『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #56 『それいゆ』 中原淳一 編
2024年11月21日の一冊
「それいゆ」中原淳一 編(ひまわり社)
雑誌は文化をつくり、時代を象徴する。と心のどこかで確信しているので ”雑誌が売れない時代” なんて言葉に抗ってしまう。
SNS が生活の中心にあり、その現象の渦の中に自分もいることに違いないので苦し紛れではあるが、モノを手にするとやっぱり楽しくてうれしくて心が弾む。
パークのお店番をしていた頃。
はるやまひろしさん・なかおみちおさんの二人展の期間、二人の作品とともにパークに設置された数々の雑誌をみんなで開いて見ては、90年代はこうだったああだったと言い合い、10年くらい後輩である私は未だ知らぬ世界に驚嘆したり、夢を見たり、雑誌を通して当事者であった彼らのエピソードがフィルターとなって、より一層そのカルチャーに想いを馳せることができた。
紙で、印刷物として現存しているからこそ、その地点に到達できたのだということを痛感した。
今日の一冊は、中原淳一編集、1956年にひまわり社から発刊された『それいゆ No.40』。
さらにさかのぼって昭和。戦後の復興のさなかで生きた人々の痕跡が、ファッションや暮しのなかに見出されたきらめきによって色濃く浮かび上がる雑誌。
中原淳一は、大きな瞳、ぷりっと膨らんだ唇、くっきりと凹凸したスレンダーな女性の姿をモチーフとして描いた作品を多数残したイラストレーター。彼女たちが身にまとうカラフルで、チャーミングで、クールで、ハイカラなファッションは、80年近く経とうとする今見ても “最上級のおしゃれ” を象徴するかのようで、どれだけ見ても飽きない。
では、”最上級のおしゃれ” とは?
本誌の巻頭は、ほぼ毎号「それいゆぱたーん」というスタイルブックから始まる。発刊当時の季節を読んだうえで、読者のそのときの気分を盛り上げてくれるような、いわゆる ”今季のおすすめコーデ” といった内容だ。
全編イラストレーションで描かれたスタイリングは、完璧なプロポーションの美女たちが着こなしているため、どこか現実味がないが、真似してみたい‥こんなドレスを着てみたい!と、夢を見せてくれる。
それから、当時活躍したシンガーや新劇・映画俳優たちのグラビアインタビュー、随筆家や評論家によるコラム、モデルを起用したロケーションスナップ、ぬいぐるみやお人形のつくり方、和服生活における心得、お漬物のレシピ、二足の草鞋に励む女性への取材など‥
ファッション、芸能、文芸、生活、社会などとバラエティに富んだ内容で、季刊誌といえども生涯バイブルと言えそうなくらい充実している。
戦後まもない時期の日本の社会背景を ”女性の日々の暮し” 目線で編集されていることで、当時の女性たちの生活そのものや価値観と、平成・令和を生きる自分のそれと重ね合わせながら、その違いや共通点を見つけられる。そのこと自体が学びになる。
『それいゆ』は言わずもがな女性をターゲットとしている雑誌なので「女性は〜」「女性の〜」と「女性」が主語のタイトルが多い。
『新しい女性の言葉の美しさ』『女性がタバコをすう場合に』『女一人三畳に住む』『医学と芸能と二つの道を行く女性』などというように、あらゆる話題を「女性」にフォーカスして語る。
現代は人によっては「女性だからこうでなければならない」「女性の美しさを決められている」と過度に反応してしまい「不適切」と言われそうな言説も散見されることもあるのかもしれない。
しかしよく読み、よく考えてみると、声高に女性としての権利主張をしたくなるようなものには感じず、「女性として生まれ生きていくとしたら、こんなふうに楽しんでみない?」と提案してくれているように捉えることもできる。
随筆家・森田たまによるコラムに「言葉は一つの創作である」とある。
この一文は『それいゆ』を象徴するものの一つではないかと思う。
ファッションでも、映画や音楽など文化でも、お料理のレシピでも、暮しの知恵でも、なんでも。多くの情報の中から、自分の琴線に触れるものを大切に溜める。その琴線そのものの感受性を養う。それらが「私」自身を構成する要素として絡み合い、個性となる。それが目に見えるかたちとなって現れ、人々との交流の中で他者に与える印象を裏付けるものとなる。そうした「生き方」こそが “最上級のおしゃれ” なのではないかと。
時代が移り変わり、社会も文化も流れるようなスピードで変化していくけれども、こうした雑誌を通して、過去のある地点に立ち止まることができ、現在と交錯する。あまりにもおもしろい。
ウン、やっぱり “雑誌が売れない時代” はさみしい。
”雑誌が売れない時代” を過ぎて、未来には何も残っていないのではないかと想像してしまい、さみしい。未来を生きる人間が過去を知りたいと思ったときに「令和」を知ることができるものは残されているのだろうか。