「逡巡」「躊躇」が最大のリスク
「人類が直面しているのは、単に労働力を代替する技術ではなく、知力を代替する技術なのだ。高感度センサー、音声認識、人工知能、ビッグデータ、テキストマイニング、パターン認識アルゴリズムが組み合わさって、人間の活動を素早く学習し、さらに相互学習する機能も備えたスマート・ロボットが生み出されつつある。」
上記はロバート・B・ライシュさんの「SAVING CAPITALISM(邦題:最後の資本主義)」の一節(雨宮寛/今井章子訳、東洋経済刊 2016年)。
まぁ、わかっていたということ、当然だけれど。
「単に労働力を代替する技術ではなく、知力を代替する技術なのだ。」は言い得て妙、そして、あまりに刺激的。で。チャットGPTそのもの。でも、ライシュさんはSF小説を書く作家ではない。カリフォルニア大学バークレー校・公共政策大学院の教授、何人かの大統領に仕え労働長官になったり、オバマ大統領のアドバイサーでもあった人。
やっぱり、僕らは「生き方」の選択を迫られていると。
このまま「みんなで」の大型船に乗ってくのか。小型のボートに乗り換えるのか…いずれにしても博打。でも、こういうときほど、リスクヘッジから考えたのではタイミングを逸するだけだ。
「逡巡」「躊躇」が最大のリスク。
前の敗戦時も、半ば無政府状態になり、軍需に集中していた就業もなくなり、大戦中の無理な軍事(公共投資)が全て灰燼に帰してハイパー・インフレと、国民生活は大混乱に陥るけれど、でも、まだ工業生産時代は続いていたし、だからこそ、ほどなく「団塊の世代」という工業生産時代の担い手も誕生していく。
(彼らが死ぬ前に、集団生産な工業生産時代が終わっちゃっうなんて、計算に入ってなかったんだか、考えないようにしてたんだか)
少子高齢化、AI化から無人化、労働市場の国際化…そして、少なくとも明治以降続いてきた工業生産時代は終わる。弥生時代以降続いてきた集団生産の時代も終わるかもしれない。
正規も非正規もなく、津波は襲ってくる・
でも、時代は、工業生産時代も集団生産時代も終えていく。
もう既定路線。恐らく「江戸から明治へ」以上の凄まじい変化がもうすぐそこに迫っている。
これまでの常識だった髷を切り落とすような大変化。
ケセラセラ、あしたはあしたの風が吹くと構えてはいられないような気配…
あしたの風は、これまでに経験のない台風かもしれないから。
なんの因果だか。こんな時代に居合わせちまった。
まずは教科書を探さないことだ。
そんなもん、あるわけがないから。
高度成長期な学校教育で育ってくると「複写」は得意でも「自分で考える」は苦手。たいていは、正確な「コピー」もできなくて、それを「アレンジをかまして」なんて嘯いている。
なのに「コピーして正確に繰り返す」ならAIに敵わない。かれらはハンパなく正確だ。彼らにヒューマン・エラーはないし、彼らは休まない。
「みんな」に気を遣いながら、集団で、提示された「点線」をなぞるようにマニュアル・レーバーをこなす。それだって、そんなに楽チンなことではなかったのに、そんな感じは、もうすぐ過去のものになっていく。
人力車が残るとしても、それはタクシーのような交通手段ではない。
プログラミングができなくちゃ職にありつけなくて、一人で判断して、責任を負わなきゃならないような仕事ばっかり。
なんの因果だか。こんな時代に居合わせちまった。
とにかく具体的に動き出そう。
イマドキはマスメディアを経由することがmustではないから、変化はステルスに進む。気がついたら、競争相手は、はるかに向こうを走っていた…なんてことになりかねない。
「逡巡」「躊躇」が最大のリスクだ。