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組織を芯からアジャイルにする

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「組織を芯からアジャイルにする」ために。あなたの居る場所から「回転」を始めよう。
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#ふりかえり

4年ジャーニー

 新たな、しかし、最後になるであろう旅を始めている。いつぞやから始めた長年日記(ほぼ同じ日を1年タイムボックスで記す)も、残すところあと4年となった。  ちょうどオリンピックが開催しているらしい(テレビがないため、様子は流れてくるニュースでしか知らない)。あと4年といえば1オリンピックになる。ひと仕事をするにはギリギリの残余時間と言える。だから、本当に、最後のトライ。  23年3月に終えた、組織の中のひと業を、再び始めた。  過去のジャーニーを遡れば、組織のかなり地下深

「まあ何とかやれた」 からも学びを引き出すふりかえり

 「ふりかえり」を繰り返していると、段々と「意見があがらない」「表出が少ない」という状態が続くようになることがある。Keepも、Problemも、概ねこれまでの派生のものだったり、それほど新鮮味のあるものではなかったり。中身は頑張ってひねり出した、という具合で、取り立てて扱うほどでもないように感じる。こうなっていくと、ふりかえりの意義が段々と感じられなくなってくる。  実際のところ、表出が少なくなっていくのには様々な要因が考えられる。ここでは、その一例として「ふりかえりの題

這い回る経験主義に陥らないための「ものわかり」

 「這い回る経験主義」という言葉を知った。  とにかく経験が大事だ、ということでどれだけ経験したかが重視、偏重され、体系的な学習構造が当事者の中に構築されないままになってしまう。そうした状況への批判としての言葉、這い回っているだけの経験主義。  一方、経験主義といえば「スクラム」だ。  スクラムには、レトロスペクティブの機会が用意されている。チームとしての学びや課題が取り出されて、チームの次の活動に活かせるよう設計されている。  ところが、「ふりかえりは、まあスプリン

「アジャイルとして合っているか?」 なのか、「アジャイルで合っているか? 」 なのか

 「アジャイルにいこう」という心意気は良し、だが、アジャイルの様々な「作法」が本来の意図とどう繋がるのかがよくわからない。よくわからないけども、アジャイルの精神に則り、「やってみよう」ではじめてみる。まあ、上手くいかない。上手くいっているように思えないから立ち止まる。立ち止まって、考え直してみる。そもそも、「アジャイルにいこう」で期待していた意図とは何だったんだっけ。おや?  最初にある「作法が意図通りか?」について精査するのは難しい。「作法」そのものが新しいためその是非が

「上手く答えるための学習」 と 「問いを得るための学習」

 経験から学びを得て、自分の武器にする。皆さんも日々コルブの経験学習モデルを回しまくっていることと思う。  このモデルを回転させる際のコツはいくつもあるが、まずは「具体的経験」に着目してみよう。何が役立つ概念にまで昇華していくかは事前には判然としないため、最初はとにかく経験の「絶対量」を上げる作戦を取ることになる。  量は質を凌駕する。というか、量を上げる以外あまり手がなかったりする。質をあらかじめ狙って、量を限定できるとしたら、それはすでに学習が進んでおり、何かしらの手

5年ジャーニー

 1年がまた巡り、もっとも長いタイムボックスの「ふりかえり」を迎える。1年のタイムボックスであり、同時に1年ずつ加算されていく「これまで」のふりかえりでもなる。今年は45年分。残すところ、5年。  この数年、「DX」を切り口として日本の数々の組織に関係してきた。ときにそれは深い深い洞窟を降り進んでいるようでもあった。「組織とは何か」「その組織は何か」という問いに答えるためのいわば探検なのだ。  いけどもいけども、「突破口」というべき分かりやすいものが見つかることはない。ゲ

重ねて、重ねて、ふりかえりの「山」をつくる

 「とにかくやってみる」上等ですよ。日々是新で、「やってみた」ことを踏まえて、計画や方針を書き換えながらやり続ける。まずこのスタンスに立たないと、探索も適応も始まらない。  「やってみる」ことで分かることがある。さらに言うと、「やってみよう」とすることで、そのためのコミュニケーションが増える。コミュニケーションが増えれば、情報も増える。情報が増えれば、新たな理解にも達する。新たな理解は、自分たちの行動の幅をさらに広げてくれる。  いろいろと想像はするが、結局「やらなかった

プロダクトやチームについて仮説を立てるように、進め方自体の仮説 (探索仮説) も立てよう

 課題仮説、ソリューション仮説だと言う前に、現場や組織には「仕事の進め方自体の仮説」が必要なのではないかと思うようになっている。   その行為を「作戦」と称し、その手がかりとなるアウトプットを「仕事の設計図」「線表」と呼んで、実践指導にあたっている。もう少しスマートに呼ぶなら、やはり中身は「計画」ではなく「仮説」であるから、「探索仮説」とでも呼ぶことにしたい。  探索仮説は、WBSでもスケジュールでもロードマップでもない。向かいたい場所、状態に辿り着くための道筋を組み立て