Take-37:映画『アダマン号に乗って(2023)』は面白かったのか?
【キャッチコピー】
『パリ・セーヌ川の奇跡みたいなほんとうの話』
【作品の舞台】
ドキュメンタリーなので現在。フランスの首都パリ、セーヌ川右岸にある木造建築の船のデイケアセンター。精神疾患のある人たちを対象としている。
2010年7月に開館。
リヨン駅からほど近く、パリの観光の拠点であるマレ地区や地元民が多く住むという13区や14区あたりからも電車で30分程度の距離にあります。
パリ中央精神科医療グループに属し、他のセンターとともにパリ1〜4区の患者を受け入れてます。
【原題】
『Sur l’Adamant』
直訳で「アダマンについて」「アダマンの上で」など。「Sur」はフランス語で「〜に関して」などの意。
Adamantはダイヤモンドやある種の金属・宝石など非常に堅固な物質を示すのに使われる語で、アダマンティン(adamantine)とも言いいます。磁石の意もありますね。
ラテン語では動詞「愛する」を「adamare」といい、鉄をひきつけることから磁石を「lapis adamans(愛する石)」などとも呼んでます。磁石のように引きつけあうてのがなかなかロマンティックで、粋な語源ですね。この辺りに船の名の由来があるのかもしれません。
ギリシア神話にもクロノスの鎌、またペルセウスがゴルゴーンやメデューサの首を刎ねたのもアダマント製の剣とされ登場。
ミルトンの『失楽園』ではサタンの盾や天使の鎧などもアダマントとされており、またスフィフトの『ガリヴァー旅行記』第3部3章、ご存知『天空の城ラピュタ(1986)』のモデルとなったラピュータを浮遊させるための巨大磁石としてアダマントが登場している。
「ファイナルファンタジー4」の世界には「アダマン洞窟」があり、マーベル・コミックの世界でもダイヤモンドを上回る物質「アダマンチウム合金」が存在しますね。『X−メン(2000)』のウルヴァリン骨格と爪に結合している物質や『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015)』ではウルトロンの外殻の一部として使われているとされてます。
【上映時間】109分
皆さま、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
N市の野良猫ペイザンヌです。
今回は久々のドキュメンタリー映画。『アダマン号に乗って』について。ボクは昨年劇場で観ました。この時は同じ映画館でほぼ休憩なしのぶっ続け3本観たのでヘトヘトだったのを憶えております😂
ぶっちゃけ言うとコレを「人に薦める」ことは絶対ない……かも。薦めるとしても人を選びますね、うん。なので自発的にいつか観てほしいところ🤭
(^_^;)
なんせボク自身も開始10分くらいで「あと90分……耐えられるかな?」と思ったほどでしたからw
ただ、人にはお薦めしませんが──自分、個人的にはですね、内面的には凄い体感ができたかもなと満足しております。
満足や感動といっても通常の意味とは少し異なる「全く別次元の何か」なので、「涙」とか「心が震える」など、そういうのを望んで行くとたぶん面食らいます、ハイ……
舞台は精神疾患のある人が集まるセーヌ川沿いのデイケアセンター、アダマン号。
(-_-;)『セーヌ川の水面の下に』はサメがいるとかいないとか……いやそれはまた別のホラー映画ですね😂
閑話休題、こちらはドキュメンタリーがベルリン国際映画祭で金熊賞を獲るのは本当に異例なのでどんなもんなん?──と、思ったけど……
う〜ん、
正直ね〜答え合わせがしたいんよw
なぜコレが「凄い」のか?
それが自分が感じた「凄い」とハタシテ同じなのか?──が気になるんですよねw
もしそうなら納得いくw
「終わりまでずっとこうなん?」と不安だったけど「ある地点」で急にボクの耳元で声がしたのね。
「ルーク……じゃなかった、ペイザンヌよ、照準器を外せ、「字幕」など読むな、フォースを信じろ」と。
そしたらまあ、楽になったというか、次は少し怖くなってきましてですね。
フト、「え、誰なの? この目の前で、スクリーンの中で口を動かしてる人たち。誰なの? いったい?」みたいに混乱してきちゃって。
そもそもが何を言ってるかよくわからない、噛み合わない会話を一時間くらい見せられてるもんだから、だんだん鳥のさえずり──まるて公園に行って「ヒバリ」の鳴き声でも聞いてるような気がしてきてくるんですよね。
「ピヒョロ」「ピーヒャラ」──って言ってんのを聞いてるのと同じなんだな……と。
それでもこの人たちってちゃんと「コミュニティとして成り立ってる」のが凄いなとか思い始めてですね。
これから劇場を出て、いわゆる「普通の会話」をしてる人たちの前に戻ったら、それはそれでまた気持ち悪くなりそうだな……というのか。
「あ、こっちはまた別のコミュニティなんだね……え、でも同じ人間なんだよね? え? ちょっとキモ」みたいな混乱が起こりそうで……
ホントに恐くなっちゃいまして。
そもそもこの『アダマン号に乗って』は、精神疾患のある人々を「非人間」として扱うことに疑問を唱え、警鐘を鳴らす作品であります。
逆に映画館を出て普通の人間を見てると逆に「こっちが非人間」でもおかしくないんだよな……なんて思い始めてですね。
その基準、境目というのも多数決、多い方によって決められた基準でしかないんだな──とか少し頭をかすめてくるんですよ。
まあ「実存主義って何? 難しくてよくわかんないでちゅ……」とか思ってたけど、理解ではないものの、「ああ、こういうことなのかもな?」と少し体感できたというか。
じゃあ、この気持ち悪さって、いわゆるサルトルのいうところの『嘔吐』なのか? すげー、すげーじゃん、ボクにも「嘔吐」できた! と喜びましたとさ(なんだこれw)
「空白が大事である。空白がなければイメージはない」と冒頭に出るのだが、言葉は悪いが「ヒマ」な部分がとても多いんすよ。この映画。(「ヒマ」=「素晴らしい長回し」のことなので誤解なきよう)
でも「だからこそ」その間にいろいろ考えちゃう「能動さ」が求められるんですよ。
そうなのですよ。
ファスト映画?
いやいや早回ししてるヒマなんてないよ!(なんか変な言葉……)
では、また次回に!