眠れない夜のエッセイ
私は、寝つきが良い方ではない。瞼がとろんと落ちてきて、確かに眠気はあるんだけども、意識を手放すまでに至らない。そんな夜が結構ある。大体、お酒を飲みすぎた日はそうなんだよなぁ。
今日は、珍しく飲みすぎた。とても良い雰囲気のお店だったし、話も弾んで楽しくて、ついちびちびと口をつけてしまった。と言っても、お猪口3杯ほどなのだけれども…。私はお酒が弱くて、缶チューハイなら1/2本、日本酒ならお猪口2杯程度で、四肢まで真っ赤になってしまう。頬だけポッと紅葉するなら可愛いけれども、私の場合、本当に全身真っ赤っかになるのだ。残念ながら、可愛いも何もあったものではない。しかも、酔っても人格が変わるようなことはいっそなく、ただ心拍が速くなって体からストップがかかるだけ。悲しいかな、呑んで一番つまらないタイプである。
人並みに飲めたらなぁと思うけれども、こればっかりはどうしようもない。
眠れない時は、まずはベッドで目を閉じて、眠りに落ちる努力をする。それがうまくいかないと、寝付けないこと、そしてそれが明日にまで影響を及ぼすことに、だんだん苛々してくる。脳が勝手に反省会の準備を始める。
もっとちゃんと水を飲めば良かったかも。でも、そう度々店員さんに和らぎ水を頼むのも忍びないのだ。お金なら喜んで払うから、ボトルを2、3本、最初からテーブルに置いていてほしい。
あと、料理が予想以上に小ぢんまりとしていた。酒の肴よろしくお上品な量しか出てこなかったので、空きっ腹に飲むことになり余計酔っ払ったのだと思う。すごく良いお店だったから是非また訪れたいけれども、次行くときは事前に軽くお腹を満たして行った方が良さそうだ。近くにおでん屋さんがあったと思う。そこでサクッと立ち食いして行くのはどうだろう。しかし、おでんだけ食べて、水物を頼まないのは礼儀知らずだろうか。まぁ、店まで歩きがてらコンビニのおにぎりにぱくついてもいい。
寝付けない苛立ちに乗っかって、仄暗い思考が頭の中に立ち込めてきたりもする。そうなってくると、ずるずると暗い場所へ引き摺り込まれる危険性があるので放置できない。スッパリ諦めて、寝室を後にする。
明日もどうせ休みだ。勿論家族で団体行動する必要はあるけど、仕事ほど時間にキリキリしなくていい。せっかく気持ちの良い酔いを、眠れない苛々で上書きするのは勿体無い。そんな風に自分に言い聞かせる。酔っ払って、自分でも気付いてないけど気が立っているのだ。暴れん坊の可愛い生き物の、乱れた毛並みを整えるみたいに、自分の心を優しく撫で付けてやることが必要だ。
お湯を沸かしている間に、ティーパックを選ぶ。最近は、シナモン、カモミール、ルイボス、オレンジのブレンドティーが、不眠のお供の定番になりつつある。温かいお茶を飲みながら、つらつらとこの文章を書く。電気の灯りは異様に眩しく感じられるし、瞼もまともに上がらない。ベッドから離れることで、より強く自分の中の眠気を感じる。
でも、まだ足りないな。もうちょっと眠気が育ってくれないと、まだベッドに戻ってもさっきの二の舞になる。もう三十年近く自分の体と付き合っているわけだから、そこらへんの感覚は分かっているつもりである。
書く。
誰もいない、音もない空間で、書く。
私には、どうしてもこの時間が必要だ。
お茶を飲んで、ふーーっと息を長く吐くと、顔も、首も、肩も、筋肉がほろりと弛緩して、自分が随分気を張っていたことにやっと気付く。私の心は、ざわざわとすぐに毳立つし、自分でそれに気付かないことも多い。つくづく面倒な性分だなと思うけど、それごと仕方ないなぁと弱く笑えるようになった、気がする。自分を否定できなくなったのは、弱くて汚い私に、「私も、その痛みを知っている」とそっと教えてくれた人たちがいるからだ。自分を否定したら、その人たちも否定したことになってしまう。あんなに優しい人たちが、弱くて汚いわけがない。
でも、比較的心が頑強な人からしたら、私の心の遣い方は、過保護で鬱陶しいだろうなぁと思う。自立へのもどかしさを抱えた子供が、母親の世話を嫌がるようなものじゃなかろうか。でも、実際私は母親じゃないから、嫌がる人にまでこの心を配る必要はない。結果、お互いに心地良くいられるのだ。うぃんうぃん✌️
最近ね、私の心配りを心地よく思ってくれる人、そうでない人が、ぼんやりだけど分かるようになってきた気がする。この感じが合ってるかどうか、今後ゆっくり試してみるつもり。心を配った途端、その場でムシャムシャと食べちゃう人もいるので、そこは注意が必要なんだけどね。
これを書き終わってもまだ眠気が足りそうになかったら、次は少しだけ雑誌を読んでみようと思う。。皆々様の頭の上に舞い降りた夜が、静かで優しいものでありますように。
おやすみなさい!