4年ジャーニー
新たな、しかし、最後になるであろう旅を始めている。いつぞやから始めた長年日記(ほぼ同じ日を1年タイムボックスで記す)も、残すところあと4年となった。
ちょうどオリンピックが開催しているらしい(テレビがないため、様子は流れてくるニュースでしか知らない)。あと4年といえば1オリンピックになる。ひと仕事をするにはギリギリの残余時間と言える。だから、本当に、最後のトライ。
23年3月に終えた、組織の中のひと業を、再び始めた。
過去のジャーニーを遡れば、組織のかなり地下深くまで降りていき、ある種の確信を得るに至っている。組織とは、いかなるものか。理論ではなく、実践、実の経験から、身をもって掴み取ったこと。その学びがポジティブなものであるか、ネガティブであるかは、関係がない。この先の歩みに適応するにあたっては、関係がない。
むしろ、「組織」という概念と現実に失望を覚えて、その手を止め、歩みを止めてしまうとしたら、それまでに得た貴重な学びがいかされることはなく、終わってしまう。
終わらぬためには、自分の「傾き」をゼロにしない。アジャイルを掲げる以上は、検査適応を続ける。その状態を保ち続けることが、ほぼ唯一と言っていいくらい、不確実性に対する人のできることだからだ。
一方で、その思いとは裏腹に私は、この一年の大半の時間を立ち止まることにあてていた。23年末に足を骨折し、身動きが取れなくなり、文字止まり立ち止まるよりほかない状態になった。それは、自分について考えるには、十分な時間と言えた。自分を何に費やすのか? それは、自分と家族の人生をリスペクトする判断となっているのか? 残りのジャーニーを折り返すような土壇場で、不意にあらわれた問いに大きく揺さぶられた。
少なくとも、日常の一日一日に敬意を払うように、丁寧にいきようと思った。しばらくして、趣味と言えるものがほぼなかった私に、家の掃除と筋トレと栄養管理が加わった。足を骨折して、はじめて、矢印が自分の外ではなく、自分の内に向かった。自分の体のこと、家族の体のことを、思う時間が増えた。これまでの「不摂生、無茶、顧みず」に対する罪滅ぼしのように。生活は様変わりした。
この変化の上で、迎える最後の4年ジャーニーが始まっている。私は、この旅にも「希望」を持っている。常に、それまでよりも、強い期待と希望を持って臨む。何の根拠もない、単なる信じ込みかもしれない。それでも、これまでの自分に対してリスペクトを持って向き合うならば、決して「今」を雑に捉えたり、扱ってはいけない。それが、自分自身に対する責任の果たし方であり、感謝なのだと思う。
さて、
自分のキャリアを終えるときに、最後に何をしていたいか?
難しい問いだが、ほぼすでに回答を得ているように私自身は思う。