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【#あの選択をしたから】人生の岐路となった2回の選択


はじめに

いつからか始まったFacebookの思い出機能がとても素晴らしくて、私がFacebookを続けている理由の1つになっています。

個人的に自分で自分を許せない人生でしたが、思い出機能で毎日上がってくる過去の自分の投稿を見ると、当時頑張っていた自分や笑っていた自分(忘れてた)を第三者的に振り返ることができて、逆に励まされています。

現在、私は桃農家ですが、まさか自分が桃を収穫することになるなんて過去の自分は思ってもみなかったことでしょう。

このnoteを始めるにあたり、ふと「#あの選択をしたから」というマイナビさんの企画が目に入り、最初の投稿として書いてみようかなと思いました。


桃農家になるという選択

再婚した夫がたまたま桃農家でした。

1人で仕事をしながら育ててきた子供が高校を卒業した時、急に肩の力が抜け、「これからは自分も新しいパートナーと余生を過ごそうかな」という気持ちが生まれてきた頃、自然と出会ったのが夫です。

私は昔から桃が大好きで、毎年夏になるとお中元で家に送られてくるのをとても楽しみにしていました。
いつも玄関の横のスペースに置かれていて、家に帰ると桃の香りと共に台所にいる母の姿が目に入る。それが幼少期の思い出です。
今から思うと、あれはとても高い桃だったんだろうな・・・と、しみじみ。

大人になってからも毎年欠かさず桃を買っていました。

当時の職場が桃の一大産地にあったこともあり、スーパーではなく直売所で。
次の品種が出るたびに買っては食べて、それは子供が生まれてからも変わらない私の夏の習慣でした。
子供と台所のシンクに並んで丸かじりしたりして、楽しかったです。

本当に、たまたま夫が桃農家だったということだけですが、思い出機能で過去の自分を振り返る度に、桃にまつわる淡く幸せな記憶で私のこの先が守られるようにと、神様が引き合わせてくださったのかなと思っています。


過去の後悔の選択

今でも胸の奥で硬い骨の欠片みたいに残っている選択があります。

仕事を変えることになり、隣の市に引っ越しをせざるを得なくなりました。
当時、子供は中学に入ったばかり。
友達と離れたくない、という子供を「早く帰れるようになるから」「収入も上がるから」と説得しました。

結果、引っ越した翌日から連日23時帰宅。
朝も5時から出勤・休みも無く3ヶ月ほどそんな状態で、子供にとても辛い思いをさせてしまいました。

辛い思いをさせて何を得たかというと、収入は上がりましたがある日突然断ち切られ、私はベッドから起きられなくなりました。

空白の2年間の末、オンラインで別の世界を知り、夫とも出会い、現在は当時と全く違う生き方をしています。満たされた時間を過ごす一方で、「あの時仕事を変えなかったら」「引っ越ししなかったら」という後悔の矢が私から抜けることは、最近までずっとありませんでした。



桃農家になって思うこと 1

後悔の骨の矢が刺さったままで、私は桃農家に来ました。

義母の農作業の手伝いをしながら自然の中で過ごすうちに、いつしか大きな矢が小さな欠片ぐらいの大きさになっていました。

人から離れて過ごしたことが良かったのかもしれません。
何より、桃の木に癒されたことが大きかったと思います。

日々そこにあり枝を伸ばし実が大きくなっていく。
私が泣こうが寝ようが桃はできていく。
夏の過酷な日差しも、その暑さが甘さとなって蓄えられていく。

桃の木にとっては当たり前のことだと思うのですが、当たり前のことでこんなに心が落ち着くという実績が、日々静かに私の中に蓄積していきました。

そしてまだ青い実でも糖度は変わらないということ。

私は今まで、熟すにつれ糖度が上がっていくと思っていました。
糖度計で試しに計ってみると、桃がまだ青い時から熟すまで糖度にあまり変化がなかったことにびっくりしました。

調べてみると、収穫時点で桃の中で糖度が決まるらしいです。
青く見えても中身は熟した時と同じ糖度、というのは、人間に置き換えてみるとなんだかすごいな、と思いました。

さらに、花の時点からもう勝負は決まっているということ。

実割れが激しかったある品種の査定会に行った時、
「開花の時に例年より気温が低かった」
「梅雨の時に豪雨が続いた」
その影響、と諸々のデータと共に教えていただき「そうなんだ!」と驚きました。

今見えている事柄も発端はもっと過去の出来事にあるのかもしれない。
そう考えると、
「起きてしまったことは仕方がない」という気持ちと
「知っていれば対策ができる」という気持ちが湧きあがり、
心が動くのを感じました。

そんな日々の暮らしが、私の奥の骨の矢を少しずつ小さくしていったのかもしれません。


桃農家になって思うこと 2

もう1つ思ったこと。
それは「もう綺麗で大きな桃を食べることはないな」ということです。

何故なら、それらはすべて商品だからです。

しかし、畑で商品にならない桃を味見してみたり、商品にならず引き取り手も無い桃たちをふんだんに使ってお菓子を作ったりと、農家ならではの特権を享受することができます。
特にお菓子は、今までもったいなくて試せなかったことがいっぱいできて、とても嬉しいです。

この夏は、小さな桃を使ってコンポートをいっぱい作りました。

出荷規定に満たない重さの小さな桃たち。
世に出ることは無いかもしれませんが、小さくてもちゃんと桃です。

「小さくてもちゃんと桃」の、文字通りちゃんと美味しくて、
この小さな桃たちを加工して販売できたらいいな、と思うようになりました。
そしてそれが私の次の指標になっています。

最後に

桃の実は古来より魔除けとしても知られ、それに絡めて
「桃パワーで幸せになってね」と友人から言われたことがあります。

このnoteでは、桃に癒された私が美味しい桃づくりを勉強していく様子や、日々の作業のことなどをメインで書いていきたいと思っています。

今まで、人生で岐路となる2回の選択をしてきました。

あの選択をしたから、と、自分をひたすら責めるだけの1回目。
でもそれがあったから2回目の幸せな選択に繋がっていったという事実。

思い出機能を見る度に、当時の私に伝えてあげたいな、と思っています。

来年も美味しい桃ができたらいいな。
これからどうぞよろしくお願い致します。


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