番外「デューン 砂の惑星」原作と映画の差異など【ネタバレしかない方】


※本文は全て無料です。
※ネタバレしかない!観終わったことを前提に書いてます。注意!

映画についての基本情報

….は省略だ!
その辺の情報は先に挙げた記事、「ネタバレなしの方」を参照のこと。


まえがき

「デューン 砂の惑星 PART2」は衝撃的な続編であった。
前作では典型的な貴種流離譚の体を取った作品であったのに、今作ではその清廉さをかなぐり捨て、倫理的な問題を頓着しないやり方で復讐を遂げるのだ。

そのド汚さについて、私は思ってしまった。
「これは映画版監督による批判的アレンジの結果なのではないか?」と。
その説を確かめるべく、私は原作であるフランク・ハーバート著、酒井昭伸訳の「デューン 砂の惑星〔新訳版〕」を読んだのだが、まったく、了見違いであることを認識させられたのだ。

主人公たちは、原作の方がむしろ批判的に描かれた度合いが強い。

その差分など、人物を中心にまとめていきたいと思う。
他にも、映画版では登場シーンが削られた人物等についても書いていきたい。

※以下、原作小説を「原作」、ビルヌーブ版第1作を「PART1」、第2作を「PART2」と表記する。「映画版」とはビルヌーブの総称として使用する。

主人公陣営、アトレイデス家の人間たち

いわゆる主人公陣営の人々であり、ストーリー全体の構成変更の影響を受けやすいのは当然であろう。しかし、むしろ批判的に描かれるのは原作でも映画でも変わりない。

ハルコンネン家と犬猿の仲であり、また帝国最強とされる皇帝直属サーダカー軍団に匹敵する部隊を持つとされ、故に恐れられている。

主人公、ポール

まず、主人公の設定・同行からして映画版と原作ではかなりの差分がある。

映画版ではポールは母親から宗教集団ベネ・ゲセリットの訓練を受けていることが明らかにされている。しかし、予知はおぼろげ。PART2終盤の覚醒を経るまで、自身の出生にたどり着くほどの感知能力を持ってはいなかった。
その点では、母親たるジェシカの方が上を行っていたのだ。

原作ではどうか。
ポールはベネ・ゲセリットの訓練に加え、人間計算機(論理的思考のバケモノ)たるメンタートの資質をも持ち、訓練を受けていることになっている。
予知もある程度クリア。映画版ではPART1終盤に当たるかなり早い段階で覚醒。自身と母親の出生の秘密に気付き、ジェシカをむしろ恐れさせている。
自身がベネ・ゲセリット教団最大の目的である「クイサッツ・ハデラック」であることをはっきり自覚している。

砂漠の民フレメンへの接し方、ひいてはその人格についてもかなりの差分がある。映画版では、フレメンの信仰を自身の復讐に利用すること、聖戦に巻き込むことに対してはかなりの葛藤が描かれていた。その葛藤を振り切るのもPART2終盤とかなり遅い。
対して原作はどうか。ポールは自身にまつわるフレメンの信仰を、アラキスに降り立ってすぐ位には知っている。何なら、父親から「その信仰を利用しろ」と命令さえ受けているのだ。最初から完全に利用する気なのである。
このスタンスは映画版ではジェシカに与えられているようだ。

ただし、フレメンの掌握には原作の方が時間をかけている。
後述するが、映画版では胎児のままであった妹アリアが、原作では成長し、終盤でポールの代わりに復讐を果たす。その違いか原作では数年かけていたフレメンの掌握を、映画版では10カ月以内に達成したことになっている。

終盤におけるポールの冷徹さについては映画・原作ともに大きな違いはない。ただし、その冷徹さの源流は異なる解釈がなされている。
映画版では祖父たるハルコンネンであるように示唆されているのに対して、原作ではむしろアトレイデス側の祖父に似ているとされている。
「緑の惑星に導く」と言いながら地表で核をぶっ放す悪辣さは変わらず。

原作ではチャニとの間に長男のレトを設けるが、皇帝の攻撃で失う。


主人公の母親、ジェシカ

この人物は原作と映画では行動自体は大きな変化がないものの、描かれ方が結構変わっている。

原作ではあくまでも生きるためにフレメンの「教母」となり、そんなに主体的な行動は目立たない。早い段階で覚醒した主人公を恐れる描写が何かと目立つ。あと、ハルコンネン側の策略によって、アトレイデス家の生き残りたちには裏切り者だと思われている。
映画版にない要素としては、ベネ・ゲセリット自体の描写として「肉体の扱いに習熟している」という設定が原作にはある。要は、強い。
フレメンの族長であるスティルガーを素手でボコボコにし、ポールとともに彼らに戦闘のやり方を教えるのは原作だけであろうか。

