【超短編小説】もくもくバーの空のカクテル
ずっと入ってみたかったお店がある。
わたしはドキドキしながらお店の入口に立っていた。
すっきりとした青空の下、
そこだけ空間が切り取られたかのように
突然現れた木製のドア。
まるでおばあちゃんみたいに傷や趣きや風情を重ね
水色ペンキで塗られたお店のドア。
ゆっくりとドアノブに手をかけた。
それは湾曲していて陶器のように白くなめらかだった。
「いらっしゃい」
店の奥、丸眼鏡のお姉さんがにっこりと笑って出迎えた。
その笑顔につられ、わたしは一歩、踏み出した。
もふっと足が地面に埋まる。
わっ! っと、っと!
埋まらないようにと次の足を踏み出す。
また次の足、次の足、次の……と、
うさぎのように飛びながら奥までどうにか進む。
『ステップ推奨』
そう、ドアにちっちゃくメモ紙が添えられていたのを思い出した。
このお店、床が雲みたいにやわらかくって足が沈むんだ。
わたしは面白くなって、ふふっと笑ってしまった。
メニューは一種類だけだった。
——空のカクテル
仕方がないのでそれを注文する。
「ご注文いただきありがとうございます。
目を閉じて、空、と聞いて一番素敵な空を
思い浮かべてください」
丸眼鏡のおねえさんの優しい声。
音楽もない、時計もない、静謐な空間。
お客さんはわたしだけ。
お店にはカウンターと一脚の木製スツールだけ。
「さぁ、できました」
目を開けると、ゆるやかなウェーブをしたカクテルグラスに
「夕焼け」が閉じ込められていた。
底の方に沈みゆくおひさまの茜、そして陽光の黄、
ちょっと桃色に染められた雲のようなものの上に、
昼間を残した藍色までのグラデーション。
果てしない空の下で見るのもいいけれど、
グラスという枠に閉じ込めて眺めるのも乙なもの。
ため息、ほわぁー。
涙も、ぽとり。
ここに来る前は悲しい出来事ばっかりで
それは自分ではどうすることもできないことばっかりで
人に相談できることでもなかったから
一人でずっとずっと苦しんでいた。
誰だってあるよね、そういう日々。
逃げたいよ。
やめちゃいたいよ。
いろんなことを投げ出したいよ。
でもステップ踏んで、ここには一人しかいなくって。
これから飲むのはわたしだけのカクテル。
途方に暮れてぼうっと眺めていた、夕焼け。
これを飲み干せば、きっと
その時の気持ちだってお腹の中に入っちゃうよね。
どんな味がするんだろう。
夕焼け空のカクテル。
(おわり 約940文字)
少し前のことになりますが…。
以前連載していた拙作、小説「雲師」のお話を読み、ひいろ様が登場人物の夢見た世界をイメージしたイラストを作ってくださいました!
「雲の上でピクニック」
嬉しくて、素敵すぎて、癒やされました…!
「雲」や「空」のイラストがほかにもたくさんあって、忘れられない記事となりました。ご紹介させていただきます🙏
こちらの記事には夕焼け空のイラストも多いです。
今回の超短編小説(1,000文字未満は初です)はイラストからお話が思い浮かびました。
お話からイラストが、イラストからお話が。
せっかく人間は生き物の中で「想像」する力を授かったのですから、悲しいことや不安なことに使うのではなく、楽しいことや嬉しいことにその力を向けていきたいものです。
とはいえ、私自身も11月は心労から体が不調になり、倒れていました。
ゆっくりペースに切り替えて、久しぶりの投稿です。
誰だって苦しい時はあるものです。
色や音、匂い、その時の感情、いろいろなものを関連付けたり手放したり……。本当に脳というのに振り回されちゃって困ります。
もうすぐ年末です。
今日も空を見上げながら、にっこり笑って過ごしていこうと思います。
なんだか宣言みたいになりました(笑)
最後までお読みいただき感謝申し上げます。