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【紫陽花と太陽・下】第七話 友[1/2]

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 師走。ついこの間修学旅行があったはずなのに、もう次の月になっている。
 雪こそは降らないがこの小さな街にもそれなりに冬は来る。マフラーや帽子、手袋をつけ、厚手のコートで身を包んだ学生たちが、皆一様に学校へと歩いていく。

「あ」
 前の前くらいの列にあずさを発見した。長く艶やかな黒髪を結ばずにおろしてはいるが、首元でマフラーが巻かれているため一瞬別人かと思った。いつもさくらか日向ひなたが近くにいるが今日は珍しく一人のようだ。ぴしりと背筋を伸ばして美しく歩いている。周りがガヤガヤしている中、あずさの周りだけが膜にでも覆われているような、近寄りがたい雰囲気が出ている気がした。

 他の生徒の手前、学年トップで有名なあずさには普段話しかけないのだが、今日はかけてみるかと思い、そんな自分に驚いた。修学旅行ではどのグループも同じメンバーでずっと一緒に行動していたからか、グループ内はかなり打ちとけている。旅行が終わってもつながりが続いている人はわりと多い。

 あずさ、と呼ぼうとして、その前に肩を叩かれた。
 後ろを振り向くと、しょうだった。

「よぉ、翔」
「おはよう、五十嵐いがらし
つよしでいいよ」
「あーそう、じゃあ、剛」

 自然と、連れ立って歩く。翔は短髪でツンツンとした頭の、俺や遼介りょうすけより少し背の低い、掴みどころのない男子だ。あずさの彼氏である遼介が一体どんな人物なのか、興味本位で修学旅行の美術館鑑賞をすっぽかした男でもある。

「あれ、霞崎かすみざきさんだよねぇ」
 翔が、前のあずさを見て言った。
「そうだな」
「今日は護衛がいないんだな」
 翔も同じことを考えたのか。それくらい、さくらと日向はあずさと行動を共にしていた。
「誰も話しかけないよね、彼女にはさ」
「そうだな」
「修学旅行の時はめちゃくちゃ笑ってたから、びっくりしたわ」
「……何、お前狙ってんの?」
「いいや? 翠我すいがくん、って言ったっけ? 彼にはかないっこないし。俺、ケンカは苦手なんだよな。平々凡々に天寿を全うしたいんだ」

 遼介の苗字が呟かれたからか。あずさが後ろをちらりと振り返った。目が合った。
 あずさは少し目を瞠り何かを言いかけたが、やめた。また前を向いて歩いていく。

 俺たちは結局あずさに話しかけないまま、学校に着いた。


「あずさ、久しぶりの仕事だ」
 俺があずさに話しかけると、ポカンとした表情で俺を見上げた。

「仕事?」
「あぁ。伝書鳩の仕事だ」
 あずさが小首を傾げた。伝書鳩の云々は俺と遼介だけの話だったか? と記憶を探る。

 とりあえず二人で廊下に出て、人気のない突き当たりのスペースまでやってきた。すると、後ろから翔もやってきた。
「浮気現場を取り押さえに来た」
「お前は何を言ってるんだ」
「警察官の息子が悪いことしないようにさ」
 翔がニヤニヤしながら俺とあずさを見やる。あずさは無表情で俺たちのやり取りが終わるのを待っていた。

「今朝、なんで無視したんだ?」
 俺は開口一番にあずさに尋ねた。あずさが少し困ったように首を傾げた。
「無視したわけではないのだが……。学校で、人がいる時に、話しかけない方がいいと言ったのは剛ではないのか?」
「あー、まぁ、そうだな」
「緊急の話だったのか?」
「別に」
「なら、そんなに責めなくても良いのではないか?」
 責めてない。俺の口調がキツすぎて、誤解されてしまったようだ。

