶、いろんな人たちへの感謝の言葉、そして入学してから卒業するまでの数々の思い出を具体的なキーワードを折り込みながら、訥々と話していく。家で、ものすごく調べながら一生懸命原稿を書いていた姿を思い出す。仕上がった原稿はかなりの枚数になり、こんなに長い文を読むのかと驚愕したものだ。
「……が、この先、手に入れることができない、かけがえのない宝物です」
あずささんの答辞は続く。
先生方への感謝の言葉がずっと綴られていった。その辺りは、僕も練習中に原稿を聞いていたので覚えている。ただ、その先が聞いたことのない内容だった。答辞として呼んでいいのか分からない内容でもあった。
「私事になりますが、私には両親がいません。中学生の頃に他界しました。諸事情で、居候の身として別の家族と一緒に暮らしております」
会場がざわめいた。
「私が今日この日を迎えることができたのは、家族がいてこそ成し得たことと思っております。血の繋がった本当の家族ではないにも関わらず、家族の皆さんは、温かく、優しく、時に厳しく私を見守ってくださいました。本当に感謝してもしきれません。
親がいる、支えてくれる人がいる、見守ってくれる人がいる、ということは決して当たり前のことではありません。私は、自身の過去の経験を通して、全ての出来事が当たり前ではないということを知りました。それを知ることにより、どれほど小さくても様々な出来事に対して感謝の種が見えてきました。毎日ごはんを作ってくれてありがとう、家の中をきれいにしてくれてありがとう、勉強以外の知らないことを教えてくれてありがとう、笑ってくれてありがとう、泣いてくれてありがとう、と」
まるで僕に対して言われているように思ってしまう。自意識過剰なだけだと思っても、壇上のあずささんの視線は原稿用紙だとしても。……泣いてくれてありがとうと言われたら心臓がドキリとしてしまう。
僕がことあるごとにあずささんの前で泣いていたので、つい、そう思ってしまう。
「本当であれば在校生の皆さんに、部活動や生徒会活動の素晴らしさについて経験を元にお話をすることができたら良かったのですが、あいにく私はどちらも経験することはなく今日に至っております。でも、それでも良かったと思っています。私が選んで生活してきた高校生活は、もう十分に素晴らしい三年間だったと心から思えるからです。
もちろん、先ほどの活動を通してしか得られない経験もたくさんあるはずです。私には経験できませんでしたのでここで述べることはできませんが、経験された皆さんは、それぞれに必ず自分の糧になる大切なものを得られたであろうと思っております。
在校生の皆さん、今まで私たちを支えてくださり、本当にありがとうございました。皆さんにお伝えしたいことは、たった一つです。それは、時間は決して戻らないということです。今この瞬間がかけがえのない時間なのです。その貴重な時間を、大事に、味わいながら、生きて行ってほしいと思います。何をするかは人それぞれです。何をしても、たとえ失敗しても、無駄ではありません。必ず自分の力になります。今すぐでなくても、いつかきっと大切な力になるはずです。
どんな道を選ぼうとも、自信を持って強く生きて行ってほしいと……そう、私は願っております。
私たちはこれからそれぞれの進路に向かって一歩ずつ歩んでいきます。今後、どんな困難が訪れようとも決して諦めることなく、たくさん考えて、最善を尽くし、失敗してもやり直しながら、これから先の未来へ進んでいきたいと思います。本当にありがとうございました。A高校のさらなる発展を心より祈念し、卒業生の答辞といたします」
◇
卒業生の席の最前列にいた俺は、あずさを間近で見れた。
さっきまでは付けていなかった……左手の薬指にキラリと光るものがあった。
ポケットにでも忍ばせておいたのか?
今、答辞を述べているあずさは堂々としていた。遠くで見ることが叶わない遼介の分まで、俺が見届けてやらねぇと。
先月、あずさの誕生日を待って、遼介とあずさは入籍したと聞いていた。
たった紙切れ一枚だけどね、と遼介は飄々とした様子で話していたが、相当の覚悟があったはずだ。自分たちだけの話ではない。姉貴や義兄さん、店長さんにも関わることだ。彼らを説得し、了承を経て二人は婚姻届を出したのだ。
翔が前にポツリと言っていた。
『次元が違うよな』という言葉を思い出す。その通りだ。
俺たち学生が三年間過ごしてきた時間を、こいつはこいつなりに抗って泣いて苦しんで、立ち直ってきた。伝書鳩を通じてのわずかな情報と、少しだけ話ができた瞬間を見ていても分かる。
今日のこの日は、俺たちだけじゃない。
遼介にとっての卒業式でもあるのだ。
(つづく)
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