#38 エネルギーの奪い合い
「コントロールドラマ」って聞いたことあるかな?
『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド)に出てくる話なんだ。(と言っているぼくは全く知らなかった。塩田元規さんの「ハートドリブン」という本で知ったんだ。)
このドラマの中で、人は心理的高揚感を得るために、互いに心理エネルギーを奪い合っている。その際、次の4つの役割を演じているんだ。
脅迫者:相手を委縮させてエネルギーを奪う人。マウントをとる人。
被害者:同情を引くことで気をつかわせる。自分に起きたひどいことを相手に責任があるように語り、受身的にエネルギーを奪う。
尋問者:人を問い詰めることでエネルギーを奪う。自分が脅迫されると脅迫者に代わる。
傍観者:周囲から距離をおくことで相手の気を引きエネルギーを奪う。
人は相手や場面に応じてこの4つの役割を変えながらエネルギーを奪い合っている。つまり、無意識のうちに4つのどれかの役割に入ってしまっている(演じてしまっている)んだ。だからこそ、エネルギーの奪い合いドラマに参加していることを自覚し、このドラマから抜け出すことが大事なんだ。自分のエネルギーは自分のために使うようにするために。(という話でした。)
さて、ここまで読んで、君は何を思い浮かべたかな。
ぼくが、エネルギーを「気」と言い代えてみた。すぐに浮かんだのは、「学級の子どもたちの世界」だ。
子どもたちは自分に気が向くように行動している。相手よりも上に立つことで気を引く。弱くなって同情という気を引く。相手を問い詰めることで相手の気を引く。集団から離れることで目立ち気を引く。(この行動は子どもだけのものではなく、大人の世界でもある。)
子どもの行動を理解する際に、この「エネルギー移動」の観点を用いるとどうかな。
エネルギーには総量があると考えるんだ。家庭でエネルギー満タンになった子は満たされているので、4つの役割に耐えられるだろう。一方で、エネルギーが少ない子は、4つの中から自分のできそうな役割を選び、エネルギーを求めよう(奪おう)としているのかもしれない。満たされている子は、そんな子にエネルギーを与えて(気を配って)いる。「与える側」と「受け取る側」の関係ができている。
こんな風に、学級内の子どもたちの営みをエネルギーの移動で捉えることもできそうだね。
そして、受け取った子には、与える経験ができるようにしてあげたい。
「奪う合い」という関係ではなく、「与える」「受け取る」という関係に捉え直させるために。