【紫陽花と太陽・下】第五話 修学旅行6
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俺——柏木翔——は五十嵐と一緒に、少し離れたところで二人を見ていた。
ひんやりとした乾いた風が時折流れている。
美術館行きのバス停前。
定刻より少し遅れて路線バスがつーっと停車し何人か降りてきた。俺達が乗るかどうか待っていたみたいなので、五十嵐が手を振って乗らないことを運転手に伝えていた。すぐにバスはまた発車した。
俺は、今回の修学旅行で初めて彼らと話すようになった。グループ決めの日に腹痛で学校を休んだために、クラス委員長の五十嵐が調整に調整を重ねて今のグループに俺を連れてきた。ま、人数合わせなんだろう。俺は誰と一緒だろうが構わない。
グループは五人で、俺以外の四人は付き合いも長いらしい。だからか。俺と彼らとの隙間には踏み込んでいけない「何か」を感じることも多い。
「何か」を突き止めようとも思わない。どうせ修学旅行が終わればいつもの日常に戻るだけの関係だ。このグループは風通しがよく、ギスギスした雰囲気がないし、どういうわけか意外と……楽しい。
自由行動をどうするかの話し合い、旅行後の発表の分担、得意なことと苦手なこと、そういう「めんどくさい」「どうでもいい」と大多数は手を抜いて無駄に時間をかけてダラダラ取り組むようなことを、四人は実に手際よく決めていった。
不思議な人達だなと思った。
不思議といえば霞崎さんだ。テストというテストで、頭が相当切れる五十嵐を抜いてずっと学年トップを勝ち取っている彼女は、この学校で知らない人はいないのではないかというくらい有名人だ。ぐいぐい話すわけでもなく、部活動で活躍しているわけでもなく、ものすごく控えめな性格でミステリアス。だから彼女と同じグループになった時は驚いたし(無表情のことが多いが、近くで見るとやっぱり美人だった!)、先日、彼女に恋人がいると五十嵐から聞いた時はものすごく驚いた。
さっきの電話越しの彼と、信号待ちしてる時の彼と、今向こうで二人ひしと抱き合っている彼が全然一つに結びつかない。
ドラマじゃないんだし、霞崎さんが会っただけで泣いたのにも驚いた。
だってたったの五泊六日だぜ? どんだけ好きなんだ彼のこと。
彼にいたっても、仕事が、とか休みが、とか五十嵐も日向も言っていたので、どこで何をしているのかさっぱり分からない。今はコートの下に学ランを着ているようだ。校章が見えないのでどこの高校かは分からないけど、学生なんだろう、きっと。
五十嵐は彼と相当仲が良いように伺える。だとすると同じ歳なんだろうか。
彼が霞崎さんの耳元で何か囁いている。霞崎さんが時々頷いているのが分かる。
これ、このままキスとかしそうな勢いだよな……青春だな、おい。
あ、二人が離れた。いつの間にかタオルとか渡してるし。霞崎さんが泣くのを予想してましたって感じにも見えなくもないところが、女慣れしてそうで怖いな。
うぉぉ、デートの申し込みしてるし。すげぇな。わざわざ俺たちの街からこんな京都までやって来てデートに誘うだなんて。それにダイレクト過ぎだろと思う。会いたくて来た、とかデートしてくれませんか、とか本人を目の前にして普通は言えない。周りに人がいるならなおさらだ。
あー、あー、霞崎さんも頷いちゃってるし。サボるってこと分かってんのかなぁ。いつも姿勢良く迷いなく学校でやっている霞崎さんだけど、実は彼氏なしじゃ生きていけない……みたいな女子だったってことかな。
お、こっちに来た。
「剛」
初めて会った時の幼い印象とは打って変わって、落ち着いた声色で彼が五十嵐を呼んだ。
五十嵐が彼と対峙する。身長は二人ともスラリと高く、若干五十嵐の方が大きい。
「結局、どうなったんだ?」
五十嵐が彼に問う。
「少し、デートをしたい。でもどのくらい時間があるのか分からない。教えて」
「何で俺に聞くんだよ」
「グループリーダーだって聞いてるから」
彼の飄々とした物言いに、五十嵐が少し睨んだ。
「あずさ。美術館で鑑賞するのは一時間だ。終わったら、昼食。それからバスが並んでいる集合場所に戻る予定だ」
霞崎さんが頷いた。
「遼介とどっか行くってことは美術館は諦めるってことだ。それは、いいのか?」
今度も迷いなく霞崎さんは頷いた。彼は落ち着いた声で聞いた。
「あずささんに迷惑にならないようにしたい。今一緒に行動するのじゃダメなのかな」
「もう遅い」
「ええぇ」
「最大二時十分に集合場所。昼食を俺たちと一緒に食べるなら一時に落ち合いたい。その時の場所は電話かメールになる」
五十嵐が想定済みなのか、スラスラと時間を伝えた。
彼が隣の霞崎さんをちらりと見て、霞崎さんが彼の学ランの裾を掴んだので、彼が言った。
「じゃあ、昼食を食べるかどうかはまた後で電話かメールするね」
「おう」
「……剛」
彼がゆるく拳を作って、五十嵐の方に向けた。五十嵐も同じように拳を作った。
「ありがと」
「おう」
二人の拳がコツンと肩の当たりでぶつかった。
その時の彼の顔が妙に鮮明に頭に残った。目をそらすことなく、少し上目遣いで、彼は五十嵐に微笑みながら礼だけ言った。
五十嵐も短く答え、返した。
たったそれだけだったのに、全てお互い分かっている、そんな一瞬だった。
彼の微笑みが謎だった。これからデートするんだぜ、いいだろう、という感じでは全く無く、うまく学校側に取り繕ってくれよと頼むような顔、とも違う気がする。
一体彼は霞崎さんの何に触れているというのだろう。服の裾を引っ張られただけで勝手に答えるのはなぜだろう? 本当に訳が分からない。
そして彼と霞崎さんは並んで川沿いを歩いて行った。
手は、なぜか繋いでなかったけれど。
(つづく)
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