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1泊1000円のホテルに泊まったら人生観が変わった話

夏休みに2泊3日の大阪旅行に行ったときのこと。

大阪には既に何度も訪れており、宿泊先は割と定番化しており面白みがなくなりつつあった。

そこで今回はもっと刺激的な場所のホテルに泊まることにした。

辿り着いた場所は西成区あいりん地区

あいりん地区は日本でも有数のドヤ街※だ。

※ドヤ街
日雇い労働者が多く住む街のこと。 
今でこそ少し落ち着いたが、10年ほど前までは暴動などが絶えない治安がもの凄く悪い街だった。

街を少し歩くと、すぐに異様な雰囲気に気づく。

まだ明るいうちから酔っ払った人で溢れており、夜になると何もない路地に人がポツンと立っていたりする。

また道端に落書きされた車が捨ててあり、建物の1階にはどこも鉄格子が付いていた。

そんな街の雰囲気に圧倒されかけたが、せっかく泊まるならとことんドヤ街っぽいホテルにしようと決めた。

やがて他のホテルよりも一層雰囲気を醸し出しているところを見つけた。

そのホテルの色はかつては白かったであろう燻(くす)んだ灰色で、建てられてから大分長い年月を重ねているのが感じられた。

入り口の窓に「本日空室あり」と書いてある。

値段は1泊1000円。

ドヤ街を緊張感を持って長いこと歩いた僕は泊まる場所が決まっただけで安堵の気持ちになる。

入り口の看板には
全室TV・冷蔵庫付き」と書いてある。

もともと値段が値段なので内容に全く期待してはいなかったけど、意外にもアメニティは充実してるらしい。

入り口を入ってすぐの窓タイプの小さな受付に、おっちゃんが座っていた。
そのおっちゃんは白髪混じりの頭で、体型は小太り、服装は穴が空いてシワだらけの白いTシャツに灰色のスウェットを履いていた。

他に従業員はおらず、ここの支配人のようだ。

「すみません、今日宿泊したいんですが。。」

そういうとおっちゃんは僕の姿を上から下までジロリと見て、言った。

うち鍵ないけど良い?

まるで「うちWi-Fiないけどいい?」くらいのテンションで彼はそう言った。

ちょっと何言ってるのかよくわからなかった。

それを聞いた僕は思わず

「え、嫌です。」

と反射的に答えた。

こんなドヤ街のど真ん中で、客を鍵のない部屋に泊まらせるのは一体どういうことなのか。

てか全室にTVと冷蔵庫を付けるなら先に鍵付けんかい。。

そんな思いが錯綜し、僕は困惑した。

すると、おっちゃんはまたこちらをジロリと見てため息をついた後に
「じゃあ+200円ね。」 
とだけ言った。

どうやら課金すれば鍵が付くらしい。
鍵を出し惜しむ理由はよくわからなかった。

おっちゃんは一旦受付の奥に消えて何かガサゴソやってから、外付けの南京錠を手に持って再び現れた。

次にホテルを使うにあたっての注意点の説明を始めた。

「うちスリッパ制やから。そこの玄関で履き替えてな。スリッパは用意してあるやつ使てな
自分の靴は絶対に下駄箱入れたらあかんで。部屋に持ってき」

「あとトイレと風呂は共有やけど、兄ちゃんは使わん方がええな。」

スリッパに履き替えるのは良いとして、
トイレと風呂も使えないのか。。

しかしいきなり鍵ないと言われた時点で既に色々と覚悟はできていたのですぐに了承した。

一通りの説明を聞き、
ホテル代+鍵代で1200円を払った。

挨拶した後、スリッパに履き替えるために下駄箱に向かった。

下駄箱を一目見たとき、
「これは無理だ」と思った。

おっちゃんがスリッパを「用意してある」と言うからにはついホテル専用の統一されたものでもあるのかと思っていた。

しかし実際に用意されていたスリッパはこれだった。

そこには薄汚れた統一感のないスリッパが敷き詰められていた。

僕はこのスリッパを履くくらいなら裸足の方が足は汚れないと判断し、おっちゃんに見つからないようにスリッパをやり過ごした。

部屋は4階だったので、2人くらいしか入れない古びたエレベーターに乗り、部屋へと向かった。

部屋に向かう途中、僕はどんな部屋が待ち受けているのかと陰鬱な思いに耽った。

しかし夜も更けており、あとは寝るだけだからもはや何も言うまい。

そうして部屋に到着し、引き戸タイプのドアをガラガラと開けた。

開けてみたときの最初に心に浮かんだのは

ん、独房かな?

