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江藤淳「妻と私」【読書記録】人は一人では生きていない

江藤淳の「妻と私」を読んだ。読んでるうちにこちらも時間の流れ方がどんどん遅くなり、ちょうど夕日が沈んでいくのを眺めているみたいな読書体験だった。

慶子がブレーキを踏めなくなることろから始まり、入院をし、時間は傾き、病院でふたりの「生と死の時間」を過ごす。妻・慶子の葬儀後に、慢性的に尿が出なくなり緊急入院をした江藤だったが、同書はそこから甦るように、いやそこから大きな振り幅でハイになり、「日常的な」時間に戻っていく。

あとがきでは妻との最後の時間を描いた同書の編集者などへの厚い謝辞で締めくくられている。

しかし、読了後、江藤がその年に亡くなっていることを知った。

勢いよく戻った日常の中に、助手席にいる妻越しに見ていた移り変わる外の景色を見いだせなかったのだろう。

世の中にはパートナーを失った人が無数にいる。むしろ、パートナーと同じタイミングで亡くなる方が稀だろう。人は「日常的な」時間に戻り、命日や誕生日などに思い出して故人を偲ぶ。ただきっとそれは一人では生きていない、のではないだろうか。再び別のパートナーができたとしても、その故人はその人の中で生き続けている、みな口を揃えて言う。それは故人自体が、一人では生きていけないため、その故人と長く一緒に暮らした人もまた一人では生きていない、のではないだろうか。

いまの自分にはそのくらいのことしか想像ができない。



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