微苦笑問題の哲学漫才28:ウィトゲンシュタイン編(前編)
微苦:ども、微苦笑問題です。
微:今回は言語論的転回を引き起こした哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(1889~1951年)です。先に言っておくけど、フランケンシュタインの親戚ではありませんので。
苦:くそっ、先を越されたか。「語りえぬものについては沈黙しなければならない」な、こりゃ。
微:なぜオチをここで使うんだよ!! それにキミの場合は、テストの答案用紙を前にした場合だろが!!
苦:自然は空白を嫌うんです(キリッ!!)。
微:それはエーテルを想定したニュートンだろ!! まあ、二人ともケンブリッジ大学関係者ですけど。
苦:ちなみに一橋大は「日本のケンブリッジ」と呼ばれています。
微:それは英語にしたら"One Bridge"というだけだろ!! 一橋大は人文系・社会科学系だよ。
苦:ぐぬぬ、おぬし、知っていたか。
微:ウィトゲンシュタインはウィーン出身ですが、イギリスでその才能を見出され、言語哲学や分析哲学に強い影響を与えました。こうして何回も哲学漫才やってきたら、さすがのキミも知識が増えたね。
苦:給料については減少額、知識の増加についてはエポケーしてくれたまえ。
微:現象学的に還元してウィトゲンシュタインに戻します。色々と書くべきことがあるので前後編にし、今回の内容は半生と『論理哲学論考』に絞りますね。
苦:整理しきれなかったというか、調べたことを全部書こうとする初心者大学生のレポートだな。
微:彼の父方の祖父はプロテスタントに改宗した同化ユダヤ人で、父カールはウィーン市の製鉄業で莫大な富を築き上げた大富豪でした。
苦:19世紀末のリンツ富豪だな。
微:母レオポルディーネはカトリックに改宗した同化ユダヤ人で、ウィトゲンシュタインはカトリックの洗礼を受けています。
苦:それって、セム系一神教「混ぜるな危険」というか、和洋中折衷創作料理というか・・・。
微:母方の宗派の関係か子沢山で、兄が4人、姉が3人の8人兄弟の末っ子です。
苦:父ちゃんがスケベで、母ちゃんが避妊しなかっただけだろ。
微:愛し合ってたんでしょう(棒読み)。ウィトゲンシュタイン家はホフマン、ロダン、ハイネ、さらにはグスタフ・クリムトなど多数の文化人と交際を持つ家で、刺激に満ちた家庭環境で育っています。
苦:クリムトが象徴してるなあ、まさに金満一家!
微:むしろ音楽一家ですね。祖母の従兄弟はメンデルスゾーンからレッスンを受け、母レオポルディーネも才能溢れるピアニストで、ブラームスやマーラーらと親交を結んでいました。
苦:サルトル以上に文化資本が凄い! 金融資産もすごいが、
微:特に兄パウルは有名なピアニストで、第一次世界大戦で右腕を失いますが、彼のためにラヴェルやR=シュトラウスらが左手だけで演奏できるピアノ曲を作曲しているほど、その才能は桁違いでした。
苦:ブルデューがその目で目撃したら卒倒しそうな文化資本だな。
微:本当に桁が違います。ただ負の遺伝として、鬱病や自殺の傾向が一族にはあり、4人の兄のうちパウルを除く3人が自殺しており、ウィトゲンシュタイン自身も常に自殺への衝動と戦っていました。
苦:フロイトといい、世紀末ウィーン出身者は、そんなんしかいないんか!!
