言葉にするべき思いは胸の奥で
先月、母が還暦を迎えた。
女手ひとつで3人の子どもを育てた母は、20歳でぼくを産んでから約40年、今では2人の孫のおばあちゃんになった。
母はぼくにたくさんの愛情を注いでくれたと思う。思い返せば色んなことがあって、尊敬と感謝の気持ちは子どもの頃から忘れていないつもりだ。
まだまだ母は健在なので大げさにしんみりしたい訳ではないけれど、今回は還暦を迎えたそんな母との、ある後悔のエピソードを書いてみたいと思う。
——
あの頃ぼくはいくつだっただろう
小学校の低学年の頃だったと思う
まだ幼い妹と母と、祖母もいただろうか
伊豆か熱海か、多くがあやふやだけど、1泊の旅行に連れて行ってもらったことがある。
ぼくは帝王切開で産まれたから、母のお腹にはその時の痕がはっきりと残っている。
幼い頃一緒にお風呂に入ると母は、"これはあなたが産まれたときにできた傷なのよ"、とよく言っていた。
あんな風に痕になるなんてきっとすごく痛かったんだろうな、
やっぱりママは大人だからすごいんだな、
と最初は漠然と思っていたけれど、妹が母のお腹を切らずに産まれてきたことがわかってからは、その思いは次第に頭をもたげる罪悪感にとって替わられた。
自分が母の身体に消えない痕を残して産まれてきたということを、ほどなくぼくは自覚するようになっていた。
「泊まるところは全然すごいところじゃないからね。ごめんね。」
宿までの道で、母が言った。
父親のいない家庭に経済的な余裕があるはずもないのは、朝から晩まで働きどおしだった母を見ていればわかる。
テレビで見るような、大浴場のあるホテル。
色とりどりの、豪華な夕食。
そんなことはどうでもよかった。
母と遠くへお出かけができることが、ただうれしかった。
だから、"ごめんね"なんて言われる理由がない。
「全然そんなこと気にしないよ」
ぼくはそう言いたかった。
母への労いと感謝の気持ちと、
そのふたつを足したよりもはるかに大きな、母に認められたい気持ち。
ねぇママ
ボク、えらいでしょ。
思いと言葉がいつも同じ形をしているとは限らないということを、ぼくはこの時学んだ気がする。
いい子の模範解答を口にすることへの恥ずかしさが思いのアウトプットに深刻なエラーを生じさせたような、そんな瞬間だった。
「全然期待してないから大丈夫」
何の強がりか、ぼくの口をついた言葉はそれだった。
自分が発した言葉への驚きとともに、後悔はすでに押し寄せていた。
周りの空気が、少し冷えた気がした。
母は微かに笑みを浮かべたけれど、それは咄嗟に作ろうとして作りきれなかったような、責めるべきは息子ではなく自分だと懸命に言い聞かせているような、どこか中途半端な笑顔だった。
ちがうよ、ママ。
ママ、ごめんね。
言葉にするべき思いは胸の奥で、一歩も動かなかった。
ぼくはまた、母を傷つけてしまった。
それからのことは、全く覚えていない。
どんな宿だったのか
ぼくは旅行を楽しんだのか
母も楽しむことができたのか
残っているのは、苦い思い出だけだ。
——
思いをのせて届けるはずの言葉がその役割を果たせないことがあると、今ならわかる。
日々の会話やメールなどあらゆるところにそれは潜んでいて、突然現れては人の心に大小の傷や違和感を残していくような、まるで事故のようなものだと思う。
でも、事故なら自分次第である程度のリスクは回避できるし、万が一そんな事故に遭ってしまったとしても、フォローする術がある。
これまでもそうだったようにきっとこれからも、避けて通れない人との関わりのなかでそんなシーンがあるのだろう。
母はこのエピソードを覚えているだろうか。
いつか聞いてみようと思う。
いつまでも元気で、まだまだたくさんの思い出を作れますように。
還暦おめでとうございます。