 翔が俺とあずさを交互に見て、ポツリと言った。
「霞崎さんって、変わった話し方をするね」
 あずさの顔がサッと真っ青になった。俺は慌てて翔に弁明をした。
「話し方なんて、どうでもいいだろ」
「まぁそうだけどねぇ。珍しいなぁって思って」
「……」
「日向さんみたく、好きなアニメキャラがそんな感じなのかな? でも霞崎さん、アニメとかゲームとか、しなさそうだよね」

 分かりやすすぎるくらい、翔は普通の人間だ。あずさの過去を知らないで修学旅行の同じグループになったこいつは、傍目には馴染んでそうでいて実は分厚い壁があるのを知らない。

「…………すみません」
 俯いたあずさが小さな声で謝罪した。
「えっ? いや、別に俺だって気にしてないよ。珍しいって思っただけだし」

 少し、沈黙ができた。

 咳払いをして、翔が言った。
「もしかして、俺、邪魔者?」
 あずさが急いで首を横に振った。口は固く閉じられたままだ。気にしているに違いない。

「翠我くん、いつかまた会いたいなぁって思ってるんだよね。面白い人だったし。元気なのかな?」
「……元気です。いつも忙しくくるくる動いています」
「くるくる?」
「あ、一生懸命頑張っている、ということです」

 俺は思い出した。そうだった、何でここに来たのかを。

「伝書鳩さん。最近の遼介の近況を報告してくれよ」
「伝書……私のことを言っているのか? ……言っているのですか?」
「今更取り繕っても意味ねぇって。普通の口調でもういいんだって」

 あずさが困ったように翔を見た。翔は驚いて、たぶん正面から見つめられたことがないからだろう、ドギマギしながら薄ら笑いを浮かべた。

「気にさせちゃってごめん。ホント、俺は気にしてないから気楽に話していいから」
「……分かった」
 真面目なあずさは翔の言葉通り、普通の話し方にしたようだ。

「遼介とメルアドは交換してるけどさ、普段全然連絡はしてないんだよな。昨夜、久しぶりにメールしたんだけどよ……」
 俺は、遼介に連絡したが返信がなかったことを話した。あずさが言う。

「遼介は、時々携帯を、不携帯になる」
「……あぁ」
「それか、電池が切れたことに気が付かないで、持ち歩いている」
 さもありなん。俺は伝書鳩がリストラされない職業だと悟った。
「なるほど。最近の遼介はそうなんだな」

 少し、あずさが頬に手を当てながら考え込んだ。やがて、ハッと顔をあげて力強い目で俺を見た。かなり良さそうな近況報告の内容があったのだろうか。
「そうだった! 大事な報告があったのだ」
「あ?」
 あずさは少し頬を赤らめて、両手を胸のあたりでギュッと握りしめ、言った。
「とても嬉しいことが……あったのだ!」
「何だよ」
「うちに来てくれたら見せることができるのだが……」
「何をだよ」

「……赤ちゃんだ!」

 正面から満面の笑みのあずさを見るのは初めてかもしれない。ギョッとして俺は彼女の腹を見やった。まさかな、と隣の翔の方を向くと奴とも目が合った。口をぽかんと開けていた。

 俺と翔は、不携帯ぎみの友人に、今夜何が起きているのかを問いたださなくてはと意見が一致した。


 ◇

 ピンポーンとインターフォンが鳴り、しばらくしてから「はい」と女の人の声がした。

「あ、剛か」

 翠我くんの家は、五十嵐の……剛の言葉通りに近所だった。彼の自宅から徒歩二分、と言うのでいくらなんでもそんな馬鹿なと思ったが、事実、それくらい近かったので驚いた。
 翠我くんの家のはずなのに、インターフォンから聞こえる声はなぜか霞崎さんにそっくりだったので、俺はつい剛に尋ねた。
「なんだか霞崎さんの声っぽいね」
 剛が、微妙な顔をして俺を見た。しまった、という顔のようにも見えた。

