『わたしのつれづれ読書録』 by 秋光つぐみ | #34 『遠慮深いうたた寝』 小川洋子
2024年6月20日の一冊
「遠慮深いうたた寝」小川洋子 著(河出書房新社)
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書くことは、子どもの頃からの私の表現手段である。
幼少期はとてもおとなしい子どもだった。自分の気持ちを、誰かに面と向かって言葉にして伝えることが不得意で、必要に迫られて試みるも、幼い頭の中は真っ白となり、ついには何も言えずにしくしくと泣き出す始末。そんなことが度々あった。
でも、紙と鉛筆を持つと、自然と落ち着くことができ、自分の見たもの、お友だちと話したこと、家庭で起きたこと、その時々の自分の気持ちを、つらつらと書き記すことができた。
小学一年生のときの担任の先生は、そんな幼き私の唯一の能力を見出したらしく、三学期の始めに行われる始業式で、全校生徒の前で作文を読む機会を与えてくれた。どんなことを書いたのか、内容は全く覚えていないけれど、表舞台に立つことの苦手なつぐみ少女は、人生初の一人舞台を声を振るわせながら(半泣きしながら)読み上げたことは覚えている。そのときの自分の最大限の力を振り絞った瞬間だった。
それから、十代、二十代を経た現在。そんなおとなしい子ども時代の面影は皆無となるほど、どこでも誰とでも、他愛なく対話をできるほど、感情のコントロールもできるようになったし、それを都度表現することのできる語彙も少しずつ得てきていると思う。
ロジカルを構築しビジュアルの細部を説明することが仕事の要となるグラフィックデザインのスキルを身につけたり、作家として写真作品のステートメントを語る機会にも見舞われたり、パークのスタッフとしては現場で作家さんの作品を預かりその魅力を伝えることにも。
「言葉」や「文章」の持つ可能性に引っ張られ、私自身の “できること” をかたちにし、そして強くしてくれている「書く」ということ。
この楽しさと苦しさ、そこに至るまでの脳内での遊びや葛藤、そのすべてがかけがえのない素晴らしいものであるということを再度、思い出させてくれた本、それが本日の一冊。
小川洋子さんによる『遠慮深いうたた寝』である。
私が初めて手にした小川洋子さんの作品は『ことり』。
”小父さん” と小鳥を取り巻く、淡々としかし確かに移ろってゆく日々、同じように刻まれる彼らの時の流れ、そしてじわじわと現れる変化を、まるで定点観測しているかのような視点と距離感で、緻密に紡いでゆく。その風景描写の細やかさの中に、”小父さん” や小鳥の心情の機微を巧みに映し出し、この物語に限らず、我々の世界は常に、あるもの・ある出来事・ある人の存在が、必然的に編まれているかのように影響しあって存在しているのだという感覚を覚えるのだ。
小説の世界と現実の世界がレイヤードし、我々の生きる世界こそがいつだって小説の舞台なのであるということをひしひしと感じ、如何なるものも見逃せない、そんな気持ちが奮い立つ。
このように、私は小川さんのたった一つの作品によって圧倒的に、そして決定的に射抜かれたわけだが、その矢は言いようのない温もりに包まれ、言葉に灯る灯火と、紡がれてゆく物語の奥行きに、文学の可能性を絶対的に信じる自分に立ち帰ることができたのである。
今日の一冊『遠慮深いうたた寝』は、そんな小川洋子さんのエッセイ集。
”街ですれ違った見ず知らずの彼女” についてのエピソードに始まり、老化について、業務日誌、小説家として経験したこと、子育てのワンシーン、かつて暮らした街の刹那、取材先での思い出、大切にしている小説、ご自分の作品について‥など。
これまで彼女の人生を取り巻いてきたエピソードが多岐に渡り語られ、その瑞々しい感受性、空想半分・現実半分を意のままにする自由で豊かな表現力に満ち足りた、随筆集である。
彼女は「書く」ことだけでなく、「読む」という立ち位置からもその景色がよく見えている。書く者として読む者の想像力を信じ、彼らの存在の素晴らしさや尊さこそが、書く者を輝かせている。そんな視点を持っているということがわかる。
そういったあらゆる「点」の存在を認識しながら、世界を見つめ、頭の中で想像をすることは、あまりに豊かで、その領域を知るために、私自身も書いたり読んだりを繰り返したい欲望に駆られるのだ。
敬愛なる内田百閒の影響を受けて名付けられた『遠慮深いうたた寝』というタイトルからも滲み出ているのが、彼女の謙虚さ、慎ましさ、奥ゆかしさ、品格。あとがきにて回収されたこのタイトルの意味に、私はついため息を漏らしてしまった。
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言葉や文章を書くことは、生きるための、私の表現手段の一つではある。しかし、私は小説家でも詩人でもない。決して言葉を扱うプロではない。時には間違えてしまうし、読み手の想像力に委ねすぎてしまい、返って浅はかで稚拙な結果を生んでしまっていることも多くある。未熟で恥ずかしく、危うく、とんでもないと思う。
しかし、「書く」ということが、私が私の存在意義を温めてきた大切な表現手段であるという事実を、自ら奪う必要はきっとないのだから、この世に発表されているたくさんの本を読むことで、もっと言葉を知り、その使い方を間違えぬよう、さらに想像力を育んでゆきたい。
これは修行でもあり、冒険だ。
誰もが持ち得ることのできる言葉、これを我が物にするのではなく、「美しい言葉はこの世界から借りている」と考えてみたい。そして借りた言葉をどんなふうに使うのかということは、この世界で出会ったすべての経験が導いてくれるのだろう。だから、書を抱えながら、さまざまな場所へ出向き、あらゆる世界と出会いたい。
今日の一冊『遠慮深いうたた寝』は、「読む」と「書く」の間に「出会う」ということがある、そんな気づきを静かに与えてくれた。
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秋光つぐみ
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