微:当時の上流階級では自宅教育当たり前で、それが終わった後、ウィトゲンシュタインはリンツの高等実科学校で3年間の教育を受けます。
苦:アルマーニ制服の銀座小学校のように公立でも金持ちしかいないような環境だな。
苦:ちなみにですが、同じ学校の生徒にはあのアドルフ・ヒトラーがいて、二人が一緒に写っている集合写真が残っています。
苦:そういう運命的な写真を生むためにも公立小学校と学区制は残さないといかんな。アメリカに次いで日本でも進む「囲い込み」、つまり私立志向とかゲーティッド・コミュニティとか、面白みがない。
微:キミが言うとモロに貧乏人の僻みですが。さて、ウィトゲンシュタインはボルツマンのいるウィーン大学で宗教を学ぶことを希望したのですが、そのボルツマンが自殺しちゃいました。
苦:「先を越された」と悔しがったそうです。
微:「先生の下で学びたかった」だろ!! そこで次に興味を持っていた航空工学を学びに1906年からベルリンのシャルロッテンブルク工科大学、今のベルリン工科大学に入学します。
苦:飛び降り自殺のためかな?
微:そこから離れなさい。その後、博士号取得のためにマンチェスター大学工学部へ入学、小型ジェットエンジンを推力に利用するプロペラの設計に携わり、1911年には特許権も取得しています。
苦:何をやっても、できる人間はできるんだなあ。何をやってもできない人間はどうしたいい・・・
微:この間に数学への関心からバートランド・ラッセルの『数学原論』などを読んで数学基礎論に興味を持つようになり、「現代数理論理学の祖」フレーゲのもとで短期間学びます。
苦:日本の大学の「短期留学」の浅はかさが浮かんでくるな。
微:そのフレーゲの勧めで1911年の秋、ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジのラッセルを訪ねました。
苦:こいつ、麻雀打ちになっていたら最強の雀士になっていただろうな。この引きの強さ。
微:ウィトゲンシュタインと少し話しただけだったのですが、ラッセルは即座に彼の類い稀な哲学的才能を見抜きました。
苦:話すことがなかったので沈黙していたそうですが、それが評価されました。
微:『論理哲学論考』の末尾で遊ぶな!! 翌1912年に同校に入学を認められ、ラッセルやムーアのもとで論理の基礎に関する研究を始めましたが、1913年、ウィトゲンシュタインは父の最期を看取るために一旦、ウィーンへ戻りました。
苦:自分で設計した飛行機を操縦して戻ったそうです。
微:ウソはもういいよ!! 父の死によって彼は莫大な資産を相続しましたが、彼はそのほんの一部でノルウェーの山荘と一帯の森林を買い、残った遺産の相続を放棄して、その山小屋に隠遁しました。
苦:本当は山小屋を放棄するはずが、「書類を間違えた」と悔やんだそうです。
微:もういいよ!! それから時々草稿を持ってケンブリッジへ行くこともあったのですが、第一次世界大戦が始まるまでここで研究に没頭しました。
苦:普通なら精神に異常をきたすだろうけど、ウィトゲンシュタインなら没頭しただろうな。
微:はい、多くの学者に囲まれるケンブリッジでの生活は彼には合わなかったのです。
苦:安全なはずの日本の原子力発電所や核廃棄物処理場が海辺の辺境にあるようなもんか。凄いけど扱いにくいし、暴走すると手が付けられない。
微:しかもこの頃に書いた論理学に関する論文で学位を取得することを考え、ムーアを通して大学当局へ論文受理を打診します。
苦:ムーアを伝令に使うとは、超大物感がそれだけで漂うな。
