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短編 『You're mayor of the zone』

 昔から小説が書きたかった。
 昔、といったけれどそれ以上の足場をここに与えるつもりもとくにあるわけじゃない。自分の言動に対してあり様を説かれるのにはうんざりしていた。
 僕は怠惰で、怠惰なまま小説を書いてみたかった。過去に僕が書いてきたものは、あまりにたくさんのものを欠いていて物語とは呼べない。例えばそこには会話文がなかった。だからある人物がいて、僕がその像を伝達しようといくら言葉を費やしても、それはいつも壁にピンで留められたポートレートのようなものになった。
 僕は会話文の書き方を知らない。ただ僕が虚しく作るポートレートには、決まって「You're mayor of the zone(お前はそのゾーンの市長だ)」と書かれている。

「患得患失」、かんとくかんしつ、僕はこの四字熟語をネイティブ講師のChadの太い腕に見た。フゥァン ドゥー フゥァン シィー、後で知ったこの中国語の読みと同様に僕にはその言葉の意味も分からなかった。僕は当てずっぽうに、でたらめな訳を紙に書いて彼に見せた。
「Sometimes, illness brings some benefits even though it's usually bullshit.(大抵はクソみたいなものだが、時に病は何らかの利益をもたらす)」
彼はざっと目を通すとひどく笑った。
 彼は笑顔でその入れ墨は中国人に入れてもらったことを話しながら、ホワイトボードにただ「Easy come, easy go」とだけ書いた。
 Chadは49歳のハワイ生まれのアメリカ人(と言っても彼はミックスで、中国の血も持っているので肌は少し黄色い)で、毎日ジムで鍛えている大柄な身体にはいくつか入れ墨が入っている。スキンヘッドで鼻の穴は広く、たいてい日本語を交えながら少し下品なジョークを飛ばしている彼はともすると好色な印象を人に与えるかもしれない。だが実際には、彼はすこぶるシリアスな人間だった。だからこそ彼はよく笑う。Chadは5年前に脳卒中で倒れて、その間、英語を発音するための表情筋を取り戻すのに苦労している。それもあって、授業の中では『英語を話すための筋力トレーニング』を繰り返し教えてくれた。

「Easy come, easy go」。辞書を引くと「得やすいものは失いやすい」とあるが、加えてこの言葉には何か明るい諦念のようなものがあるように思う。例えば僕らの生活には屈託が確かにあって、しばしば瑣末で、汚い洗濯槽のような憂鬱に足止めを食らうことがある。それでもChadの場合、煙草さえ吸えれば人生の総体は「Easy come, easy go」と笑って答えられるだろう。留学を期に煙草を止めてしまった僕も、そんな人生観の中で何か筋トレでも始めればよかったのだ。僕はこれから日本語を話さなきゃならない。
 
 僕は5月の末に約8ヶ月間のフィリピン留学から日本に帰ってきた。戻ってきて第一に感じたのは、日本の空港職員の女性は決然とした、どこか看護師のような気概を持っているということだった。少なくともフィリピンの店員のように、突然歌い始めるといったことはなかった。僕を包んでいた充実感はだんだんと確実に淡くなって、そのすぐ下には投げやりな、見知った危機の感覚がコンクリートのように控えている。
 帰国から3日ほど経って、僕はようやく覚醒し、おずおずと現実へと戻っていった。
 
「患得患失、意味は『まだ手に入れないうちは手に入れようと気にかけ、手に入れてしまうと失うことを心配する』って出てくるけど」
 バイト仲間の岡田香乃がスマホの画面を見せながら言ってきた。
 彼女は僕と同じ小さな書店で働いている。読書が趣味で、彼女いわく「気合が入った作家」が好きだ。僕よりもはるかに実用の人間で、書店の他に読書系フリーペーパーの制作部でも働いているらしい。僕はときどき香乃に自分が書いたものを読んでもらっていた。
「知ってるよ。けどChadの表現からイメージを広げたかったんだ。正しい意味の方は、なんだか真に迫り過ぎていて気が塞ぐから」
「ちょうど障害特性の覚え書きみたいだもんね」
 香乃は、子犬のような鼻をしている。おそらく「モカ」みたいな名前で飼われるような犬種に違いない。バイト中、何度か自分が持っているもの、手に入れたものについて考えを巡らせたけれど、頭の中はとりとめのないものになっていくばかりだった。
 
 その晩僕は夢を見た。夢の中で、僕は大きめの100円ショップにいた。
「ここのセリア賑わってんな。賑わいのセリアやな」
 黒のフリースを着た女がそう呟き、男を連れて僕の脇を通り過ぎた。その物言いは、隣町まで空き地を物色に来たガキ大将のようで、女はとても幸福そうだった。
 店を出た僕は戎橋のあたりを歩いていた。いつのものか分からない、有名だけれど、それほどテレビでは見なくなった女優が写ったポスターを見つける。何事にも執着できないのが悩みで、自宅の床を雑巾掛けしているときがいちばん幸せを感じられることを人には言えずにいる、といった表情だった。
 
 僕は幸福についての言及に留めるつもりだ。
 
 表情筋はここ数年ろくに仕事をしていなかった。僕は躁鬱と神経症のせいで、老人みたく自分の身体が最大の関心事になってしまっている。バイトを除いた1日の大半を読書と自炊に費やすような生活が数ヶ月も続いていて、それは他人が見向きもしない手製のビオトープを一日中眺めているような無為そのものだった。
 立派な生活の基盤を確保しないといけない。焦燥感の中で、僕は当然のように年内少なくとも来年の春には再びフィリピンに戻る気でいた。最近知った「患得患失」の意味は不親切で、日本での生活を正確に言い当てていた。
 『まだ手に入れないうちは手に入れようと気にかけ、手に入れてしまうと失うことを心配する』「Omsim!(その通り!)」
 留学を通して、本当にたくさんのものを得た。再び日本で暮らしているうちに、一つ、また一つとそれらを数えることになるだろう。失うことは怖い。けれど、この予想もしていなかった幸運には自分の努力があったことを覚えておく、それさえできればいいんだろう。
 
 ここのセリア賑わってんな。賑わいのセリアやな。
 なぜならすべては「Easy come, easy go」だから。僕はそれを学んだ。

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