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重ねて、重ねて、ふりかえりの「山」をつくる
「とにかくやってみる」上等ですよ。日々是新で、「やってみた」ことを踏まえて、計画や方針を書き換えながらやり続ける。まずこのスタンスに立たないと、探索も適応も始まらない。
「やってみる」ことで分かることがある。さらに言うと、「やってみよう」とすることで、そのためのコミュニケーションが増える。コミュニケーションが増えれば、情報も増える。情報が増えれば、新たな理解にも達する。新たな理解は、自分たちの行動の幅をさらに広げてくれる。
いろいろと想像はするが、結局「やらなかった」とする。コミュニケーションも、情報も、理解も、ゼロのまま。特に何の変化も起きない。一方、「やってみる」には、それそのものがもたらす結果だけではなく、その過程における「新陳代謝」が期待できるというわけだ。
ということで、「やってみるに如かず」なわけだが、この話はもう少し深堀りができる。むしろ、ここからが面白いところだ。
「やってみた」結果を活かすためには「ふりかえり」を行う。例えば、タイムボックス2週間でふりかえる。
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これだけで、「やったこと」を活かしている気になってはいけない。ふりかえりはその期間を重ねて捉え直すのだ。どういうこと?
直近の2週間分のふりかえりは、あくまで2週間の中での学びにスコープされる。もちろん、ふりかえりの対象は広げても良い。例えば、4週間で捉え直す。
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2週間(を2回分)の「やったこと」と4週間の「やったこと」は同等ではない。視点が変わってくる。4週間かけてどこからどこへ辿り着いたのか。それは(4週間分として)期待するような結果なのか。踏まえて、この先の4週間はどうなるのだろう? 視座が少し高くなり、視野も広くなる。
逆にいうと、単純に2週間ふりかえりするだけでは、この視点で考える機会が訪れない。
さらに、時間軸を重ねてみよう。
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3ヶ月で捉えるビューはまた大きく異なるだろう。3ヶ月前に何を構想していたか? 特に3ヶ月という距離を最初に意識していなかったとしても、今ここから逆算して考え直すことはできる。
「果たしてこの3ヶ月は自分たちにとってどういうものだったのだろう?」
「何となく思っていた状態にはなっていないかもしれない(もっとやれると思っていたかも?)」
「だとしたら、このギャップはどこにあるのだろう?」
「これから迎える次の3ヶ月についてはもう少し"こうなりたい"をイメージしてみよう」
山登りに例えると、2週間ふりかえりは、n合目分のふりかえりになる。1ヶ月、3ヶ月後に、立ち返るふりかえりは、徐々に山の頂きを上空から眺めるアングルになるだろう。
時間軸の切り取り方によって、同じ「やったこと」でも違う気づきがありえる。ふりかえりをただ連結していくだけではなく。重ねて、重ねて、ふりかえりの「山」を作ってみよう。