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劇団☆新感線「バサラオ」~出会う人全ての人生を滅茶苦茶にする男~

劇団☆新感線44周年興行「バサラオ」
大阪フェスティバルホール公演を観劇してきました。

やっぱり広い!とにかくでかい!フェスティバルホール!
博多座や明治座の倍近く……?そして何より、音響性能がやたらと良い。
収容人数3000人弱って、舞台上から見た客席を想像するだけで滾るわ。

そんなスケールの劇場で、しかもずーっと楽しみにしていたいのうえ歌舞伎。
チケットは今年の春にゲットしていて、それ以来、この日をモチベーションにしてきました。
「がんばれ私…!もうすぐバサラオ、バサラオ、バサラオ、おさらば……。
で、バサラオってう一体なんなん…?」
ゲシュタルト崩壊。
前夜は、ほとんど眠れませんでした。

全部書き始めるときっと果てが無いので、少しだけ感想を残しておきます。

※以下、多少ネタバレあり。


容姿の美しさだけで、天下を取ろうとする生田斗真扮するヒュウガ。
没入し過ぎて、正確な台詞を控え損ねたのですが、どれもグサッと刺さる言葉でした。
合理的なんだか不条理なんだか、論理的なんだか屁理屈なんだか……。
でも妙に説得力があったのは、彼の揺るがない芯、信念、自信、深い孤独がそう感じさせたのかも知れません。
そしてなんといっても、客席に向かって麻薬成分の入ったスモークでも焚いてんのか、と思う程、その美しさに惚れ惚れうっとりしました。

「自分の顔だけで本気で天下取れると思てる顔やろ」
と聞くゴノミカド(古田新太)に対し、一切の躊躇なく「はい」と答えたときの佇まい。痺れた。
傲慢もここまでくればもはや感服。
欲にまみれて、人殺しまくって、女泣かせまくってんのに、どんどん惹かれていくんです。
んー……。
悲しいけど、どの時代も悪い男というのは人を魅了する力を持っているのでしょうか。
類まれなる美貌なゆえ、他と比較できない(という設定)んだけどね。

「俺のために死ぬのは最高の至福」
幕府の刺客からヒュウガを守るため、嬉々として盾となり散ってゆく女たちもまた、狂ってて美しいというかなんというかバカというか……。
どうしようもないくらい惚れちゃってて、ちょっと羨ましくもありました。
自分にとって絶対的な、理屈じゃなく抗えない神的な存在を持つ人ってブレがなくてある意味怖い。
ヒュウガとはまたちがう狂気。むしろ個人的には、女たちの狂気の方が得体が知れなくて怖いかも。
ヒュウガのことが好きとかいう次元を超えて、ヒュウガになりたがっているというか、依存なんて生半可なものじゃなく、もはや同化してる……?
今の時代、そういうある種の強烈な信念(執念)を持ち続けるのって難しいと思うのだけど、命をも捧げたくなる何かを見つけた女たちは、死後も季節問わず咲き乱れる桜となってヒュウガに付き纏うのでしょう。いじらしい。
恋する女ナメんなよ、ってか。


どの人物像も濃くて、誰を中心にしても物語になるくらい曲者ぞろい。
主軸は、ヒュウガとカイリ(中村倫也)がバディを組むピカレスクロマン。
このカイリのキャラが立ってて、とても魅力的でした。
一番ミステリアスで、腹の底では一体何を目論んでいるのか分かったもんじゃない。
策略家なのか、はたまた誰よりもピュアなのか、結局最後まで見破れない。
だから彼の一挙手一投足から目が離せない。油断ならない奴。
もうこの劇がまるごと、カイリのヒュウガに対する愛憎劇だと言っても過言ではない。というか、むしろそうであって欲しい!←私の願望

愛おしくて、でも(だから))殺したくて仕方ない。
全然矛盾していないと思うよ。大丈夫。
そういう気持ちって、凄く屈折しているように見られるかも知れないけれど、私は分かる気がするよ。

もうお察しかも知れませんが、私はだいぶカイリに傾倒しながら観劇していました。


さすがいのうえ歌舞伎。
最初から最後まで、スピード感を保ったまま心休まることなく、それでいて集中力途切れることなく楽しめました。
この規模の劇場に出演する役者なら、舞台上でアクセルを踏み続けるのってそんなに難しいことじゃないと思うのですが、それだと見ているこっちも共演者も胸焼けするというか…疲れちゃうような気がします。
一人一人がブレーキの踏み加減、タイミング、全体においての自分の立ち位置をちゃんと理解して共有できているから、進行にひっかかりもなければたるみも無い。
急に夢から覚めちゃったみたいな興ざめ感もない。
夢みたいだけど、そこで起こることや交わされる言葉の全てが真理で真実。

日常生活では触れられない、触れてはいけない人間の心の闇の深い部分を、俳優が魂を削って見せようとしてくれた。
そう思える、極上のエンターテインメントでした。



やっぱり、俳優という生き物のかっこ良さ。
うっとり惚れ惚れしちゃう。

私たちも誰だって、毎分毎秒何かの役を演じていて。
そういう意味では漏れなく全員が、生きている限り立派な俳優なんだと思います。
それは当たり前のようで、とても勇気のいる行為だと思う。根気のいることだと思う。
「舞台」と「客席」の境界線は、どこにあるのでしょうか。
果たしてあるのでしょうか。
そのことを改めて確認させてくれるのが、演劇
私は、全ての俳優をリスペクトしています。


宴を始めよう。
美貌に酔いしれて。


ああ、もっかい見たい。






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