というシンプルな感想だった。

あの引き戸は実はどこかの刑務所に繋がっていて、そこにワープでもしたのかもしれない。

きっとそうに違いない。

そう思いたくなるような部屋だった。


これがそのときの実際の部屋だ。

部屋の広さは2畳。
写真に映ってない手前側に小さいテレビと冷蔵庫が確かにあった。

部屋の中に入るとカビ臭さが鼻をついた。
全体の印象としては古いし汚いが、最近人が部屋を使った痕跡がなかった。
何年も人が泊まっていないのかもしれない。

そして画面に向かって左側の畳には、ご覧の通りなぜか黒ずんだシミがあった。

一体このシミは何だろうという疑問が湧いたが、すぐに考えるのをやめた。
シミの正体が何か分かったところでおそらく事態は好転しない。

意外にも布団はキレイだった。
もしかすると、布団だけはさっきのおっちゃんが定期的に取り替えてるのかもしれない。

サンキューおっちゃん。

心で感謝を告げる。

寝ることさえできれば、カビ臭さもシミもこの際気にしないでおこう。
鍵もスリッパの件も全て帳消しにしよう。

そういうわけで、
おっちゃんのアドバイス通り、風呂も入らずトイレにも行かずそのまま寝ることにした。

布団をめくり、中に入ろうとする。

ふと、視界に何かが入る。
そのまま布団に潜ろうとしたが、その違和感が大きかったので、めくった布団の中をよく覗いてみた。

そこには無数のクモとダニが蠢(うご)めいていた。

僕の鳥肌が総動員で一斉に立ち上がった。

この布団は定期的に替えられてなどいなかった。むしろ長い期間ここに放置されていたに違いない。

その間に布団はいつのまにか「人を寝かせる」という機能を放棄し、クモとダニの巣窟として新たな役目を果たしていた。

むしろ布団とクモとダニ達からしたら、
「今まで散々放置してきたくせに急に何なん?」と言ったところだろう。

とりあえずさっきのおっちゃんへの感謝はすぐに捨て去った。

これじゃあとても寝られない。

時間は夜の23時を回っていた。

僕は追い込まれた。

クモとダニが見える布団で寝たくないし、かと言って今から新しくホテルを探すのも億劫だ。

寝ないでこの部屋で過ごすというのもあるが、次の日は午前中から予定を入れていたため、今日はしっかり寝ておきたい。

それぞれの思いが、それぞれの正当性をもって僕に訴えてくる。

その場に立ち尽くしまま、時間だけが過ぎた。

しかし、えてして人というのは追い込まれたときにこそ天才的な発想を思いつくものだ。

その夜、2畳の古びたカビ臭い部屋に、ひらめきの神が舞い降りた。

その神は耳元で僕にこう囁いた。

(聞こえますか。。電気を。。。電気を消すのです。。。そうすればクモやダニは見えません。。。これはつまり。。いないのと一緒です。)

天才か。

コペルニクス的な着想を得た僕はすぐに実行に移し、電気を消して、布団をめくり、寝るところを手で払った。(おそらくこれで全てのクモとダニは追い払えたに違いない。)

そのまま思考を停止させ、目を閉じた。

耳元でガサガサと聞こえるがこれは気のせいだ。
さきほどから背中も痒くなってきたがこれも気のせいに決まっている。

そう言い聞かせているうちにいつしか眠気がやってきてそのまま眠りに落ちて行った。

チュンチュンチュン。

木々の隙間から木漏れ日を感じながら、鳥のさえずりで目が覚めるのは何と気持ちが良いことだろう。

それだけで今日も1日、素敵に過ごせそうな気がしてくる。

しかしその日の僕は、ゴキブリの羽ばたきで目が覚めた。

バサバサバサバサ。

Gは僕の左耳から推定20cmほどのところで羽ばたいた。

うええぃやああああ!!

という、
今までの人生で一回も出したこともないような声を出しながら飛び起きた。

人生の寝起きで間違いなくワースト1位を飾る朝だった。

一方Gは姿をほぼ見せることなく壁と畳の隙間に消えて行った。

そんなGに想いを馳せる暇もなく、すぐに頭と背中と足の違和感に気づく。

違和感の正体は激烈な痒みだった。

昨日感じた痒みは気のせいではなかった。

そして外から光が差し込み、「電気を消す」という魔法が解かれた今、僕の周囲にいる無数の「現実」が視界に入ってきた。

急に全てが耐えられなくなり、
僕はすぐに荷物をまとめ、逃げるようにチェックアウトし、ホテルを出た。

絶望と疲労感に苛まれながら、近くの銭湯をスマホで探し、直行した。 

銭湯でこれでもかというくらい体を洗い、脱いだ服はビニール袋に全て封印した。

2泊とも西成区のホテルに泊まるのもありかと思っていたが、風呂を出た僕はすぐさま電話をかけ、リッツカールトンを予約した。

西成区の反動はあまりにも大きく、高級ホテルを予約するのに何のためらいもなかった。

部屋の空き状況から早めにチェックインできることが判明し、銭湯を後にしてそのままタクシーに乗り、リッツに向かう。

到着したリッツの洗練された入り口にはドアマンが立っており、僕が近づくと笑顔で扉を開けてくれた。

向こうはリッツのホテルマンとして当たり前のことをしただけかもしれない。

しかし僕はそのとき、
途方もない感謝の心が芽生えた。

自然と心からの「ありがとうございます。」が出た。

何のことはない。

今の自分は十分に幸せだった。

そんな当たり前だけど大切なことに気づけた旅だった。

素晴らしい旅だったと締めくくりたいけど、あの布団にいたクモやダニのことを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。

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