微:しかし大学の規定には当然ながら、きちんと註が付いていなければならない条項があり、ウィトゲンシュタインの論文は規定を満たさないので通過しないとの返事がムーアから返ってきたのです。
苦:日本では梅原猛という先例があるのになあ。
微:ウィトゲンシュタインは「どうしてそんな下らない規定があるのか」「地獄へ落ちたほうがマシだ」「さもなければお前が地獄へ落ちろ」とムーアを罵倒しました。
苦:自分が言って、面倒くさがらずに註をつけろよな。それにしてもムーアが可哀想すぎる。
微:当然ながらこの一件で友人と学位を一挙に失いました。しかし「この時期が生涯で最も情熱的で生産的な時期だった」とウィトゲンシュタインが回顧するほどの期間でした。
苦:これに対抗できる日本人は杉田水脈くらいしかいないな。
微:暴言量産家はいいです。実際、前期ウィトゲンシュタインの主著で哲学界に激震をもたらした『論理哲学論考』の元になるアイディアはこのときに書かれていたんです。以下は『論考』と略しますね。
苦:うーん、ゴッホは叫ばないだけマシなのかも。クリエイティヴな人とは付き合いづらいな。
微:1914年、第一次世界大戦が勃発すると、8月7日にウィトゲンシュタインはオーストリア帝国軍に志願し、ポーランドのクラクフへ着任しますが、隊内では孤独に苛まれました。
苦:まあ、普通の人はお近づきになりたくないタイプだわな。
微:さらに兄パウルが右手を失ったことを聞き、何度も自殺を考えるようになりました。ですが、偶然に本屋で買ったトルストイによる福音書の解説書から信仰に目覚めて精神的な危機を脱します。
苦:手に取ったのが『意志と表象としての世界』だったら怖いな。
微:この頃からウィトゲンシュタインは哲学的アイディアや宗教的内省をノートに頻繁に書き留めるようになります。
苦:業界では『死界文書』とその断片集は呼ばれています。
微:文字化しないとわからないよ!! その一つが『論考』で全面的に展開される「写像理論」で、塹壕の中で読んだ雑誌の交通事故の記事に付いていた様々な図式解説からヒントを得たものです。
苦:どうやったら、図式解説から世界は相互に連結された諸々の原子的事実の総体であり、命題群は世界の「像」を為す。一つの像が一つの事実を映すためには、像は何らかの形でその事実と同じ論理構造を保有していなければならないという理論が出てくるんだ?
微:後半で説明しますから待ってください。
苦:河合夫妻は公判でも説明しなかったぞ。
微:それは別の漢字で別の話!! 自殺願望と戦いながら、1915年に『論考』第一稿がこの年に完成しました。残念ながらその草稿自体は現存していません。
苦:ハードディスクに保存しろとは言わないけど、フィルムとか写像にしておけよな。
微:1916年には対ロシア戦の最前線に砲兵連隊員として、1918年にはイタリア戦線の山岳砲兵部隊へ配属されます。
苦:それってお互いやる気のない所で休憩してこいや、という間接的休暇?
微:真剣な戦いです。この間、二度も受勲し、少尉に昇進しますが、オーストリア軍の退却は続きます。その間の休暇を使い、ザルツブルクの叔父宅でウィトゲンシュタインは『論考』を脱稿しました。
苦:戦争中だと「脱走」に聞こえるな。
微:考察自体が精神的逃避かも。そして既に崩壊しつつあるイタリア戦線へ戻ったウィトゲンシュタインは、オーストリア降伏の直前に不運にもイタリア軍の捕虜となり、収容所へ送られました。
苦:ヘタリアの捕虜になるっていうのは「弱かった」証拠じゃねえのか?
