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連載小説「心の雛・続」 第一話 目の前で困っている人がいたら?
『繰り返します。……先ほど、新しい情報がこちらに届きました。繰り返します……』
先生が愛用しているノートパソコンという巨大な金属製の機械から、ピローンピロンという高めの電子音と緊張感を持った女性の声が発せられていた。画面、といういろんなものが映し出される光る四角いところからは、その話している女性の顔と、その後ろにここではないどこかの映像も。
わたしは「ひらがな」しか文字が読めないので隣にいる先生をちらりと見上げた。
「どうやら、痛ましい事件の続報が入ったようですね」
のんびりと穏やかな声で先生がわたしに説明してくれる。穏やかではあるが先生の表情は険しい。さて、この事件とは?
——どこか遠い場所で、人がたくさん行き交う場所で、路上でうずくまっていた人に声をかけた女性が刃物で刺されたという事件だった。
『救急搬送された女性は一命を取り留めたようですが……』
アナウンサーの女性が言葉を紡ぐ。
目撃情報によれば女性はうずくまっていた誰かを心配して声をかけたそうだった。そりゃそうだろう、とわたしでも思う。具合が悪すぎて立てなくなっていたのかもしれないじゃないか。お腹が痛いとか、変な汗が突然出てきたりとか、さ。
「この女性は現在意識不明の重体とのことです。先ほどまでは現場の状況しか情報がネットに流れていませんでしたが、女性の状態については今やっと知ることができました。……本当に痛ましいです。その時の状況は正確には分かりかねますが、僕も目の前で倒れている人がいたら……」
黒より淡い鳶色の瞳をした先生が翳りの表情をして言った。先生なら、迷わず声を掛けてしまうだろう。昔、わたしにもしたように……。
パタンとノートパソコンを閉じた先生は、ギシッと音をさせてチェアの背もたれに寛いだ。
「心先生!」
わたしは不安を吹っ飛ばす勢いで、元気よく彼の名を呼ぶ。
「はい、何でしょう」
「そろそろ、お時間です!」
「時間?」
「そうです!」
わたしはピッと壁の時計を指さした。きっちりと三時、の十五分前。長い針と短い針が、まるで床にねそべっているかのようにややまっすぐになっている時間。
おやつの、準備を始める時間である……!
くすくすと笑いながら先生はわたしに手を差し出した。おやつ、という単語を言わなくても伝わるこの嬉しさ! 今日のおやつは何だろう? 裏庭から心先生がチョイスしてくださったわたしのお花は何だろう? わたしは目を輝かせ、助走をつけてエイッと先生の手にダイブした。
わたしは小さい。
わたしは妖精だ。
本当は空を飛ぶための羽があるけれど、ちょっと訳あって今の自分の背には羽はない。
だから飛ぶことはできない。
飛べないわたしは先生の手に飛び乗り、それから彼の肩や胸ポケットに収まって移動する。まるで巨人と豆。先生が(わたしの体感で)のっしのっしと歩いて目的地まで運んでくださる。
「そうそう、今日の雛のおやつですが、名前を知っているかと思いますよ」
「ホントですかっ? 何だろう? あっ、クローバーですか?」
「ぶー、違いました。ちなみに僕のおやつは何か知っていますか?」
他愛もない会話をしながら、住居である二階からおやつを食べるための一階へと階段を降りていった。おやつが何だろうと、名前が当たったからどうだろうと、本当に他愛ないこと。ここは平和だ。わたしたちの日常を脅かすものなど現れない。
「プリン!!!」
「プリンですね、一択です」
心先生の大好物はプリン。生クリームなしの、実にシンプルな甘味。
わたしのおやつはいつも裏庭から採ってくる花の蜜。
ここは森の奥の病院である。
院長は奥野心。心先生とわたしは呼んでいる。
わたしは妖精。
豆粒みたいに小さく、飛べないくせに、いつも心先生にくっついてのんびりと暮らしている儚い少女……。
なーんて、自分で言ってて恥ずかしくなっちゃう。儚い少女だなんて。
実は妖精と人間にはちょっとした因縁がある。今それを話し始めるととんでもなく長くなるので、それは割愛するね。
え、だめ? だめか。
えっと、わたしは妖精で、妖精は小さい。人間の手のひらサイズくらいの大きさだ。
ここまでが大前提。
大前提がもうひとつあって、それは、
『妖精の涙はあらゆる病を治し、生き血はあらゆる傷を癒やす』
ということ。
どうしてなのかは分からない。そういう力が妖精にはあって、心も身体も病む人が多くなって危機感を抱いた人間たちは、どうにかしてわたしたちのその力を手に入れようとしてしまった。薬としてね。だって簡単だから。悪いところがあれば薬を飲む。すぐ効く。楽ちんでしょ?
