自分の悩みがちっぽけに見える瞬間。
❝過重労働で仕事に行くのが嫌になった。❞
その言葉を真正面から受け取れば、かなり過酷な環境だったと察するが、
「本当にその人の働いていた労働環境は劣悪な環境だったのだろうか?」と
一度、立ち止まってみることがよくある。
確かに毎日残業があって、拘束時間が長くて、辛い。
しかし、「周りには一日法定残業ギリギリまで働いている方もいれば、更に通勤時間が2時間かかり、休日手当や振替休日もなくて子供やパートナーとゆっくり過ごす時間も少なくてしんどい。その上に給料も友人と比較して少ないという」人がいるし、
アフリカのザンビアやタンザニアでは「蒸し暑くて過酷な環境の中で家族を食べさせる為に少ない日銭を稼ぐ為に、ドライバーのお仕事をなんとか続けている」人だっている。
比較してみると、世の中にはもっと自分よりも辛い想いをしている人もいて、「自分は辛い、過酷だ」と自覚していても人によっては
「それで過酷だと思ってんの?」と薄ら笑いを浮かべる者もいる。
自分軸で捉えたらしんどくて今すぐにでも脱出したいと思うかもしれないが、ちょっと視点を変えてみると案外そうでもないのかもしれないと納得
出来ることもある。
「痛み」を共感してくれる人もいれば、それは「甘え」だと真っ向から批判する人もいる。
要するに、世界を広く見渡してみれば自分の悩みや抱えている問題が些細なことであることに気づくこともあるということだ。
じゃあ何が必要か?
考え方を少し変えたり、今までとは違うアクションを取ってみたり、ちょっと人付き合いを工夫してみたりするだけで案外、そんなに悩まなくても良いことに気づける。
勿論、私の記事を読んでいる読者の皆様には心が疲弊するまで働いて欲しくないが、やり方を少し変えるだけで今の状況が改善することなんて沢山ある。
何も大胆に行動パターンを変えてくれと言っている訳ではない。
ちょっと変えてみることで見えてくる景色が変わって来るということ。
今までめんどくさくてやり過ごしていた業務にチャレンジしてみたり、これまで全く関わってこなかった人々に話してみる。
とにかく大事なのは「思考を止めてはいけない。」ということ。
「あんな仕事苦手だしやりたくないなぁ」や「性格的に恐らく合わないし、ノリも違うからちょっと絡みづらいなぁ」という先入観や偏見を捨てて、
あえてそういった所に突入してみるのだ。
すると、新たな発見に気づかせてくれたり、自分が悩んでいたことがいかにちっぽけだっかを自覚する。
☆ココナラでお話聞き屋をやっています!
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