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コーヒー日記④
宙ぶらりんで、いいじゃない
私たちは、あまりに何でも説明したがってしまいます。
生物の名前、美味しさの理由、ミスの原因、、、。
説明が必要なときもありますが、完璧主義に陥ると、息苦しくなってしまいます。
説明の要らない楽しさ。あなたはもっていますか?
「なんでか分からないけど、このコーヒーすごく美味しい。落ち着く。」
宙ぶらりんで、いいじゃない。
ロゴス(論理)からピュシス(自然)に還る時間。
たまにはあると、いいですね。
コーヒーから学ぶ、『不便益』
不便によって得られる益、「不便益」。
京都先端科学大学教授・川上浩司先生が提唱している概念です。
一杯のコーヒーを淹れるため、わざわざ朝早く起きて、手挽きミルで豆をゴリゴリ挽いていると、ふと、以前に学んだ「不便益」を思い出した。
不便益には8つの益があるよう。
工夫できる・発見できる・対象が理解できる、、、、。
これ、全部ドリップコーヒーを自分で淹れるときに体感していることだ。
不便益のススメ。
その第一歩に、ドリップコーヒーはいかがでしょうか。
静止旅行
ものはただじっとしているだけで、どこへでも行くことができる。
リチャード・パワーズ氏の小説、『オーバーストーリー』の一節です。
サーバーからカップに移すときの音。
立ちのぼる香り。
口の中に広がる余韻。
ほっとひと息つくと、小鳥のさえずりが聴こえる。
朝のコーヒータイム。
ただじっとコーヒー飲む。
私の静止旅行。
「偽善」で満たす
一見どんなに正しく思えることも、意外な仕方で間違っている可能性がある。この意味で、僕たちは常に「偽善」から免れない存在である。~~僕たちは何をしても偽善的になる。だがそれは、倫理を丸ごと手離す根拠にはならない。そもそも人が、自分でないものを気遣い、他者の喜びを願うのは、それが単に「正しい」からではない。~~そうすることが、僕たち自身にとっても喜びだからではないのか。
森田真生氏の著作、『僕たちはどう生きるか』の一節。
「偉そうに発信しているけど、あなた自身はろくでもない人間でしょ」
時折、自分に向けた心の声に、乱されそうになる。
確かにそうだ。偽善だ。
でも、それでいいのかもしれない。
他人にそう思われても、自分自身がそう思っていても、構わない。
朝、自分で淹れたコーヒーを飲む。
すがすがしい気持ちで仕事をする。
好きが高じてコーヒー屋を営む。
現在の、こうした恵まれた環境で感じた想いを、ゆるゆると発信する。
偽善が、偽善を生む。
偽善で満ちた世界は、どろどろとしているだろうか。
いや、そんなことはない。
人は自分だけのためになる行動からは、喜びが得ることができない。
私なりの偽善で、私たちの偽善で、豊かな社会、生命を、繋いでいきたい。
依存先としてのコーヒー
「自立」とは、何にも依存していないことではない。
むしろ、限りなく依存先が多い状態である。
「歩行自立」で考える。
真っすぐ立てること、片足で立てること、つま先立ちができること、、、。
こうした多くの身体機能に「依存」しているからこそ、自立して歩くことができる。
ただ、依存先がとても多いため、普段は何に依存しているかを意識することがない。
どんな状況であっても生き生きと生活することができる精神。
これを「自立」と表現するなら、依存先はなるべく多い方がイイ。
私の場合、趣味の領域ではコーヒー、サウナ、たまにサイクリングとか。
コーヒーは、自宅で飲んでもいいし、カフェに巡ってもいい。ブラックでも、カフェオレでもいい。つまり、楽しみ方が実に多様だ。
依存先としてのコーヒー、というと、なんだか味気ない感じもしなくはないが、とてもおすすめです。
環境と調和した働き方を模索する
これまで、「新しい働き方を提示する」というビジョンのもと、こうした発信を含めた活動に取り組んできました。
ただ、様々なことを経験し、学んだうえで、私自身、次のステージにいかないといけないな、と思うようになりました。
それは、タイトルにもあるとおり、
『環境と調和した働き方を模索する』
です。
自動車で通勤し、煌々と明るい光の中、エアコンをがんがんにかけた状態で、仕事をする。
そのどれもが、環境を汚染する活動に繋がります。
環境が汚染されることは、結局、私たちの生活に悪影響を及ぼします。
こうした行為は、つまり、自己破壊です。
明らかに自己破壊に夢中なこの世界について説明を求められたとき、父は息子に何を語ることができるだろうか。
この言葉は、Richard Powers著、『Bewilderment』の出版社のウェブサイトに記載された、この本の紹介文の一節です。
確かに、全く自己破壊をしない生活は、既に私たちには不可能かもしれません。
でも、『環境と調和した働き方』なら、できるかもしれない。
新たに掲げたビジョンを、「提示する」ではなく、「模索する」としたのは、私自身、まだどのように行動すればよいか分かっていないからです。
そんなことをビジョンするのは非現実的だと自分でも思いますが、「学んで、考えて、発信して、行動する」というサイクルの中で、何か少しでも「模索」から「提示」していければいいなと思っています。
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