映画版では「フレメンを能動的に利用する」というスタンスがジェシカに割り当てられ、行動的な人間として描写されるようになっている。
主人公がフレメンを利用することに葛藤する半面、ジェシカは積極的に信仰を広めるために女性子供をターゲットにし、主人公の行動をすら操る黒幕的役割を与えられている。

主人公の父親、レト

この人物は早期に退場することもあり、そこまで描写に差はない。
ただし、原作ではハルコンネンへの対決姿勢と、大領主としての冷徹さの描写が映画版よりも多い。
冷徹さ:人情家の比率が、原作では5:5、映画版では1:9くらいか。
その最たる例が、先にも述べた主人公に対する「フレメンの信仰を利用しろ」という命令である。また、ハルコンネンに対しても先制攻撃で一矢報いており、その破壊工作によってハルコンネン家は経済的にやや苦しくなる描写もあった。

主人公の師匠その1、ダンカン・アイダホ

この人物は原作と映画で変わりない。
本当に変わりない。退場タイミングも同じ。

主人公の師匠その2、ガーニィ・ハレック

この人物は原作と映画で大筋の行動に変わりはない。
(核兵器のありかを主人公に教えたのは映画版オリジナルではあるが)
ただし、人物描写は大いに異なる。
「主人公の師匠」「武人」という記号的な要素しか持たない映画版とことなり、原作では彼の過去(ハルコンネンを恨む理由)や、吟遊詩人でもあることなどが描かれ、かなり掘り下げられている。原作では仇敵ラッバーンがあっさり死んだので、ハルコンネン家に復讐をできずに残念がっていた。

アトレイデス家のメンタート、スフィル・ハワト

この人物は映画版でかなり設定と出番を削られている。マジで別物。
まず、映画版では「メンタート」の描写がほとんどないため、「アトレイデス家の家令」くらいの記号しか与えられていない。アトレイデス家の壊滅以降の動向も描かれない。

原作ではガーニィと並び、設定が盛りに盛られているキャラクターの一人である。人間計算機「メンタート」であり、アトレイデス家の家令であることは映画と同じだが、実は凄腕の暗殺者、謀略に長けた人物としてハルコンネンに恐れられていること、アトレイデス家三代に仕えていることなどが描かれている。
先に挙げたように、ポールの冷徹さは原作では先々代アトレイデス譲りであるとされているが、その先々代の描写はハワトの印象によって描かれることが多い。

また、原作ではアトレイデス家の壊滅以後のハワトの動向も描かれる。
アトレイデス家壊滅の原因を作ったのはジェシカだと刷り込まれ、なんとハルコンネンの部下として使えさせられることになるのだ。

「フェイド=ラウサに闘技場で強敵と戦わせ、株を上げる」という描写は映画版にもあったが、原作ではハワトの発案であるとされる。しかも、映画と異なり卑怯な保険付き。

最終的にはポールの成長を見届け、自ら命を落とす。

主人公の妹、アリア

この人物も映画と原作では全然描写が違う。
というか、映画版では生まれてない。
母親たるジェシカの胎内から、ジェシカの口を借りて語るのみである。
その描写から、「実はジェシカが都合よく語ってるだけではないのか」と勘繰ったのは私だけであろうか?

この設定変更の余波により、ポールとジェシカはわずか10カ月以内にフレメンを掌握し、そしてゲリラ戦でハルコンネンに大損害を与え、クーデターを成し遂げたことになっている。早すぎ。

原作ではフレメンに交じって暮らすうちに誕生している。
ジェシカが映画版と同じようにフレメンの教母になる儀式をおこなったため、「生まれながらに母親を含む先祖代々の記憶を持っている」という非常にいスレた子供に育ち、周囲に恐れられている。
原作で仇敵ウラディミール・ハルコンネンを仕留めたのは彼女。

砂漠の民、フレメンの人々

フレメンは、外からくる救世主の予言を信仰する部族である。
原作ではその軍隊的性質が特に強調されており、帝国最強とされる皇帝直属サーダカー軍団を易々と葬る戦闘力を主人公たちに利用される。
映画版との際としては、ポールとジェシカに戦闘方法や戦術を教えてもらう立場である点であろうか。