すべての人間が敵とは思わないけど(現に心先生は人間だけど優しいし)、妖精を捕まえようと必死で襲ってくる彼らを、わたしは今も怖い存在だと思っている。
ある運命の日、わたしや家族が住んでいる場所を人間が襲ってきた。捕まれば大変なことが起こるので必死で逃げた。逃げる際、わたしは怪我をした。森の奥で気絶したところを心先生に助けていただいた。
以来、わたしは人間から隠れてひっそりとこの病院で暮らしている。
何度も言うように、先生は人間だ。そして、とてもとても優しい人間だ。
わたしは長く彼と共にいるうちに、人間は二つに分けられることを知った。
優しいか、優しくないか。
ざっくりすぎるかもしれないって? そうかもね。でも、わたしはもう人間と関わり合うつもりはないし、心先生の他に優しい人間がいるかどうかなんて、本当にもうどうでもいいんだ。
さっきの痛ましい事件だってどこか遠い場所の出来事。重症の女性はもちろん早く治ってほしいなと心から思うけれど、わたしこと妖精は、昔十分すぎるほどの対価を人間にあげているはずだ。
妖精の涙はあらゆる病を治し、生き血はあらゆる傷を癒やす。
妖精が持つこの特別な力のせいで、どれほどの妖精が犠牲になってしまったのだろうか。
人間は妖精を捕まえて涙と血を採取した。
もう、十分じゃないかな。
あの女性にわたしたちの血がどうか使われますように。
そうすれば、もう、女性も治って、痛ましい事件なんてすぐに解決して……。
そうして物事は忘れ去られていくはずだ……。
妖精のことは忘れて……。
心から望んでいる。
もう、わたしたち妖精には関わらないでほしいと——……。
お皿を持って揺らすとブルンブルンとなるほどの弾力がある自家製プリン。その黄色くてもったりとした艷やかな表面を、銀色のスプーンでひとすくい。
ぱくり。
心先生が満足そうにため息をついた。
「ラベンダー」
わたしは小さな顔の小さな唇で、ラベンダーのふくふくと丸い薄紫の花弁から蜜を吸った。上品な香りとともにわずかな甘みが口いっぱいに広がって、とたんに至福を感じる。
「目の前で困っている人がいたら、僕は何かせずにはいられないでしょう」
心先生が少し遠くを見て言った。わたしも頷いた。
「はい。心先生は困っている人や辛そうにしている人を放っては置けない……そういう方だと思っています」
「困った性分です。でも、体が勝手に動いてしまうのでどうしたものやら」
「困るんですか?」
あの女性のように、心先生が誰かを助けようとして痛いことになるんだったら、確かに困ることだ。わたしは唇を尖らした。
「困っている人がいて、見て見ぬふりをする心先生は、心先生じゃないように思います。……怪我とかは、してほしくないですけど」
昔、わたしを襲いかかった女性医師がいて、心先生はわたしを庇って死にそうになったことがあった。己の血に怪我を治す力があって心底良かったと思ったのは、人生であの一度きり。でも、血の効力のせいで妖精が襲われ、そのせいで心先生が襲われる事態となったのだとしたら、結局は妖精は何のためにいるのだろうかと疑問に思うこともあったけれど。
助けることが間違ったこととは思えない。
それでもこんなに心がモヤモヤするのは何でだろうか。
心先生がプリンをスプーンの先でつつきながら悲しそうに呟いた。
「心が病むと誰かが差し伸べた『善』にすら気が付かなくなる。……本当に痛ましい。僕にできることは目の前のほんのわずかな人たちを整えるだけです。それも、無力に近い」
「そんな、無力ではないです!」
「そう思いたいのですが、僕が不安になると本来はまずいのですが、それでも時々思うんですよ、雛」
先生がスプーンをテーブルに置いて、続けた。
「……すみません。あの女性と自分を重ねてしまった部分もあるのかもしれません。雛は昔僕に言ってくれました。『先生が傷ついてしまうのはもう嫌です』と……。その約束を、この先、心を病んだ人が増えた場合は守れなくなるかもしれない。そう、思ってしまったもので……」
わたしは目を瞠った。先生は感受性が強い人だということは知っていた。一般的な人間よりも遥かに感受性が強い。
先生は残りのプリンを大切に召し上がり——それはもう最後の一口は目を閉じて五感をフル活用したくらいに大切に——、ごちそうさまと両手のひらを合わせて食後の挨拶をした。わたしと目が合った時の先生の表情はいつも通り。口角をキュッと上げて微笑む、鳶色の瞳は柔らかくわたしを見つめ、心配しているわたしを案じている、そんな顔だった。
「目の前で困っている人がいて、助けちゃうのが心先生だと思います」
わたしが言うと、
「はい。僕もそうだと思います。結局のところ、助けてしまうのだと思っています」
心先生がきっぱりと自身を評価し、にっこりと微笑んだ。
(つづく)
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初めてのファンタジー小説「心の雛」の続きです!
お気軽にお付き合いくださいませ。
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