見出し画像

1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、マグニチュード7.3、兵庫県南部地震から30年、決して忘れまい!!

改めて亡くなられた方々に
哀悼の意を表すとともに
復旧・復興に尽力された皆さんに
敬意を表します。


1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3[注釈 1]の兵庫県南部地震が発生してから30年が経とうとしています。

当時、私は42歳。本厄(翌年に心筋梗塞で緊急手術)。
我が家には犬(ぺぺちゃん7歳)と猫(くーちゃん2歳)がいました。
12畳の部屋で寝起きしていましたが、
ドッーン、と突き上げた、その瞬間、
くーちゃんは部屋の端の壁を駆け上り12畳ある部屋の天井を対角線上に走り抜け、
天井から一気に飛び降りて部屋から出て行ってしまいました。
何が起きたのかわからず、
そのあと、ガシャーン、バリバリ、といい音とともに
タンスを見、
倒れないか、倒れてくるんじゃないか、
倒れてくれば、一巻の終わり、との一瞬の不安と同時に飛び起き、
咄嗟にテレビを付ける。

私の居住地では神戸に比して甚大な被害はなかったものの
今となっては、
この朝の瞬間から、テレビに映るビル崩壊、阪神高速道路の崩壊、燃え盛る火災を見るまでの間の記憶も
ともすれば希薄になっていこうとする昨今。
・・・あの日から30年。



刻一刻と映し出されるテレビの映像に後ろ髪ひかれながら、
会社に行き、阪神間の得意先、代理店に電話を入れ、状況確認しようとするにも黒(固定)電話は通じず、ぼつぼつと普及初期段階であった携帯電話ももちろん繋がりませんでした。
走向するうちに、明石、垂水、西宮、尼崎からの連絡でだんだんと状況が判明してきだし、須磨、長田から灘、東灘、西宮がかなりひどい、ということがわかってきました。

とにかく、水。水がない。
ということで、ブルーの70Lと120Lの万能ポリバケツをできる限り購入し、それに水を入れて、各トラックに積載。
支援に出向くために、18日朝7時に出発しました。

ところが、もちろん阪神高速は崩壊していますので地道を行くことになるのですが、動いては止まりの連続でなかなか神戸に入ることができず、当時カーナビもトラックには付いておらず、地図を片手の走行でした。
結局、この日は、抜け道抜け道の連続交差で、裏六甲から鈴蘭台に入ったのが昼過ぎ、14時ころでしょうか、そして、板宿、長田区へ入ったのが夕刻、17時か18時ころだったでしょう。

もう、筆舌に尽くしがたい光景、惨状、修羅場、、、
連絡不通、音信不通、死者、行方不明、、、
家も店もペッシャンコ、道路はズタズタデコボコバリバリ、
駅舎のトイレ、公衆トイレは怖いほどの酷い凄惨惨状、臭気、
インフラ、ライフラインもズタズタぼろぼろ、行き場を失った人々、
寒いうえに家がない、着るものもない、食べ物が、水がない、ない、ない、ない、何もない、、、、。

思い出そうにも、あまりにも凄すぎて、記憶の一部が飛んじまってる、、、
妙な言い方ですが・・・

翌日からも、万能ポリバケツに水満載で、いざ、神戸へ!
その後、石油ストーブを満載し、いざ、神戸へ!
行くも困難、帰るも困難、
市役所と警察に連絡を取り、緊急災害支援物資運搬の適応をもって
パトカーに先導していただいての神戸入りするようになります。

傷心憔悴であっても大きな混乱もなく、
1月末頃にはJRも少しずつ復旧、
1月末日まで緊急災害支援物資運搬を続けました。
そして
1月末日には天皇皇后両陛下が神戸に。


阪神大震災の被災者を見舞い、
避難所を訪れ、
女性被災者を抱きしめ慰める皇后さま
(日経新聞より抜粋)

阪神大震災の被災者を見舞い、
バスの中から見送りの人たちに手を振る天皇陛下と
「がんばって」とこぶしを握る皇后さま(日経新聞より抜粋)


死者    6,434
行方不明者    3
負傷者    43,792
全壊     104,906
半壊     144,274
全焼     7,036
半焼     96

消防庁確定値


未曽有の被害を出し、さまざまな報道されない隠れた事実や事象があり、
インフラ、ライフライン、報道倫理へのさまざまな問題提起があり、
警視庁、消防庁、防衛庁、国、県、市への初動対応や問題提起もあり、
救急救命の医師側と被災者側の新たな問題、トリアージの問題、DMAT組織新設、などの山積された問題をかかえつつも、
今日に至っています。

被災した方、
被災していないが知っている方、
生まれてなっかた方、
知らなかった方、も。

忘れない
伝える
活かす
備える
繋ぐ

兵庫県広報



人としてのあたたかい思いと、
被災しても挫けない心、
復興を遂げた今、
しかしながら、
未曾有の犠牲被害を出した1.17
御冥福を祈るとともに
決して忘れないようにしたいと思いますし、
私の身内も厳しい避難生活を余儀されている能登半島地震も
もちろんのことです。


震災は、人々から
多くのものを奪い去った
失ったものはあまりにも大きく
それを取り戻すことはできない

NHK #心の傷を癒すということ


いま、神戸新長田に降り立つと、鉄人28号が出迎えてくれます。


2009年10月、新長田に鉄人28号の巨大モニュメントが完成しました。



今朝(1月13日)、NHKの病院ラジオは
当時、本館が全壊した神戸の西市民病院からの中継でした。


本稿最後に、是非ともご覧ください。


医師にして、ジャズピアニスト、文筆家、案克昌氏の原案により4話からなるドラマ。この機会に、是非ともご覧ください。NHK+で。近々、劇場版限定公開予定のようですが、詳細は検索してください。

阪神・淡路大震災発生時、自ら被災しながらも、他の被災者の心のケアに奔走した若き精神科医・安克昌。日本におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)研究の先駆者となった彼が寄り添い続けた人々との「心の絆」を描く。(From to:NHK この番組について) 


END







いいなと思ったら応援しよう!

toyotomi-pcjaf
「詐欺撲滅」と「デジタル終活」の告知啓発は私のラーフワークです。宜しければサポートお願いします。いただきましたサポートは今後の糧として、また若い人、青少年のサポートに利用させていただきたいと思っております。アドバイスもいただけますと幸甚です。引き続きよろしくお願いいたします。