山梨で2つのお祭りと出会う〜春駒と天津司舞〜
今日は山梨で大切にされている2つの伝統的なお祭りに出会うことができました。私自身、歴史や文化について詳しくはないため的外れなことを書いていたら申し訳ないのですが、心に響くものがあったため、私なりに感想をまとめてみました。
一之瀬高橋の春駒
まずは、甲州市塩山の一之瀬高橋地区で行われている「春駒(はるこま)」。お祭りで使われている衣装や道具を見させていただき、一度は途絶えてしまったというこのお祭りを復活させ今日まで守り続けてこられた方にお話を伺うことができました。
春駒についてはこちらをご覧ください。
聞き取りの中で印象的だったのは、子どもの頃の原体験によって春駒が復活したということ。灯りが少ない一之瀬高橋地区。その中で、山車に灯された蝋燭の灯とともに、幻想的な鐘や太鼓の音や、露払いによって操られ舞い踊る馬の姿について語る保存会の会長さんの眼の輝きが素敵だなぁと思いました。
「昔は『春駒』とは言わず『道祖大神』って言ってたんだ」「昔は、祭りの日にこの建物(地区の集会所)よりも高く木々を集めて燃やしてたんだ」ー。貴重なお話が次々と語られていく中で、一度も春駒を見たことがない私までお祭りの場にいるような、そんな不思議な気持ちになりました。集落に住んでいた子どもたちはきっと特別な思いを抱きながらこのお祭りに参加していたのだろうなぁ…。
春駒で使われる道具は毎年作り直しているとのこと。昔から大切にされてきたものを守りたいという思いから、形や長さ、歌のメロディーや節、どのような場面で歌うのかはしっかりと決められ、受け継いでいるのだそう。春駒を復活させる際には、当時を知る方々から情報を集めて確認し合い、オリジナルを蘇らせたということを教えていただきました。
子どもの頃の原体験がきっかけで蘇ったという春駒。私自身、保育・教育に携わる者として「子ども時代」「子ども期」の大切さを日々感じていますが、いかに「原体験」がその後の人生を豊かに彩るのかを改めて考えさせられました。実際に見てみたいですし、その背後にある思いに触れることができた体験は私にとって宝物。
残念ながら春駒は担い手がいないため今年で一度休止になってしまうとのことを聞き、ショックを受けました。保存会の方々の熱い思いと、暗闇に灯る光の中で生まれる舞いに出逢った時の感動…。形は違えど、子どもたちの原体験を守る立場として大切にしていきたいです。
天津司神社の天津司舞(てんづしまい)
続いて、山梨県甲府市小瀬町の天津司神社で行われた「天津司舞」を観に行きました。
予備知識がない状態でしたが、たまたま持っていた山梨県の民話の本に乗っていたことが後で判明。9体いた人形が元々は12体だったこと、舞が行われていた場所にも深い意味があったのとを知りました。
祭りは天津司神社から始まり、諏訪神社まで人形たちが移動(御幸)します。大きな小瀬スポーツ公園内を歩くため、高校野球の大会やストリートバスケが行われている真横を人形たちが通るという不思議な光景が生まれていました。
人形は移動中、顔に布がかけられています。まだ生命・神様が宿る前であることを表しているようで、この時点では「人形」であることが分かります。
諏訪神社に着くと神事が行われ、やがて「人形」たちは「御船」に入ります。しばらくすると、御幸の時にも奏でられたメロディーに合わせて、先程まで顔に布がかけられていた「人形」たちが「神様」となって現れました。
受付で配られていたパンフレットに、一連の舞の流れが書かれていました。
ゆったりとしたリズムがしばらく続いた後、突然激しい「お狂い」が展開するー。それはまるで「ケ」と「ハレ」のリズムであり、普段は穏やかな自然が突如として牙を剥き、そこからまた穏やかな自然に戻っていくという日本ならではの自然観であるように感じました。
舞の途中、地元の方々の話が聞こえてきました。小さなお子さんにお母さんが「もうすぐでお姫様が出てくるよ」と語りかける声、中高生くらいの子が友達に「剣を持った人が激しく舞う時に、剣(を模したお札?)が飛んでくるから気を付けたほうが良いよ」と教える声などなど。地域の方々にとって「天津司舞」が大切で身近なお祭りであることが垣間見えた瞬間でした。
終わりに〜山梨大好き🗻〜
私は学生の頃に山梨で過ごして以来山梨県が大好きなのですが、こうした文化的なものに触れる経験があまりありませんでした。けれど今回こうして2つのお祭りに出会うことができ、改めて「山梨って素敵だなぁ」と感じることができました。
個人的に民話や幻獣に関心があるため、より山梨について調べ、今後フィールドワーク〜制作活動や子どもたちと民話や幻獣を想像・創造するようなワークショップができたらなぁと思います✨また山梨に行きたいなぁ🗻
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