 しばらく待つと、バタンゴトンと何やら激しい音がして、それからガチャリと音をたてて扉が開いた。

 生成りのクリーム色のエプロンを付けた翠我くんが、なぜかおたまをもって、扉を開けてくれた。一ヶ月ぶりの翠我くんは俺たちを見て目を瞠った。

「剛だ。本物だ」
「うるせぇよ。スマホのメールくらい、チェックしろよ」
「スマホ?」
「昨日の夜、メール送ったんだけど、全然既読がつかねぇんだけど?」
 キョトンとして翠我くんが小首を傾げた。つい昼間にも見たようなしぐさだなと思った。

「とりあえず、寒いよね。中に入って」
「寒い。凍え死ぬ」
「死んだら線香あげてあげる」
「暖、とれるかな」
「たぶんね。やったことないから分からないけど」
 非生産的な会話をしながら、翠我くんが俺たちを玄関に招き入れてくれた。俺の方を見て、彼がおたまを持った手をくるりくるりと回した。名前を思い出そうとしてるのか?

 答えるより先に、後ろの廊下側からひょっこりと女の子が顔を出した。
「遼介、お味噌、入れようとしていたところなのか?」
 翠我くんがぱっと振り返って、すぐに答えた。
「あっ、そうそう。火を止めて、味噌を溶こうと思ってた。それで汁物は終わり。炊けるまであとは特にないはずだよ」
「分かった」
 再び女の子が台所と思われるところに消えていった。翠我くんが俺を見て言った。
「ええと、すみませんが、誰でしたっけ? 修学旅行で会いましたよね」
 一度だけにも関わらず覚えていたのに驚いた。俺はあの時名乗らなかったはずだ。

「はい。俺は翔。柏木翔かしわぎしょうと言います」
「翔くん」
「はい」
「僕もきちんと挨拶できてなくてすみません。僕は、翠我遼介と申します」
 そう言って、彼はふわりと微笑んだ。

 いつまでも玄関で立って話すわけにもいかないと思ったが、とりあえず本題の質問を聞いていないので、隣の剛を肘で小突いた。奴が察して口を開く。

「遼介さ、伝書鳩さんが報告してくれたんだよな。今日」
「伝書鳩? ……あぁ、あずささんのことね」
「お前さ」

「すまないが、おたまをくれないか」
 話の腰を見事に折って、どう見ても霞崎さんにしか見えない女の子がおたまおたま、とこちらまで戻ってきた。

 剛は見慣れているのか、構わず続ける。
「赤ちゃんができたって、聞いたけど。なんで報告してくんねぇの?」
 翠我くんの方を見た。彼は二、三度瞬きをした。
 おたまを回収しに来た彼女は、紺色のエプロンをつけて隣で不思議そうな顔をして立っていた。
「うん、いるよ。あがってって。あ、翔くんも」
 さらりと手で室内を示してくれた彼に、五十嵐が仏頂面で言う。
「写真か?」
「へ?」
 まるで会話が噛み合わない。
 しばらく全員がキョトンとしていたが、翠我くんが一言述べてようやく理解できた。

「剛。桐華姉が、ひろまささんとの赤ちゃんを出産したんだ。この前、十一月に」
「…………あー……」
 そりゃそうか。俺も剛も、てんで的はずれな勘違いをしてしまったというわけだ。せめて霞崎さんが『誰の』赤ちゃんかを言ってくれていたら……。もう遅いけど。

 爆弾発言を投下した霞崎さんは、翠我くんからおたまを受け取って満足し、また台所へと消えていった。

「とりあえず、お茶でも飲んでかない? 温かいよ」
 一ヶ月ぶりの翠我くんは、なぜかエプロンを付けて、なぜか霞崎さんは家にいて、なぜか普通に、ものすごく流れるように普通に、俺たちを中に誘ってきた。

 そんなわけで、俺たちは中に入っていった。



(つづく)


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