映画版では描写されていないが、原作では彼らの信仰は昔訪れたベネ・ゲセリット教団が事前に蒔いていたものである。その信仰を利用され、アラキスを飛び出してポールに逆らうものすべてを殺戮する軍団となってしまう姿には憐れみを禁じ得ない。

部族の長、スティルガー

この人物も行動自体は原作と映画版では大きな違いはないが、原作の方がポールへの信仰が篤い。また、原作ではポールとジェシカの初遭遇の際、ジェシカをこそ殺してしまおうと提案している。(映画版ではポール)
その際、ジェシカに素手でボコボコにされてしまっている。
主人公のメンター的立場で始まり、忠実な部下となり、そして最後まで主人公に忠実に従う点は変わらない。

ヒロイン、チャニ

この人物はスタンスが映画版と原作では大きく異なる。

映画版ではフレメンの信仰を疑う1人として書かれている。
原作よりフレメンに誠実なポールに絆されてその恋人となるも、次第に冷徹さを増す主人公、皇帝の娘と政略結婚をして自分をないがしろにするやり方に反発し、ラストでは出奔してしまう。

原作ではむしろ描写が少なく、良くも悪くも普通の「ヒロイン」に徹してるといえる。結末においても主人公の事実上の正妻、名目上の愛妾の立場をすんなり受け入れいている。物語の期間が長いこともあり、ポールの長男を産むが、ハルコンネンの攻撃で失う。

この辺、ポリティカル・コレクトネス的「女性の自立」を踏まえたアップデートであろうか。さすがに原作のチャニは都合がよすぎるうえ、影が薄すぎる。

映画版では描写されていない出生については、次項で触れる。

隠れた重要キャラ、リエト・カインズ

この人物は映画版では正直影が薄い。
なぜか女性になっているし、裏側の設定もほぼ語られない。
早期に退場するところだけは原作と変わらない。

しかし、原作では序盤の最重要人物の一人ともいえる。
フレメンから見れば得体のしれない人物であるアトレイデス家の面々を値踏みする役目。さらには、リエトとその父親がアラキスの緑化計画を考案しており、フレメンの信仰のよりどころの一つともなっているのだ。
退場タイミングこそ映画版と同じであるが、その内面描写や残された計画等で存在感を強く与えるキャラクターとなっている。

ちなみに、チャニの父親でもある。「父親を失った」という共通点が、原作でのチャニとポールを強く結びつけた。

最初の噛ませ役、ジャミス

原作でも映画でも、彼の立ち位置は変わらない。
フレメンに加わることを望むポールの最初の関門、最初に殺した人間である。描写としてもさほどの違いはなく、フレメンの知らない戦い方をするポールに翻弄された挙句命を落とす。

原作では彼の葬儀がより詳細に描かれ、また彼の未亡人が登場する。
未亡人のハレーはジェシカに説教をできる数少ないキャラクターでもあり、妙に愛嬌がある。

敵役、ハルコンネン家

ハルコンネン家は典型的な敵役であるものの、「真の敵」として皇帝が現れる終盤からは嚙ませ犬の感が強くなる。ポジションは映画版と原作で大きな違いはないが、細かい設定が描かれる原作の方が愛着は湧くだろう。

というか、映画版の描写が少なすぎ。

悪の親玉っぽい男、ウラディミール

皇帝と組んでポールの父親レトを謀殺した、本作の物語の元凶と言ってもいい男。キャラクター造形や行動は原作と映画ではあまり差がない。

しかし、描写が豊富な原作では彼の内心がさらに描かれる。
アラキス領主としておいているラッバーンを脳筋として心底さげすんでいたり、その弟のフェイド=ラウサを後継ぎ、ひいては次期皇帝にしようとする点は映画版と同じ。
だが、原作ではフェイド=ラウサの肢体についての描写が多かったり、フェイド=ラウサも「屈辱の夜を忘れない」と内心思ってたり、暗に関係を持っていることが仄めかされているように読める。

また、アトレイデス家の最後っ屁で備蓄香料を失い、ひそかに追い込まれているのも映画版では書かれていなかった。

映画版のビジュアルは完璧。かわいい。

「猛獣」ラッバーン

ハルコンネン軍団の実動を担う愛すべき脳筋、ラッバーン。
映画版PART2では「ムアディブ」ことポールのゲリラ戦法にうろたえたり、弟のフェイド=ラウサになめた口を利かれてるシーンが目立った。かわいい。それでも原作と比べたらかなり恵まれている方である。

