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逃げたくないあれこれ

2024.06.04
ぺぎんの日記#63
「逃げたくないあれこれ」


公共で「防衛機制」という言葉を学んでから、私にとってのストレス解消は何なのかを、少し考えるようになった。

高校生になった私。

引っかかることがあるとすぐに「演劇にできないかな」と思うようになった。戯曲を書くという形で表現できなさそうなら、「この感情は表現の材料として使えるかも」と、とにかく何とかして演劇に還元しようとする。

いつか使えそうなストレスを、メモ帳に書きまくる。
書いて書いて、どんどん溜まっていって、

そしてその捌け口があまりにも少ないことに気がついた高1の冬。

演劇という媒体で表現するには、私のストレスはあまりに個人的すぎたし、何よりアウトプットの機会が少なかった。

そんな経緯も、noteを始めるキッカケの一つだった。

そして高2から始めたnote。
メモ帳の記録を、少しずつ文章にして消化していく。今まで曖昧だった感情が言葉になっていく。私が書いた下らない文章を、誰かが読んでくれている。

上手く文章化できたときや、コメントを貰ったとき、スキがたくさん付いたとき。自分の中でだけ燻っていたものがやっと水面に顔を出せた感じがして、嬉しかった。

演劇にしたり、メモに残したり、文章化して読んでもらったり。

私が無意識にやっていたこのストレス解消を、フロイトの防衛機制では「昇華」と分類するらしい。

防衛機制における昇華:
社会的に実現不可能(反社会的)な性的欲求や攻撃欲求などの本能的衝動を、社会的に容認される別の高次な目標に形を変えて自己実現を図ろうとする行為

そうか、今まで私は嫌なことから逃げるために演劇や文章にしてきたんだ。

嫌だったことはもちろん、楽しかったことも、頭の中にある記憶が消えてしまうことを恐れる気持ちがストレスなのだろう。
だからどんなことでも、心に留まったらアウトプットして残しておきたくなる。

だとすると。

ひとつの仮説が頭に浮かぶ。

メモに、文章に残したくない感情は、忘れてしまいたいくらい嫌いな感情なんじゃなくて、むしろ自分がちゃんと向き合いたいと思っているストレスなのではないだろうか。

形の無い感情に、言葉で形をつけてしまわないように。
忘れてはいけないものを、文章化して「もう無くなることはない」と、安心してしまわないように。
大切に私の中で守っておきたいものを、外に出してしまわぬように。

ちゃんと考えてみるといくつもある。メモにも文章にも、ましてや演劇にもしたくない大切な色々が。

ちょっと先程から使っている「大切」という表現が、少し語弊があるかも知れない。「大切なもの」というより「真摯に向き合い続けたい事実」っていうのかな。考えるのを先延ばしにするんじゃなくて、日頃からちゃんと抱えて生きていきたいもの。

防衛機制を選ばなかったものたちが、私の頭の中に並べられている。

逃げるよりも向き合うことを選んだあれこれ。
形にはならないかも知れないけど、そういうものを材料に、私は日々アップデートされている。


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