微:1919年にウィトゲンシュタインは収容所からラッセルに書き送った手紙で『論考』の概略を伝えましたが、その重要性に気づいたラッセル自身が反戦運動により刑務所に投獄されていました。
苦:原稿を送ってもバカな職員が「意味不明の怪文書」として焼却しただろうな。
微:しかし、当時パリ講和会議のイギリス代表で各国政府機関に顔の利いたケインズの尽力で原稿はラッセルやフレーゲの元へ届けられ、8月21日にウィトゲンシュタインはようやく釈放されました。
苦:那覇検察庁が苦渋の顔で「高度に政治的な判断だった」と記者会見を行ったそうです。
微:それは2010年の日本!! ですが、『論考』は6つの出版社に出版を拒否され、フレーゲルもラッセルも『論考』を理解できていないことにも失望し、ウィトゲンシュタインは投げやりになります。
微:ラッセルが序文を書き、オグデンが英訳を付ける形でようやく『論考』が出版されたのは1922年11月でした。
苦:戸田奈津子に字幕を作られるよりはいいんじゃねえの? 誤訳の女王。
微:しかしウィトゲンシュタインは『論考』で哲学の問題はすべて解決したと考えたため、彼はウィーンに近い村トラッテンバッハの小学校教員となっていました。
苦:予想の斜め上すぎる展開だな。
微;ただ、有能すぎた上に教育内容が先進的すぎ、かつ体罰を行う教育熱心さのあまり、保護者の反発を買って辞職し、庭師に転職しています。
苦:今の日本の野球部顧問の問題が発覚した時の学校長の記者会見みたいだな。
微:本題の『論考』の原題は" Logisch-philosophische Abhandlung/ Tractatus Logico-Philosophicus" です。
苦:ドイツ語にラテン語訳つけてくれてありがとう。ぶぶ漬けより強烈です。
微:ウィトゲンシュタイン自身は論理哲学などというものの存在を認めていない上、哲学についての考察もわずかなので『論理的に哲学について考えてみた』くらいの邦題の方が適切なのです。
苦:おお、分かりやすい!
微:『論考』は数字が振られた短い断章の寄せ集めとして構成され、命題1 に対しては1.1 、1.2…が、1.1に対しては1.11 、1.12…がそれぞれ注釈・敷衍を加えるといった関係になっています。
苦:パソコン・ソフトの改良表示みたいだな。少し直しました感がでている。
微:いや、ツッコミの深さの表示です。したがって『論考』中の小数点以下のない七つの断章こそ『論考』の基本主張だということになるのですが、それは以下の通りです。
苦:うーん、これだけでは本にならないな、B5一枚でも十分すぎる。
微:絶対、オマエ『論考』読んでねえだろ!! ちなみにウィトゲンシュタインがまだ小学校教師として悪戦苦闘していた頃、ウィーンでは『論考』が学者たちの話題の的となっていました。
苦:聞いたことあります。「本じゃなくてビラでいいじゃん」って。
微:使い回しはやめなさい。シュリック、カルナップ、ワイスマン、ゲーデル、ハンス・ハーン、クラフト、メンガー、オットー・ノイラートなど錚々たるメンバーでした。
苦:これだけで単科大学1つ開設できるじゃん!!
微:彼らは、1929年にウィーン学団を名乗り、『論考』を聖書的扱いしました。
苦:なんかオチが見えたな。息苦しくなって、豪華メンバーから逃げ出すんだろ?
作者の補足と言い訳
今回もユダヤ人哲学者で、しかもウィトゲンシュタインです。近年は野矢さんが『論考』翻訳を出し、関連本を書いてますし、永井均さんにも『ウィトゲンシュタイン入門』というちくま新書があります。レヴィ=ストロースの回で書いたことに引きつければ、「タレントのためにはシステムは改造されなければならない」を地で行く存在がこのウィトゲンシュタインです。
彼が意識していたのかどうかは、初学者同然の筆者にはわかりませんが、7つの命題を示す断章と、それを補足・注釈する記述形式は、ホワイトヘッドの名言「西洋哲学史はプラトンの注釈史である」、あるいは「中国思想史は論語の注釈史である」という何かの本の帯のキャッチコピーを思い出させてくれます。
言語の不思議なところは、チャゲ&飛鳥の「♪言葉は心超えない」と、われわれは言いたいことが伝えられないもどかしさに悩む一方、「語るにおちる」ように、語らないことによって語っていたり、あるいは自分が発する言葉に自分自身が囚われて興奮したり、「思ってもいなかったことを口にする」現象です。カントの主張したように世界の客観的認識が不可能であり、かつ言葉は世界を語るのに過小であったり過剰である時、われわれは世界をどう認識でき、伝えることができるのでしょうか。
その時には、言葉の過小さと過剰さを「簡潔さ」と「豊かさ」に変換できる能力が必要なのでしょうが、れこそ「語り得ぬもの」であって、以下、凡人(を含めた世界)は無限ループに陥っていくのです。