原作ではフェイド=ラウサの登場も早く、かなり初期の段階からウラディミールから内心「無能な脳筋」「フェイド=ラウサのための前座」扱いされている可哀そうなキャラクター。
アトレイデス家の襲撃についても、皇帝直属のサーダカーが主力となっているため、彼自身が手腕を振るってる描写すらろくにない。

映画版PART2ではガーニィの宿敵として一騎打ちをする見せ場があったが、原作ではいつの間にか死んでた。可哀そう。

悪のおぼっちゃん、フェイド=ラウサ

映画版では登場の遅れたフェイド=ラウサ。
原作では最序盤、アトレイデス家の壊滅を画策する場にも登場しているハルコンネンの後継者である。

映画でも原作でも簡単に人を殺す凶暴さと、上を目指す野心がある描写は変わらないが、その性質にはそれなりの違いがあるように見受けられる。

映画版でのフェイド=ラウサは自惚れが強く、しかしそれでいてそれに見合った実力があるように描写されている。
初登場の闘技場シーンでも、アトレイデス家の生き残りを正々堂々自力で打ち破り、最後の決闘でもポールと対等に戦っている。

翻って原作では、小狡い手を使う小悪党的な側面が目立つ。
闘技場シーンでは相手の動きを縛る方法をあらかじめ仕込んでいたり、最後の決闘でも仕込んだ毒針を使おうとするなど。そもそも原作では、戦う必要もなく、呼ばれてもないのに横からしゃしゃり出てきて決闘を求める空気読めない子になっている。悪役としての大きさは映画版の方がはるかに優れていそう。

原作では彼の描写も増えており、何度もウラディミールを蹴落とそうとしては分からされているようだ。ウラディミールの項にも書いたが、ウラディミールに性的な虐待を受けていた可能性を仄めかされている。

帝国やベネ・ゲセリットの人たち

デューンの表の悪役はハルコンネンだが、しかし真の黒幕と言ったら帝国やベネ・ゲセリットに他ならない。ダンカンやガーニィ、ハワトを擁して自分の軍事力に迫ろうとするアトレイデスを恐れる皇帝、歴史の裏で延々と理想を追い求めるベネ・ゲセリット。

特にベネ・ゲセリットの姿勢は映画版と原作では微妙に異なっているように見える。映画版では「クイサッツ・ハデラック」に至れれば誰が至っても良い、くらいの姿勢に見えるが、原作では「クイサッツ・ハデラック」に至ったポールをかたくなに認めず、自分たちの「クイサッツ・ハデラック」を作り直そうとする権力欲が強く見える。

影の薄い黒幕、皇帝

この人物については、黒幕のくせに書くことがない。
映画版でもちょっとしか出てこないが、原作でも大して変わらない。

アトレイデスが香料の収入で力を得すぎることや、自分の権力のよりどころであるサーダカーに匹敵する軍事力を得かねないことを恐れて襲撃に加担した本作の黒幕。結局、ポールにクーデターを許してしまうのも同じ。

彼の恐怖心は、結局デューン世界の権力が軍事力でしかないことを示している。

歴史の黒幕、教母モヒアム

この人物も、黒幕ポジのくせに書くことがあんまりない。
映画版でも原作でも最初と最後くらいしか目立った出番がない。

ただし、最終盤のスタンスは結構異なって見える。
映画版では「どっちが正しいとかじゃないよ、お前が教母じゃ」みたいにジェシカを認める感じのことを言ってたが、原作では頑なにポールを認めず、自分たちのコントロールできる救世主を作ろうとあがき続ける。続編まで。

ベネ・ゲセリット教団についても原作ではかなり掘り下げがなされている。未開の惑星に先遣隊を送って都合のいい宗教を根付かせておくイエズス会みたいな集団であることが描かれている。それを利用したポールに権力を奪われるのは自業自得と言えよう。

また、映画版では描写されていないが、ベネ・ゲセリット教団の修行を経ると全身のすべての筋肉を自在に操れるようになるらしい。つまり、戦闘力も高い。

最後に

先週末観た映画の記憶と、今週頭に読んだ原作の記憶でぱぱっと纏めてみた。間違いはないように書いたつもりだが、間違いや不足等あれば指摘してもらえるとありがたい。

この長いnoteを読んでいただけるとわかるように、ポールやジェシカは主人公でありながら、かなり否定的に描かれている。そのニュアンスを保ったまま、原作の情報量を映画2本にまとめ切った監督の技量は実際大したものだ。

機会があれば、皆さんもぜひ原作を読んで解釈してもらえると楽しいと思う。



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